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こんな映画を観てきた[63] ヌレエフ

   ヌレエフ 伝説と遺産
     (2022/英 監督:キム・ブランストラップ)

 …歴史上最も偉大なバレエダンサーとして知られるルドルフ・ヌレエフを称え、彼がソ連から亡命後にロンドンでデビューした劇場「シアター・ロイヤル・ドーリーレーン」で2022年9月に開催された「ヌレエフ 伝説と遺産」をスクリーン上映。…と、ある資料にはある、あるのだが、ヌレエフというバレーダンサーの御尊名だけは存じ上げている、いるのだが、こんな、失礼、最近の物でもあり観ていない。またバレーというものに造詣どころか、語るもおこがましいところなので、同じ「ぬ」でも、今回は『濡れた欲情』(1972/日活 監督:神代辰巳)ということにしたい。
 主演は一条さゆりという人が自身の役で、ということなのだが、ここは伊佐山ひろ子ということにしたい、申し訳ないがその方が〝馴染み〟が深い?他に、白川和子、絵沢萌子、小沢昭一と錚々たる面々なわけだが、特に女優陣は主にテレビドラマなどで、実に細く長く生きてこられており、役者の一方の鑑みというべきか、それは少々大げさか…主役、脇役、斬られ役、いろいろなタイプがあったもので、それぞれ味わい深い。さて、この作品、ひところ(半世紀ほど大昔)日活ロマンポルノというジャンルは劇場まで出かけて偶に?鑑賞したものだが、これは、確かWOWOWでどうしたわけか〝ロマンポルノ〟というものを取り上げてドキュメンタリー番組を作り、その流れで、何本か放映したように記憶していて、その中の一本だったような、もしかすると『白い指の戯れ』というものだったかもしれないし、また、その内容については一切記憶になくて何も書けない。そんなことはどうでもいい、とにかくそのドキュメンタリーの中で、インタビューを受けるのは、もちろん白川和子さん、「裸のお仕事で呼ばれたのでしょう」と事をわきまえて打合せに臨んだところ、渡された台本の主役の欄に自分の名前を見て驚いたなどという話をしていたような、そんな記憶だけはある。低予算、65分?、ある条件を満たせば(何分以上か、全体の何%という事だったか忘れたが、〝そんなシーン〟?が盛り込まれていればあとは自由に製作してよろしいということで、後に邦画の名監督と言われる方々がここで修練し、花開くことになった、ということなのだろう。ちなみに、後にも先にも、二日続けて同じ作品を映画館にて観たのはこのジャンルから、『看護婦寮』(1978/監督‥西村昭五郎、主演・原悦子 岡本麗や本田博太郎が出ていたというが、これは覚えていない)で、映画館は新宿・歌舞伎町のミラノ座広場(と言ったか?)の入り口の地下に在った新宿日活であった。

こんな唄に出くわした[34]   悲しみよ一粒の涙も

   悲しみよ一粒の涙も

     作詞:荒木とよひさ
     作曲:浜圭介
     唄 :高山厳

  人は誰でも 人生の荷物をかかえて
  黄昏の駅舎(ホーム)から
  どこかへ乗り換える
  愛にはぐれた 女なら あしたを尋ねて
  足早に昨日を 逃げだすがいい

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 優しく 背中を見送って
  生きていれば いいこときっとあるから

  人は誰でも 
  この都会(まち)が積木の夢でも
  幸福の階段を どこかで探してる
  愛につまずく 女なら 昨日と別れて
  遠まわりの生き方を 見つければいい

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 疲れた 心を眠らせて
  夢よりも いいこときっとあるから

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 優しく 背中を見送って
  生きていれば いいこときっとあるから
  いいこときっとあるから

 『心凍らせて』と『傷つきながら』とこの曲で〝高山厳三部作〟(そんな定義はないが‥)とするならば、これが完結編か、事が〝生き死に〟に及び、「生きていればいいこときっとあるから」というところにむしろ深い絶望を感じるのである。救いがないという点では、北原ミレイの『棄てるものがあるうちはいい』と双璧か、むろん個人的に存じ上げているものの内で、ということになるのだが…
 2009年リリースとのことだが、17年前、いったい自分は何をしていたか、人生を想えばそれほどの昔でもないが、殆ど記憶にも印象にも残っていなくて、とにかく齷齪(あくせく)していたことだけは確かだ。「想い出よ 優しく 背中を見送って」はやはり綺麗ごとで、何につけ引き摺って、或いは見て見ぬふりをして、時間ばかりがただ過ぎていたような、それでもとりあえず生きていた、今も…

