《訃報》 吉田義男さん死去

吉田義男氏が死去、91歳 監督として阪神を球団初の日本一に導く「今牛若丸」仏代表監督で「ムッシュ」

 プロ野球の阪神を監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)氏が3日午前に脳梗塞のため死去したことが4日、分かった。91歳。京都府出身。通夜、告別式については非公表。

 吉田氏は現役時代に「今牛若丸」と称され、1メートル67と小柄な体格ながら華麗で堅実な守備でファンに愛された守備の達人。ベストナインを9度受賞、最多安打1回、盗塁王2回。引退後は阪神の監督を3度務めた。阪神の監督を3度経験した唯一の人物。1985年、阪神を初めて日本一に導いた。1987年に背番「23」は永久欠番に。阪神の永久欠番は藤村富美男氏の「10」と村山実氏の「11」と吉田さんの3人だけとなっている。
 吉田 義男(よしだ・よしお)1933年(昭8)7月26日生まれ、京都市出身。山城では2年夏に甲子園出場。立命大を1年で中退して53年に阪神入り。俊足巧打の遊撃手で、1メートル67と小柄ながら華麗な守備は「牛若丸」と呼ばれた。コーチ兼任の69年限りで引退。ベストナイン9度。通算350盗塁は球団歴代2位。球宴には13度出場し、56年第2戦で決勝打を放ち殊勲選手賞。3期8年に渡って阪神監督を務め、85年には21年ぶりリーグ優勝と球団初の日本一に導いた功績で正力松太郎賞を受賞。90~95年はフランス代表監督を務め、同国の野球普及に尽力した。92年に競技者表彰で野球殿堂入り。現役時代の背番号23は阪神の永久欠番。
                 ◇
 以上はネットニュースの記事である。自分の年齢を思えば、人の命が尽きることは避けられず、もっと生きていてほしいに違いないが、ただ、その存在は己が身の果てるまで忘れることはない、そういうことでいいだろう。子供のころ、東京オリンピックの…といっても1964年昭和39年頃のことだが、両親に買ってもらった野球のユニフォームに、母に頼んで『23』の背番号を縫い付けてもらった。それが阪神タイガース永久欠番の一つである。守備では「捕る前にファーストに投げていた」という伝説、打つ方では、バットを短く持って、忘れたころにレフトポールそしてフェンスぎりぎりにホームランを打ったりする。監督(3期通算8年)としての通算成績は484勝511敗、実に〝上品な〟数字ではないか…ご苦労の程がうかがえる。中継といえばキョジンの試合がほとんどの田舎で、まさに奇跡の『アイドル』なのだ。ちなみにセカンドは本屋敷、ファーストは遠井、そしてピッチャーは村山、いやバッキーかな…

こんな映画を観てきた[55] シェーン

   シェーン
     [SHANE]
     (1953/米 監督…ジョージ・スティーブンス)

 西部劇というのは、あまり得意な、いや好きなジャンルではないが、これはやはり名作なのだろう、スタンダードと言ってもいい。ラストの「シェーン!カムバック」の少年の台詞はあまりに有名だが、そのあとに「ママウォンチュユー」などとこまっしゃくれたことをボソッと付け加えたような…記憶違いか?
 凄みのある存在感を見せたジャック・パランスとの決闘シーンとして忘れられないのがあの早撃ち、そこに至る過程で
「お前の噂は聞いている」
「どんな噂だ」
「北部の豚野郎だとさ」
言われたパランスが「やるか」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART2』より)とつぶやいて、そして、一瞬の結末…ということになる。
 ワイオミングの山々を背景に流れる主題曲の『遥かなる山の呼び声』、こんなタイトルの邦画もあったが、観ていない。それはともかく、これ以上ないくらいの広大な風景の中に繰り広げられた人間ドラマ、何故か音楽だけは西部劇、やけに沁みるものが多い。
 想えば、70年以上前に製作された映画である。さすがに…わずかに生まれていない…
 大御所監督が、盛りを過ぎた?と言われたたアラン・ラッドに再び大いなる光を当てた、そんな一作でもあったという。

こんな唄に出くわした[25]    花ぬすびと

   花ぬすびと

 微かに、ほんの微かにどこかで聴いたような記憶があるが、やはり今になって〝出くわした〟というべきだろう。衝撃的で、かつ沁みこむ沁みこむ一曲となった。

   花ぬすびと

     作詞:すずき ゆみ子
     作曲・歌:明日香.

