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こんな映画を観てきた[54] サウンド・オブ・ミュージック

   サウンド・オブ・ミュージック
[The Sound of Music]
(1965/米 監督…ロバート・ワイズ)

 リチャード・ロジャース作曲&オスカー・ハマースタイン2世作詞によるブロードウェイミュージカルを、「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズ監督により映画化、と資料にはある。今回は、スクリーンではなく1982年の観劇記録から…
        ◇
 『サウンド・オブ・ミュージック』夜の部開演。
 お馴染みの、マリアが居なくて大騒ぎの修道院のシーンから。
 オープニング前、オーケストラ・ピットでの音合わせの光景も面白かった。10ペンスでオペラグラスを借りる。
 森で、メインテーマ“サウンド・オブ・ミュージック”を唄いながらマリア登場(ペトラ・クラーク)。
 スクリーンと違い、生で聴く歌はやはり素晴らしい。修道院からトラップ家へ家庭教師として派遣され、不安な気持ちを振り払うようにトラップ家の扉を叩く。キャブテンの厳しい躾に驚くマリアだが、マリア流のやり方ですぐに子供達と打ち解ける。[“ドレミの唄”]
 新しいママが来るというので(この女性が、あの『007/ゴールドフィンガー』で最後にボンドに寝返った女パイロット、オナー・ブラックマンその人だった)、マリアは邸を去り、修道院に戻る。
 マザーに諭され、キャプテンへの愛を自覚して再び邸に赴く決心をする(ここで休憩)。 
 物語は佳境に入る。結婚式、そして有名なナチスを嫌ってのコンサート・ホールからの脱出、そして逃避行、キャプテンの唄う“エーデルワイス”、声を詰まらせて唄えないキャプテンを扶けるマリアと子供達(涙が溢れて止まらない)、フィナーレ。
 あっという間の3時間、暫くはその場を立つのが惜しかった。
 ヴィクトリア駅前のアポロ・ヴィクトリア劇場を出るともう深夜、これからではパブも開いていない(開いていても、やはり一人では憚られる)。舞台か酒か、倫敦の夜はわかりやすい。

こんな唄に出くわした[24]    井の頭線

   井の頭線

 古希を迎えて、こんな唄にまた出くわしてしまった。1977年からおよそ15年間ほどこの唄の冒頭に出てくる永福町というところで暮らして、西永福駅と明大前のほんの短い区間だけだったがこの線を使った。失礼ながら歌い手のあさみちゆきという女性の事は知らない。

   井の頭線

    作詞:田久保真見
    作曲:網倉一也
    唄: あさみちゆき

  永福町で電車が停まる
  急行の待ち合わせ
  ドアが開いて 吹き抜ける風
  想い出が 降りてゆく
  いつもあなたは この手を引いて
  急行に乗り換えた

  走るように生きるあなたと
  歩くように生きてた私
  いつの間に いつの間に
  離れてしまったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも ふと 好きだと思う

  下北沢の古道具屋で
  風鈴をみつけたね
  窓を開けても 暑かった部屋
  軒先で揺れていた
  ふたりこれから どうしたらいい?
  聞かれても 黙ってた

  打ち上げ花火 はしゃぐあなたと
  線香花火 見つめる私
  燃え尽きる 燃え尽きる
  速さが違ったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  あなたを ふと さがしてしまう

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも そう 好きだと思う

 聴けば、歌謡曲というよりフォークソングに近いか?井の頭線と言えば野口五郎の『私鉄沿線』の舞台だと聞いた記憶があって、そちらの方は井の頭公園駅がメーンステージだったような、こちらは吉祥寺から少し南下した永福町に下北沢、実はこの唄には続編の『井の頭線 あれから』というものがあって、そこでは池ノ上やら浜田山、更に富士見ヶ丘と〝細部〟に至ることになる…

  井の頭線・あれから

  明大前で途中下車して 
  なつかしい駅の裏

  古いアパート あの日のままで
  カーテンが変わってた
  私あれから引っ越したけど
  またここで暮らしてる

  忘れたいと 泣いた夜も
  忘れられず 目覚める朝も
  少しずつ少しずつ おもいでにするだけ

  ひとり帰る井の頭線で
  あなたにふと 呼ばれたようで

  池ノ上の踏み切り越えて
  暮れなずむ街の色
  窓の外には ゆれる菜の花
  また春が来たんだね
  浜田山から富士見ヶ丘へ
  風の中あるいたの

  帰りたいと 思う季節に
  帰れないと わかってるから
  さよならをさよならを
  小さくつぶやいた

  ひとり帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる

  今日も帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる

こんな映画を観てきた[53] コンドル

   コンドル
[The Getaway]
(1975/米 監督…シドニー・ポラック)