こんな映画を観てきた[62] ニュー・シネマ・パラダイス

   ニュー・シネマ・パラダイス
 (1989/伊・仏 監督:ジュゼッペ・トルナトーレ)

 シチリアの小さな村にある映画館パラダイス座。少年トトは母親に頼まれたお使いのお金をくすねては映画館にもぐり込む映画好き。映写室に入ってみたいトトはいつもアルフレードに追い返されていた。だが、ふたりの間にはいつしか年の差を超えた友情が芽生える。音楽はイタリアの巨匠エンニオ・モリコーネ(1928~2020)。『荒野の用心棒』(64)などマカロニウエスタンには欠かせない存在と言われたようだが、なんといってもこの作品における音楽の評価が高い…ということらしい。序章だったか、キスシーンのコレクション?にざわつく少年(たち)の表情と周囲の大人たちのうろたえぶりは〝秀逸〟だった。
 私の映画好きのスタートはわからない(もしかすると、父の胡坐に納まって観た『丹下左膳・こけざるの壺』かもしれない)が、常設の映画館が近所になかった者が、突如映画館通いに耽ることになるきっかけは『スティング』、遅い〝デビュー〟であった。そういうことまで思い起こさせてくれた映画だった。
 「人生は映画とはちがう。人生はもっと困難なものだ」
 「身体が重いと足跡も深くなる。恋心も強いと傷が深い」
 映写技師が垂れる教訓だが、実は別の映画からの〝流用〟であることを白状する。(『お楽しみはこれからだ Part5』:和田誠著)
 愉しみが一つの事に集束していた時分に、その大好きな〝環境〟の中で、こんなこと言われたらそれこそ身に沁みるものとなっただろう。

こんな唄に出くわした[33]   青春(ゆめ)追えば

   青春(ゆめ)追えば

      作詞:荒木 とよひさ
      作曲・唄:堀内 孝雄

  人知れず恋する この慕(おも)いは
  少年の 淡き心のように
  鰯雲流れる 空を見つめ
  鳥にさえなれた 遠き日を忍べば

  君想う 君は何処に
  幼き子の 手を引いているのか
  青春追えば 青春は遥かに
  いま生きることが 見えてきても

  道草をたどれば この手のひら
  雲ひとつさえも つかめぬままに
  秋桜をゆらして 丘を駆ける
  風を呼び止めて あの日をたずねる

  君想う 君は何処に
  平凡でも 幸福でいるのか
  青春(ゆめ)追えば 青春は遥かに
  いま過ぎし日々を 振り返れば

  君想う 君は何処に
  平凡でも 幸福でいるのか
  青春追えば 青春は遥かに
  いま過ぎし日々を 振り返れば

 1996年発売というから、30年前ということになる。まったく記憶にない、想えばこの時期、唄を聴いたり、また唄ったりしなかったような…今以上にいろいろと余裕がなかったのかもしれない。知らない歌い手でもなく、当時すでに「世代の(唄える)唄がない」とアリスから離れ、演歌歌手などと妙なレッテルにも甘んじて?、かつヒットメーカーとして活躍していたはずなのだが、この曲については覚えがない。ある種の〝パターン〟を感じざるを得ないところだが、それでも「そうだよなぁ、切ないようなぁ」などと想わされたりして、よく沁みるものとなっている。

こんな映画を観てきた[61] ナイル殺人事件

   ナイル殺人事件
 (1978/英・米 監督:ジョン・ギラーミン)

 原作は、言わずと知れたアガサ・クリスティである。ナイル川を遊覧する船の上での事件、列車(オリエント休耕殺人事件)、砂漠(死海殺人事件)、孤島(地中海殺人事件)、ステージの大小はそれぞれだが、いずれお馴染みの密室殺人事件の推理ドラマだ。
エルキュール・ポアロにはピーター・ユスチノフ(個人的には、作り込んだアルバート・フィニーがよかったのだが…)、まず殺害されるのがロイス・チャイルズ(007ムーンレイカーでボンドガールに抜擢されてこの頃が絶頂だったか?)、他にジェーン・バーキン、ベティ・デービス、ミア・ファロー、ジョン・フィンチ、オリビア・ハッシー、ジョージ・ケネディ、アンジェラ・ランズベリー、デビッド・ニーブン、マギー・スミス、ジャック・ウォーデン、・・・この中に、犯人がいたり、次に完全犯罪遂行の邪魔になって殺害される人物がいるわけだが、もうそんなことはどうでもよろしい、さぞかしそのギャラだけでもたいへんなことになっていたろうと推察される、豪華を超えて、少々やり過ぎ、〝顔見世興行〟の様相だ。おのずと展開が緩慢で内容も若干薄めになってはしまわないかと心配してしまう。さて結果は?評価はそれぞれだろうが、案の定というか、とりあえず〝クリスティ原作のポアロ物〟ということで、こちらとしては大満足なのである。
詳しくは言えないが…ポアロがミア・ファローに言う…
 「邪悪を心に入れると棲みつきますよ」
 「愛のない心には邪悪も入るわ」(『お楽しみはこれからだ・PART3』和田誠著)
絢爛豪華、どんでん返し、やり過ぎると少々浅はかな事になってしまうこともある。〝邪悪〟はやはり潜むもので、そうした部分は表に出さずにこちらにじっくり読み取らせて欲しかった、そうしないと大団円の驚きも納得するばかりで驚きはない…と当時思ったような記憶がある。

