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こんな映画を観てきた[41]    看護婦のオヤジがんばる

   看護婦のオヤジがんばる
   (1980/日 監督:神山征二郎)

 微かな記憶である、細かい事は覚えていない。タイトルすらあやしかった。確かテレビ鑑賞であったかと思うが、あくまでもコメディ仕立てで、テーマの押しつけもなく、ただただ愉しくも感動することの多い作品だった。絵の道に進みたかった夫(前田吟)は仕事が終ると家で版画を彫ったりしている。結婚の時に、「好きな絵を描かせてあげる」と理解ある妻(佐藤オリエ)は看護婦である。
 ところが看護の仕事はまさに激務で、夜勤続きから過労で倒れる。子供の世話など家事一切が夫の役割となって彼は途方に暮れる。命をすり減らすように献身的看護を続ける妻に、この夫はどう対応したか?やがて夫は意を決して「十分な労働条件と休息がなぜないのか、看護婦のオヤジたちよ、あなたは辛くはないですか。このままでは私たちの家族は完全に破壊される。政府は、厚生省は、わたしたちをどうしようとしているのですか……」(すっかり忘れていたが、資料によると投書の内容はかくのごとしであった…)と新聞に投書した。その反響が大きかったというお話である。メッセージは重く、それなりの狙いもあったろうが、なんとなく鑑賞後爽やかな気分になったことを覚えている。
   ※『看護士』とすべきところかもしれないが、ここではタイトルに敬意を表して『看護婦』とした。

こんな唄に出くわした[16]    驛舎(ステーション)

   驛舎(ステーション)

    歌手:テレサ・テン
    作詞:荒木とよひさ
    作曲:三木たかし

  落葉がホームに音もなく舞い散る
  まるで私の心のように
  人影とだえたベンチで
  過去から逃げだす汽車を待つ
  愛にそむかれても心だけは
  あなたの部屋に置いてゆくわ
  あの暮らしも想い出もこの驛舎に残して
  あの暮らしも想い出もこの驛舎に残して

  コートの襟たてうつむけば黄昏
  まるで映画の場面のように
  小さなトランクひとつが
  なおさら悲しい旅だけど
  愛にそむかれても死にはしない
  たとえつめたい冬が来ても
  あの暮らしが想い出がこの驛舎にあるから
  あの暮らしが想い出がこの驛舎にあるから

  愛にそむかれても死にはしない
  たとえつめたい冬が来ても
  あの暮らしが想い出がこの驛舎にあるから
  あの暮らしが想い出がこの驛舎にあるから

 『驛舎』というタイトルだけで、ちょっと聴いてみた。もうこんな驛は、少なくとも首都圏には存在しないだろう、近郊の路線でも、たとえある種の趣はあっても、それは姿かたちだけ、〝奥行〟を感じられない…だろう。今のそれは暮らしとか、それに基づいた思い出とは遠く離れたところにおさまっている。
 その昔、駅舎の前の広場は朝のラジオ体操のための会場で、眠い目をこすりつつ集まる子供たちの正面に大きな窓、それが開け放たれて、かなり大き目なラジオが登場する。そのスイッチを入れるのは長くそこに務めた父であったか…終われば、後輩たちのカードに判こを押して、三々五々みんな消え行く。父はラジオを片づけて、窓を閉めて通常勤務に就く、日常もドラマもそこに在った。

こんな唄に出くわした[15]    新宿挽歌

新宿挽歌

     作詞:なかにし 礼
     作曲:船村 徹
     唄 :藤 圭子

  やせた私がモデルなら
  あなた売れない絵描きさん
  夢しかなかった新宿で
  凍りつくよな貧しさを
  耐えた二人は若かった

  むかし話で酒を飲む
  そんな二人になりました
  すっかり変わった新宿で
  あなた今でも一人なら
  やってみましょうもう一度

  街の名前が変わろうと
  街の姿が変わろうと
  あなたは私のふるさとよ
  ごらん新宿西口に
  しずむ夕陽は変わらない

 1987年に発売された、藤圭子シングル40曲目とのことだが、まったくもって記憶がない、恥ずかしながらこの唄のことは知らなかった。確かに個人的〝アイドル〟であったはずなのだが不覚だった…思えば、その頃(阪神初の日本一!の2年後)つまり我が〝ローリング・サーティ〟時代の記憶があまりない、むしろそれ以前のことならわりと覚えている。自分自身の歴史が曖昧な時の唄など残るはずもなく、古希を前にして出くわしたしだいである。ネットに触れなければそれもなかったかもしれない。

こんな映画を観てきた[40]    ロンゲスト・ヤード

     ロンゲスト・ヤード [THE Longest Yard]
           (1974/米 監督:ロバート.アルドリッチ)