 スパイ同士の暗躍戦を描いており、ターナー(ロバート・レッドフォード)がスタッフの昼食の買出しのためにこっそり出ていったすぐあと、突然アメリカ文学史協会(実はCIA〝アメリカ中央情報局〟の末端組織)に3人の男が乱入し、マシン・ガンでスタッフを皆殺しにした。ターナーが戻ったときは、同僚の残惨死体だけが残されていた。〝コンドル〟は彼のコードネーム。
 公開時の評価としては、あまり高いものではなかったように覚えているが、そういえば共演のフェイ・ダナウェーの印象も薄い。ただ、殺し屋のマックス・フォン・シドーの凄みだけは目立っていたような、そんな微かな記憶が残る。シドニー・ポラック監督とレッドフォードが組んだポリティカル・サスペンスとのことだが、成功作ではなかったらしい。それにしても、こういうテーマが一本の映画になってしまうのは、さすがにアメリカの懐の深さだけは今にして思い知らされるのである。
 コンドルが殺し屋に尋ねる。
 「何故?」
 殺し屋が返す。
 「〝何故〟に興味はない。考えるのは〝いつ〟と〝いくら〟だけだ」
 これをプロフェッショナルというのか?(和田誠著『お楽しみはこれからだPART2』より

こんな唄に出くわした[23]    涙の条件

   涙の条件

 特にファンということでもなかったのだが、テレサ・テン二度目の登場である。当時あまり聴くこともなかったが、年のせいという事なのかもしれない、ここにきてよく〝沁みる〟のだ。くり返し聴いても決して飽きない、耳にも優しく、何事も邪魔しない〝思いやり〟を感じる。

   涙の条件

      作詞:荒木とよひさ
      作曲:三木たかし
      唄: テレサ・テン

   帰っておいでここへ
   昔のようにここへ
   誰かと長い旅をして
   行くところ失くしたなら
   帰っておいですぐに
   上手ないい訳して
   何も聞いたりはしない
   元気で暮らしてたら

   やり直しの出来ない 愛ならば
   あなたのこと忘れていたでしょう
   ひとつだけの心の合鍵を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   泣かせにおいでここへ
   あの日のままでここへ
   嬉しい涙おもいきり
   その胸にぶつけるから
   泣かせにおいですぐに
   優しい言葉よりも
   その手にふれたそれだけで
   幸福にまたなれる

   やり直しのきかない人生を
   あなたの為使ってかまわない
   生れ変わることより想い出を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   やり直しの出来ない愛ならば
   あなたのこと忘れていたでしょう
   ひとつだけの心の合鍵を
   あゝ捨てないで
   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

   悲しいほどあなたが好きで
   あしたが見えない

 とにかく、どこにも引っ掛かる箇所がない。ただただ許し許され、ゆったりと時が流れる、歌い手には失礼かもしれないが、歌詞のあるBGMということなのかもしれない。

こんな映画を観てきた[52] ゲッタウェイ

   ゲッタウェイ
[The Getaway]
(1972/米 監督…サム・ペキンパー)

 銀行強盗の仲間割れでボスを殺したドク(スティーヴ・マックィーン)は妻キャロル(アリ・マックグロー)と共にひたすらメキシコへ向かって逃げるという作品。ボニーとクライド(『俺たちに明日はない』)は凄絶な最期を迎えたが、この二人、このての映画では珍しく、逃亡に成功してしまう。
 「何も信用できない」
 「何か信用しないわけにはいかないわ」
 「我、紙を信ず。紙幣に書いてある」」
 「お金だけが信用できるのね」
 二人の会話で、どうしたわけか半世紀近くも手元に在る1ドル紙幣を眺めてみた。どこかにはあるはずだが、小さな文字がたくさんあって探すのもめんどうになった…(和田誠著『お楽しみはこれからだ』より
 バイオレンスを扱って評価が高いと言われるこのペキンパー監督、名前はよく存じ上げているが、『わらの犬』だの『ワイルドバンチ』など、個人的には決して〝好きな映画〟リストには入らない、どちらかというと避けて通りたいジャンルだ(勝手に観なければよろしい…)。それにしても結構な演者をそれぞれ使っていて、この人やはりただものではないのであろう。