こんな唄に出くわした[32]   矢車の花

   矢車の花

      作詞:小谷 夏
      作曲:中村泰士
      唄:北原ミレイ

  後姿の女の背中に 細い径がある
  径をたどれば女の胸には
  涙の谷がある
  忘れてくれなんて
  言うから忘れない
  矢車の矢車の花を一輪
  もう一度夢ひとつ咲かせてみたい

  恋をなくした女のほほには
  白い河がある
  河を下れば女の瞳に
  涙の海がある
  愛しすぎたことに
  どんな罪があるの
  矢車の矢車の花は乱れて
  実らない恋ひとつしおれて消えた

  想い出さがす女の心に 暗い坂がある
  坂をのぼれば女の住む町
  涙の町がある
  あなたが帰るまで
  心に灯をともし
  矢車の矢車の花を一輪
  諦めたこの胸に飾って待つわ

 同じ唄を小林幸子も歌っていて、こちらは『矢車日記』というタイトルで、〝立派な〟歌謡曲であるのに対して、北原ミレイのものとなると、より裏のうらがありそうで、いずれも沁みるが、くり返し聴き込んでも飽きることなく、つまり沁みこみ方(?)が随分違うのである。

こんな映画を観てきた[60] 友よ静かに死ね

   友よ静かに死ね
  [LE GANG]
(1976/仏 監督…ジャック・ドレー)

 アラン・ドロンの訃報から一年が経った。この人、〝死〟というものに対して、ある種美的なものを感じて、それを作品に持ち込んでいたのかもしれない。この時期の作品では、彼は最後にはよく死んでしまう。ここでも、ラストに近く、強盗先の女主人に銃弾を撃ち込まれてしまい、とはいえ、虫の息であじとにもどり、悲しみにくれる恋人や仲間達に囲まれるのだが、ただでは死なない。内容はというと、プログラムがあるので、確かに見もしたし、珍しく原作(ロジェ・ボルニッシュ、もちろん翻訳)を購入して読んだ。えらく厚く、長い物語だったようだが、映像ともどもあまり記憶に残っていない、そういう一本だったのだろう…あくまでも個人的にということで。
 パリがまだ戦争の傷跡をなまなましく残していた頃。どこにでもいるような平凡なその男たちこそ、実は愛車シトロエンを駈って神出鬼没の犯罪をくりかえして警察の激昂を買っているギャング一味だった…という物語。プログラムには「暗黒街に生きる男を演じるとき、まさにその本領を発揮するアラン・ドロンが、みずから製作・主演」とあるが、本領はまた別のところにあったような…それでも、ドロン自らの製作であることからして、彼の思い通りのスタッフ、キャストを揃えたのだろう。微かな記憶だが、小道具としてのシトロエンなども彼所有のコレクションであったような…それはまた別の作品の事だったかもしれない。