  花ぬすびとの 伝説が
  別れ話のはじまりでした
  私が話す 伝説を
  貴方は笑って聞き流す
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  あなたは私のひざの上
  白河夜舟の波枕

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

  白樺めばえる 春の日に
  秋の花が欲しくなる

  人の心に 咲く花は
  育ちやすく 枯れやすく・・・・・・
  野の草分けて 吹く風は
  ぬすびと伝説物語る
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  私の花をぬすんだ人は
  野分きのようにかけぬけた

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

  野分きが渡る 秋の日に
  夏の花を追いかける

  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

 演歌のジャンルでも『花ぬすびと』という唄があって、こちらは村上幸子という歌い手によるものなのだが、奇しくもこの二人、若くして亡くなってしまっている。どちらも病によるものとのことだが、どうしたことだろうか?
 こちらは、まさに〝演歌〟といえる…のだろう。資料によると、前者は1982年の発表で、一方については彼女が亡くなった(1990年)後に発表されたものらしいが、全く別物で、とにかくどちらも沁みる良い唄だ。

  花ぬすびと

     作詞:石原 信一
     作曲:叶 弦大
     唄 :村上 幸子

  花ぬすびとは ゆうべのあなた
  夢追人は 夜明けのわたし
  そえぬ運命の 浮き世の風に
  咲いてみたい 赤い命
  夜がいじめても おんな花

  ぬくもりほしい 止まり木の隅
  にがてなお酒 無理して呑むわ
  ひと夜逢えなきゃ 明日がみえぬ
  ばかなやつと 叱りつけて
  涙止まるまで こぼれ花

  化粧はしても 心のなかは
  あなた好みの 素顔でいたい
  こんな小さな 純情だけど
  いつか春が きっと来るわ
  ひとり言いきかす 夢見花

こんな映画を観てきた[54] サウンド・オブ・ミュージック

   サウンド・オブ・ミュージック
[The Sound of Music]
(1965/米 監督…ロバート・ワイズ)

 リチャード・ロジャース作曲&オスカー・ハマースタイン2世作詞によるブロードウェイミュージカルを、「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズ監督により映画化、と資料にはある。今回は、スクリーンではなく1982年の観劇記録から…
        ◇
 『サウンド・オブ・ミュージック』夜の部開演。
 お馴染みの、マリアが居なくて大騒ぎの修道院のシーンから。
 オープニング前、オーケストラ・ピットでの音合わせの光景も面白かった。10ペンスでオペラグラスを借りる。
 森で、メインテーマ“サウンド・オブ・ミュージック”を唄いながらマリア登場(ペトラ・クラーク)。
 スクリーンと違い、生で聴く歌はやはり素晴らしい。修道院からトラップ家へ家庭教師として派遣され、不安な気持ちを振り払うようにトラップ家の扉を叩く。キャブテンの厳しい躾に驚くマリアだが、マリア流のやり方ですぐに子供達と打ち解ける。[“ドレミの唄”]
 新しいママが来るというので(この女性が、あの『007/ゴールドフィンガー』で最後にボンドに寝返った女パイロット、オナー・ブラックマンその人だった)、マリアは邸を去り、修道院に戻る。
 マザーに諭され、キャプテンへの愛を自覚して再び邸に赴く決心をする(ここで休憩)。 
 物語は佳境に入る。結婚式、そして有名なナチスを嫌ってのコンサート・ホールからの脱出、そして逃避行、キャプテンの唄う“エーデルワイス”、声を詰まらせて唄えないキャプテンを扶けるマリアと子供達(涙が溢れて止まらない)、フィナーレ。
 あっという間の3時間、暫くはその場を立つのが惜しかった。
 ヴィクトリア駅前のアポロ・ヴィクトリア劇場を出るともう深夜、これからではパブも開いていない(開いていても、やはり一人では憚られる)。舞台か酒か、倫敦の夜はわかりやすい。