こんな唄に出くわした[22]    東高円寺

 実を言うと、令和になって出くわし唄ではない、半世紀程も前になるが知ってはいた。東京に来て、初めて住み、学生時代から就職をしてしばらくの約5年間を過ごした場所である。すっかり忘れていたが、ネットで偶然目に入って聴いてみた。
 厳密には東高円寺という駅(地下鉄丸の内線)はあるのだが、どこからどこまでが〝東高円寺〟なのか曖昧なのである。そういう地名はない。とりあえず、地下鉄駅を出たところ、蚕糸試験場(現・蚕糸の森公園)界隈ということになろうか、東へ少しあるけば、地名として、北東にひろがる『中野』で、逆方向に青梅街道を進むと、環七をくぐったらもう正真正銘?高円寺ということになる。そういえば、この唄も歌詞に関しては実に曖昧、当時は気楽に飲める店が軒を並べたり、若者が集まるような場所ではなかったような気がする。地下鉄の駅を出てすぐの露地を入ると蚕糸試験場の万年塀から湧き出るように伸びる桑の木、それが尽きると区立の小学校から、同じく中学校の裏門があって、そこで左に折れて、すぐに右に曲がると、やや広めの道に出る。正面にスーパーマーケット(山手ストアといったか?)とその隣に銭湯(これは大和湯と覚えている)、そこを左に行くと女子大、右に行くと坂道の始まりに週に1、2度は夕食をいただいた『母屋』(ここのおかみさんに、実の親より先に大学の卒業証書を見せて、何かご馳走されたような微かな記憶がある)という居酒屋があって、上りきると、これも行きつけの『たんぽぽ』(一階がそば屋で、そこがたぶんオーナーであったはず)という喫茶店、それを遣り過ごして環七に至り、陸橋を渡ると妙法寺である。パチンコ屋はあった、映画館(封切館などではない)もあったが、それでもいわゆる閑静な住宅地なのであった…大きな宗教団体の本部があったり、救世軍の関連施設などもあって、日曜の夕方には楽団の小さなグループが、ラッパ吹かして辺りを練り歩いていたような記憶がある。

  東高円寺

     作詞‥吉田 健美
     作曲‥杉本 真人
     歌唱‥今 陽子

  ここでなくてはいけないなんて
  そんな理由は少しもないのに
  私は今でも東高円寺
  あのアパートで暮しています
  小さな部屋が息苦しいのは
  あなたのいないせいなのでしょうか

  気楽に飲める店は多いし
  気の合う仲間も沢山いるから
  私はこうして東高円寺
  このやすらぎにひたっています
  近頃何故か寝つかれないのは
  あなたを想い出にしたせいでしょうか

  雨の降る日は自転車に乗り
  ちょっと駅まで濡れて見たくて
  私はいつまで東高円寺
  心の中を知ってるくせに
  電車の音が気になりだしたら
  あなたを訪ねてこの街を出ます
  あなたを訪ねてこの街を出ます

 とにかく〝曖昧〟で、やや盛り上がりにも欠ける唄なのではあるが、歌詞の中に馴染みのある地名を見て、また淡々としたメロディーを聴くにつけ、とにかく沁みてきて、危うく涙さえあふれ出てしまいそうになるのだ。

こんな映画を観てきた[51] グッバイ・ガール

   グッバイ・ガール
[the Goodbye Girl]
(1977/米 監督…ハーバート・ロス)

『裸足で散歩』(67)、『おかしな二人』(68)でお馴染み?のニール・サイモンの脚本によるものだ。その後、この『グッバイ・ガール』を挟んで、『名探偵登場』(76)、『カリフォルニア・スイート』(79)、『昔みたい』(80)、『泣かないで』(81)等など、ほぼ毎年その戯作が世に出て、評価もそれぞれ高いという、見事というほかない。本作では、リチャード・ドライファスとニール・サイモンの妻であるマーシャ・メイソンが出演、いい意味で手慣れたものだ。
 さて、お話は…
 ニューヨークの片隅で、偶然、同居することになった男運の悪い子持ちの元ダンサーと、俳優とのコメディである。資料によるとニール・サイモンがこの二人のために書き下ろした作品だという。

 「俳優は舞台の上では素敵だけれど、実生活では民衆の敵よ」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)
 これまでの恨みつらみを男にぶつけているのだけれど、それまでの彼女の生き越しがよくわかる。
 そして、
 「ゆうべのこと忘れて」
 「だめだよ。日記に書いちゃった」
 二人が初めてベッドを共にした翌朝の会話(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)。
 クスッと笑わせてくれるやり取り、これこそが真骨頂、演者、監督、作者、まさに三位一体で愉しませてくれた。

こんな唄に出くわした[21]    夜明けのブルース

   夜明けのブルース

    作詞・作曲・唄:レイモンド松屋

 失礼ながら全く存じ上げなかったが、どうやら同郷らしい、このレイモンド松屋という人。この唄、五木ひろしが唄って10年と少し前にヒットしたというが、記憶がない…どうしたことであろう?偶然に聴いたのは、無論?五木ひろしの歌唱によるものだが、試しに検索してレイモンド松屋氏のもので聴きなおしてみた。内容はといえば、まあどうでもというか、取り立てて沁みるところもはっきり言ってないが、こうまで歌い上げられると、またふるさと近く(実際には少々離れたところで生まれたが…そこはまあ大目に見て…)避けては通れない曲として記録しておきたい。