こんな歌を聴いてきた    リリー・マルレーン

   リリ・マルレーン

  作詞:Hans Leip, Nobert Schultze
  訳詞・歌:加藤登紀子
  作曲:Hans Leip, Nobert Schultze

  ガラス窓に灯がともり
  きょうも町に夜がくる
  いつもの酒場で陽気に騒いでる
  リリーリリーマルレーン
  リリーリリーマルレーン

  男達にかこまれて
  熱い胸を躍らせる
  気ままな娘よみんなのあこがれ
  リリーリリーマルレーン
  リリーリリーマルレーン

  おまえのあつい唇に
  男達は夢を見た
  夜明けがくるまで すべてを忘れさせる
  リリーリリーマルレーン
  リリーリリーマルレーン

  ガラス窓に日が昇り
  男達は戦(いくさ)に出る
  酒場の片隅 一人で眠ってる
  リリーリリーマルレーン
  リリーリリーマルレーン

  月日は過ぎ人は去り
  おまえを愛した男達は
  戦場の片隅 静かに眠ってる
  リリーリリーマルレーン
  リリーリリーマルレーン

 もう半世紀も昔のことになろうか、TBSラジオの深夜放送に『パックインミュージック』という番組があって、パーソナリティは野沢那智さんと白石冬美さんだった。そこで、鈴木明というライターを招いて「リリー・マルレーン」をテーマに2時間特番を組んだことがあり、ご丁寧に、カセットテープに録音して何度も聴きなおした記憶がある。テープは長く手元に在ったが、引越したり、肝心のプレイヤーがなくなったりで、今や行方不明だ…でも、物持ちの良さから?まだ何処かにあるかもしれない・・・
 そこで、一番の記憶に残るのが、大戦時、欧州戦線において、敵味方双方がある時刻になると同じ唄をラジオで聴いていたのだという、それが『リリー・マルレーン』だった。さて日本兵はどうだったのか、どうやら日本の軍用車(自動車やら戦車やら?)にラジオが付いてなくて聴かなかくて、ついぞ流布しなかったということらしい。
 〝『ドイツ兵のみならず、イギリス兵もラジオをその波長にあわせ、毎晩耳を傾けた。』歌は戦線を越えたのである。前線ばかりでなく、ドイツ国内でも、「21時57分にはベオグラード放送にダイヤルを」が合言葉になった…。〟(『リリー・マルレーンを聴いたことがありますか』鈴木明著)
  兵営の前 営門のわきに
  ラテルネ(街燈)が立っていた
  それはいまでも立っている
  そこでまた君に逢おう
  あのラテルネの下で
  もう一度 リリー・マルレーン
  ※著者訳

 映画にもなった!『リリー・マルレーン』(1981/西独 監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー)。歌手であり、女優でもあったというララ・アンデルセンの生涯をもとにして物語としたものである。その内容としては、「歌とはあまり関わりなく、印象として弱く、さほど記憶にも残っていないが、この歌だけはずっと心に沁みっぱなしという事に相成った。」と当時のメモにはある。

阪神が優勝してしまった

   阪神が優勝してしまった

 阪神タイガースが優勝してしまった…ぶっちぎりで。まさに嬉しくもあり、それでいてどこかに哀しさ、儚さも残る。2025年9月7日、『2リーグ制となった1950年以降で最も早い日にち』だというが、そんなことはどうでもいい、あとのこと、まだまだ気苦労は続くが、まずはひとまずの解放感に浸ることになる。
10月2日のシーズン最終戦、なんとか勝利して、我が母校の後輩たる先発投手は最多勝利に並び、主力選手はホームラン王としては文句のない40号と 100点を越える打点を達成した。貯金は〝31〟(敗れていたら29でこれはまた哀しいことであったが、なんとか堪えた…)、これも文句はない、というより冷静に見れば出来過ぎだろう、また来年あたり揺り戻しというか、痛い〝しっぺ返し〟をくらう予感が漂う、まことに切ない。
 そして、大病を克服して、その記録にしては、本人としてももしかすると不本意かもしれないが、とにかく明らかにファンの記憶の中にに深く刻まれた選手の引退。主力投手のメジャー行きも取り沙汰されている、これもまた実に切ない。1985年のことで、「生きてて良かった、こんなこともある」と悦びの感慨に耽ったものとしては、2023年のことは、もう〝冥途の土産〟も頂戴して、思い残すことはない…ところではあるのだが、今年、哀しい結果を得ることとなれば、また切なさは残る、そんな面倒な心理が哀しい…のである。

こんな唄に出くわした[31]   哀歌(エレジー)

   哀歌(エレジー)

     作詞・作曲:谷村新司
     唄:八代亜紀

   からだに残る傷でさえ
   消えないことがあるという
   まして心の傷あとを
   抱いて生きるも女ゆえ

   あきらめきれぬ恋ゆえに
   くちびる噛んで身を焦がす
   涙流せば今日までの
   がまんがすべて嘘になる

   帰る家さえない鳥が
   寒さこらえて空を見る
   二度と飛べない空ならば
   かくしておくれ今夜から

   死ぬも生きるもさだめなら
   恨む気持ちはないけれど
   せめて一夜の情けでも
   あれば苦労も耐えられる

   あれば苦労も耐えられる

 文字通り、哀しくもつらい唄である。が、決して〝貧乏くさい〟ものではない。歌詞は暗いが、根底に〝高濃度〟のエネルギーを感じて、従って聴けば聴くほど、飽きず、逆に元気が出てくるではないか。これもくり返し聴くことができる〝沁みる〟唄なのである。