こんな唄に出くわした[24]    井の頭線

   井の頭線

 古希を迎えて、こんな唄にまた出くわしてしまった。1977年からおよそ15年間ほどこの唄の冒頭に出てくる永福町というところで暮らして、西永福駅と明大前のほんの短い区間だけだったがこの線を使った。失礼ながら歌い手のあさみちゆきという女性の事は知らない。

   井の頭線

    作詞:田久保真見
    作曲:網倉一也
    唄: あさみちゆき

  永福町で電車が停まる
  急行の待ち合わせ
  ドアが開いて 吹き抜ける風
  想い出が 降りてゆく
  いつもあなたは この手を引いて
  急行に乗り換えた

  走るように生きるあなたと
  歩くように生きてた私
  いつの間に いつの間に
  離れてしまったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも ふと 好きだと思う

  下北沢の古道具屋で
  風鈴をみつけたね
  窓を開けても 暑かった部屋
  軒先で揺れていた
  ふたりこれから どうしたらいい?
  聞かれても 黙ってた

  打ち上げ花火 はしゃぐあなたと
  線香花火 見つめる私
  燃え尽きる 燃え尽きる
  速さが違ったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  あなたを ふと さがしてしまう

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも そう 好きだと思う

 聴けば、歌謡曲というよりフォークソングに近いか?井の頭線と言えば野口五郎の『私鉄沿線』の舞台だと聞いた記憶があって、そちらの方は井の頭公園駅がメーンステージだったような、こちらは吉祥寺から少し南下した永福町に下北沢、実はこの唄には続編の『井の頭線 あれから』というものがあって、そこでは池ノ上やら浜田山、更に富士見ヶ丘と〝細部〟に至ることになる…

  井の頭線・あれから

  明大前で途中下車して 
  なつかしい駅の裏

  古いアパート あの日のままで
  カーテンが変わってた
  私あれから引っ越したけど
  またここで暮らしてる

  忘れたいと 泣いた夜も
  忘れられず 目覚める朝も
  少しずつ少しずつ おもいでにするだけ

  ひとり帰る井の頭線で
  あなたにふと 呼ばれたようで

  池ノ上の踏み切り越えて
  暮れなずむ街の色
  窓の外には ゆれる菜の花
  また春が来たんだね
  浜田山から富士見ヶ丘へ
  風の中あるいたの

  帰りたいと 思う季節に
  帰れないと わかってるから
  さよならをさよならを
  小さくつぶやいた

  ひとり帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる

  今日も帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる

こんな映画を観てきた[53] コンドル

   コンドル
[The Getaway]
(1975/米 監督…シドニー・ポラック)

 スパイ同士の暗躍戦を描いており、ターナー(ロバート・レッドフォード)がスタッフの昼食の買出しのためにこっそり出ていったすぐあと、突然アメリカ文学史協会(実はCIA〝アメリカ中央情報局〟の末端組織)に3人の男が乱入し、マシン・ガンでスタッフを皆殺しにした。ターナーが戻ったときは、同僚の残惨死体だけが残されていた。〝コンドル〟は彼のコードネーム。
 公開時の評価としては、あまり高いものではなかったように覚えているが、そういえば共演のフェイ・ダナウェーの印象も薄い。ただ、殺し屋のマックス・フォン・シドーの凄みだけは目立っていたような、そんな微かな記憶が残る。シドニー・ポラック監督とレッドフォードが組んだポリティカル・サスペンスとのことだが、成功作ではなかったらしい。それにしても、こういうテーマが一本の映画になってしまうのは、さすがにアメリカの懐の深さだけは今にして思い知らされるのである。
 コンドルが殺し屋に尋ねる。
 「何故?」
 殺し屋が返す。
 「〝何故〟に興味はない。考えるのは〝いつ〟と〝いくら〟だけだ」
 これをプロフェッショナルというのか?(和田誠著『お楽しみはこれからだPART2』より