  このグラス飲みほせば帰ると
  言えばお前がからみつくから
  すねてる肩をそっと引き寄せれば
  膝にもたれて耳元ささやく

  秘密に出来るの 誰にも言わずに
  トキメキこころは
  運命(さだめ)と信じて
  ここは松山 二番町の店
  渋い男の夜明けのブルース

  かっこつけて一人タクシー乗っても
  後ろ髪引く別れ口づけ
  ひきかえしたら思いっきり抱きしめ
  夜のしじまにとけてみようか

  秘密に出来るの きっと最後の恋だと
  トキメキこころは
  見つめ合う目と目
  ここは松山 二番町の店
  シャレた女の夜明けのブルース

  秘密に出来るの 誰にも言わずに
  トキメキこころは
  運命(さだめ)と信じて   
  ここは松山 二番町の店
  渋い男の夜明けのブルース

 「ここは松山 二番町の店」という箇所のほか、松山をイメージさせる文言はまるでないが、そこが路面電車の路線から少し入った、ご当地一番の盛り場であることに間違いはないようだ。その昔、親類の姉妹がスナック(何という店名だったか…)を営業していて、学生時代、帰省の折に顔を出しては、もしかするとご馳走になったかもしれない、申し訳ない、記憶がない。想えば、日野てる子という往年の歌手が、デビュー前にこの辺りで唄っていて、それが露見?するに及び在籍していた高校をやめることになったとかどうとか、そんなことを聞いた覚えがある。

こんな映画を観てきた[50] キャバレー

   キャバレー
[CABARET]
(1971/米 監督…ボブ・フォッシー)

 「人生はキャバレー」(ライフ・イズ・キャバレー)、映画の中の代表的な歌の歌詞だが、当時に限らず、今でもよく聴くほどのスタンダードとなった。
 「恋人を作るより友だちを作る方がむずかしいわ」とは、主人公(マイケル・ヨーク)をライザ・ミネリが誘惑し、拒絶され、彼女は友だちでいましょうとこの台詞を吐いた(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)。拒絶された理由は後にわかる…
 大戦前夜の頽廃ムード漂う中、そこにこのライザ・ミネルが放つ強烈な光(どちらかというと暗黒の光…)、後に内容よりも歌の方の評価が高かったと言われた(とても面白かったと記憶しているが)?『ミスター・アーサー』への出演があった彼女だが、やはり『キャバレー』での演技が鮮烈かつ際立っていたことに違いはないだろう。とにかく、母親(ジュディ・ガーランド)とは、真反対というか、見た目の印象だけだが、全く対照的で、ただただ驚かされるばかりだ。
 さて、監督のボブ・フォッシー、後に『オール・ザット・ジャズ』という自伝的作品を世に出した…のだが、どうしたわけか観ていない。よほど主演のロイ・シェイダーが〝お気に召さなかったか〟、タイトルのイメージとしてもぜひ観ておきたいと、当時はきっと思うはずであろうと考えるところであるが、何故か観ていない。少し調べてみると、この配役にはいろいろと悶着がついたらしく、作品の評価は高かったようだが、とにかく「こんな映画を観てきた」リストには入っていない

こんな歌を聴いてきた    翳りゆく部屋

   翳りゆく部屋

     作詞・作曲:荒井由実

  窓辺に置いた椅子にもたれ
  あなたは夕陽見てた
  なげやりな別れの気配を
  横顔に漂わせ

  二人の言葉はあてもなく
  過ぎた日々をさまよう
  ふりむけばドアの隙間から
  宵闇が しのび込む

   どんな運命が愛を遠ざけたの
   輝きはもどらない
   わたしが今死んでも

  ランプを灯せば街は沈み
  窓には部屋が映る
  冷たい壁に耳をあてて
  靴音を追いかけた

 正直言って、好きなタイプの歌い手(ミュージシャンと言うべきか…)ではない。ただし、この曲だけは別格である!・・・と思っている。壮大なる暗さ、宇宙空間につながる雰囲気に満ち満ちている。これを聴いた後に、映画『2001年宇宙の旅』のラスト(だけ)を観れば、今日という日は完璧である。学生時代だったか(卒業していたかもしれない…)、傾きかけたアパートの四畳半で、ヘッドフォン越しに聴いていた、時間は真夜中、想えば懐かしいというよりも、ただただおかしいばかりだ。