こんな唄に出くわした[23]    涙の条件

   涙の条件

 特にファンということでもなかったのだが、テレサ・テン二度目の登場である。当時あまり聴くこともなかったが、年のせいという事なのかもしれない、ここにきてよく〝沁みる〟のだ。くり返し聴いても決して飽きない、耳にも優しく、何事も邪魔しない〝思いやり〟を感じる。

   涙の条件

      作詞:荒木とよひさ
      作曲:三木たかし
      唄: テレサ・テン

   帰っておいでここへ
   昔のようにここへ
   誰かと長い旅をして
   行くところ失くしたなら
   帰っておいですぐに
   上手ないい訳して
   何も聞いたりはしない
   元気で暮らしてたら

   やり直しの出来ない 愛ならば
   あなたのこと忘れていたでしょう
   ひとつだけの心の合鍵を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   泣かせにおいでここへ
   あの日のままでここへ
   嬉しい涙おもいきり
   その胸にぶつけるから
   泣かせにおいですぐに
   優しい言葉よりも
   その手にふれたそれだけで
   幸福にまたなれる

   やり直しのきかない人生を
   あなたの為使ってかまわない
   生れ変わることより想い出を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   やり直しの出来ない愛ならば
   あなたのこと忘れていたでしょう
   ひとつだけの心の合鍵を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

 とにかく、どこにも引っ掛かる箇所がない。ただただ許し許され、ゆったりと時が流れる、歌い手には失礼かもしれないが、歌詞のあるBGMということなのかもしれない。

こんな映画を観てきた[52] ゲッタウェイ

   ゲッタウェイ
[The Getaway]
(1972/米 監督…サム・ペキンパー)

 銀行強盗の仲間割れでボスを殺したドク(スティーヴ・マックィーン)は妻キャロル(アリ・マックグロー)と共にひたすらメキシコへ向かって逃げるという作品。ボニーとクライド(『俺たちに明日はない』)は凄絶な最期を迎えたが、この二人、このての映画では珍しく、逃亡に成功してしまう。
 「何も信用できない」
 「何か信用しないわけにはいかないわ」
 「我、紙を信ず。紙幣に書いてある」」
 「お金だけが信用できるのね」
 二人の会話で、どうしたわけか半世紀近くも手元に在る1ドル紙幣を眺めてみた。どこかにはあるはずだが、小さな文字がたくさんあって探すのもめんどうになった…(和田誠著『お楽しみはこれからだ』より
 バイオレンスを扱って評価が高いと言われるこのペキンパー監督、名前はよく存じ上げているが、『わらの犬』だの『ワイルドバンチ』など、個人的には決して〝好きな映画〟リストには入らない、どちらかというと避けて通りたいジャンルだ(勝手に観なければよろしい…)。それにしても結構な演者をそれぞれ使っていて、この人やはりただものではないのであろう。

こんな唄に出くわした[22]    東高円寺

 実を言うと、令和になって出くわし唄ではない、半世紀程も前になるが知ってはいた。東京に来て、初めて住み、学生時代から就職をしてしばらくの約5年間を過ごした場所である。すっかり忘れていたが、ネットで偶然目に入って聴いてみた。
 厳密には東高円寺という駅(地下鉄丸の内線)はあるのだが、どこからどこまでが〝東高円寺〟なのか曖昧なのである。そういう地名はない。とりあえず、地下鉄駅を出たところ、蚕糸試験場(現・蚕糸の森公園)界隈ということになろうか、東へ少しあるけば、地名として、北東にひろがる『中野』で、逆方向に青梅街道を進むと、環七をくぐったらもう正真正銘?高円寺ということになる。そういえば、この唄も歌詞に関しては実に曖昧、当時は気楽に飲める店が軒を並べたり、若者が集まるような場所ではなかったような気がする。地下鉄の駅を出てすぐの露地を入ると蚕糸試験場の万年塀から湧き出るように伸びる桑の木、それが尽きると区立の小学校から、同じく中学校の裏門があって、そこで左に折れて、すぐに右に曲がると、やや広めの道に出る。正面にスーパーマーケット(山手ストアといったか?)とその隣に銭湯(これは大和湯と覚えている)、そこを左に行くと女子大、右に行くと坂道の始まりに週に1、2度は夕食をいただいた『母屋』(ここのおかみさんに、実の親より先に大学の卒業証書を見せて、何かご馳走されたような微かな記憶がある)という居酒屋があって、上りきると、これも行きつけの『たんぽぽ』(一階がそば屋で、そこがたぶんオーナーであったはず)という喫茶店、それを遣り過ごして環七に至り、陸橋を渡ると妙法寺である。パチンコ屋はあった、映画館(封切館などではない)もあったが、それでもいわゆる閑静な住宅地なのであった…大きな宗教団体の本部があったり、救世軍の関連施設などもあって、日曜の夕方には楽団の小さなグループが、ラッパ吹かして辺りを練り歩いていたような記憶がある。

  東高円寺

     作詞‥吉田 健美
     作曲‥杉本 真人
     歌唱‥今 陽子

  ここでなくてはいけないなんて
  そんな理由は少しもないのに
  私は今でも東高円寺
  あのアパートで暮しています
  小さな部屋が息苦しいのは
  あなたのいないせいなのでしょうか

  気楽に飲める店は多いし
  気の合う仲間も沢山いるから
  私はこうして東高円寺
  このやすらぎにひたっています
  近頃何故か寝つかれないのは
  あなたを想い出にしたせいでしょうか

  雨の降る日は自転車に乗り
  ちょっと駅まで濡れて見たくて
  私はいつまで東高円寺
  心の中を知ってるくせに
  電車の音が気になりだしたら
  あなたを訪ねてこの街を出ます
  あなたを訪ねてこの街を出ます

 とにかく〝曖昧〟で、やや盛り上がりにも欠ける唄なのではあるが、歌詞の中に馴染みのある地名を見て、また淡々としたメロディーを聴くにつけ、とにかく沁みてきて、危うく涙さえあふれ出てしまいそうになるのだ。

こんな映画を観てきた[51] グッバイ・ガール

   グッバイ・ガール
[the Goodbye Girl]
(1977/米 監督…ハーバート・ロス)

『裸足で散歩』(67)、『おかしな二人』(68)でお馴染み?のニール・サイモンの脚本によるものだ。その後、この『グッバイ・ガール』を挟んで、『名探偵登場』(76)、『カリフォルニア・スイート』(79)、『昔みたい』(80)、『泣かないで』(81)等など、ほぼ毎年その戯作が世に出て、評価もそれぞれ高いという、見事というほかない。本作では、リチャード・ドライファスとニール・サイモンの妻であるマーシャ・メイソンが出演、いい意味で手慣れたものだ。
 さて、お話は…
 ニューヨークの片隅で、偶然、同居することになった男運の悪い子持ちの元ダンサーと、俳優とのコメディである。資料によるとニール・サイモンがこの二人のために書き下ろした作品だという。

 「俳優は舞台の上では素敵だけれど、実生活では民衆の敵よ」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)
 これまでの恨みつらみを男にぶつけているのだけれど、それまでの彼女の生き越しがよくわかる。
 そして、
 「ゆうべのこと忘れて」
 「だめだよ。日記に書いちゃった」
 二人が初めてベッドを共にした翌朝の会話(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)。
 クスッと笑わせてくれるやり取り、これこそが真骨頂、演者、監督、作者、まさに三位一体で愉しませてくれた。