 元NFLのクォーターバック(バート・レイノルズ)が囚人たちの即席のチームを叩き上げ、憎っくき看守チームに仕返しをする…というなんとも〝男くさく〟も痛快ファンタジーなアメリカ映画らしい作品といえるが、これだけ〝男性的〟で頻繁に出てくるスラングの数々(覚えていないが)からして、現代では〝コンプライアンス〟的、いや時代風潮のプレッシャーからして製作できないかもしれない。いかにも実直なエディ・アルバート(『ローマの休日』のペックさんの同僚だった)にこれぞ陰険、悪玉の権化といえるエド・ローターと見事な配役なのであった。
 B・レイノルズは2018年、82歳で亡くなった。当時の記事には「死因はあきらかにされず、心臓発作の情報がある」と報じられているが、スターの死はそのくらいミステリアスであっていいと思う。この映画の直後、彼はメル・ブルックス監督の『サイレント・ムービー』なんて何とも珍妙な作品にゲスト出演みたいなかたちで登場する…、俳優としての評価は当時高いとは言えなかったかもしれないが、もしかするとその良さを本当にわかっていたのは奥さんである(であった?)アカデミー女優のサリー・フィールドで、彼としてもそれで良しとしていたのだろう…と思っている。

こんな唄に出くわした[14]    Tokyoに雪が降る

     Tokyoに雪が降る

     作詞:美樹 克彦
     作曲:杉本 眞人
     歌 :チェウニ

  臆病なふりをして 愛されてた時もある
  ためらえば それきりの
  人だと分かってても
  あなたから さよならを
  云われるのが 辛いから
  恋心 閉じこめる 氷の部屋があるの
  涙を流して 憐れみを乞うような
  そんな女には そんな女には
  なりたくないわ
  Tokyo に雪が降る しんしんと積もる
  Tokyo に雪が降る こんなに こんなに  哀しい 雪が降る

  寒々とした部屋に 鳴り続けるベルの音
  あなただと 分かってる
  引きとめる すべはない
  これ以上 やさしさで
  振り回さないでほしい
  あなたには 私より
  暖かい場所がある
  お酒に縋って 思い出語るような
  そんな女には そんな女には
  なりたくないわ
  Tokyo に雪が降る しんしんと積もる
  Toky に雪が降る 思い出 隠して
  哀しい 雪が降る
  Tokyo に雪が降る しんしんと積もる
  Tokyo に雪が降る 思い出 隠して
  私に 雪が降る

 10年ほど前の曲らしい。それほどの大昔でもないが、まったくもって印象に残っていない。チェウニという歌手のことについてはなんの記憶もなく、遡って尋ねようという気にもならないが、ただ、作詞の美樹克彦という名は懐かしく、子供の頃買い求めたレコードに『回転禁止の青春』があって、今更ながら〝不良〟っぽいものに若干の憧れを持ったことを覚えている。またそれが〝良い子〟が憧れる〝不良〟の限界?であったかと思い出す。とにかく、最近になって、この歌に出くわして、ジャンルはわからないが、詞・曲ともに少々沁みたわけである。この人には(作曲の杉本眞人と言うべきか?)〝Tokyo 三部作〟というものがあって、この後に『トーキョー・トワイライト』、『星空のトーキョー』が続くのだが、どれも繰り返し聴いても飽きることなく悪くないが、似たようなものであり、だからこその三部作なのだろう。

こんな映画を観てきた[39]    くたばれ親父

   くたばれ親父
     (1970/日本 監督:舛田利雄)

 先日、テレビのチャンネルを目的なくいじっていたら、偶然この映画に出くわした。もう何十年も昔の事、どこかの劇場で観た記憶がある、微かに…二本立てのもう一本を観るのが主たる目的であったか、まさかこれを観に行ったわけではあるまい…と思うのだが。原作が石原慎太郎、主演が石原裕次郎、共演が若尾文子ときたもんだ!わざわざ行くわけがない…それにしても〝スパルタ〟ということを最高の善として、こうまで奉られると、へそ曲がりとしてはかえって反感もそこそこいろいろと難しい世の中にあって、ちょっとした〝癒し〟といえなくもない。
 覚えていたシーンといえば、主役(もちろん裕次郎!)がプロ野球の審判で主審を務めた試合の終盤、ホームでのきわどいジャッジ、今ではチャレンジ(日本ではリクエストか…)でビデオ判定となり、決着は早いが、当時は「早く帰りたいからアウトにした」と激しい非難を受けるが、翌日の新聞に載ったそのシーン、ホームに滑り込む選手の足が捕手の態勢の隙をついていて見事にセーフが証明され、筋の通った裁定に喝采!と当然そうなる。これとかわいい双子の子供たちのいたずらの数々であったか…考えてみれば大して感動もなく、微かにでも記憶に残っていた訳がわからないが、とにかく懐かしかった。数少ない記憶に残る邦画の一本には入っている。

こんな歌を聴いてきた    能古島の片想い

   能古島の片想い

     歌: 井上陽水
     作詞:井上陽水
     作曲:井上陽水

  つきせぬ波のざわめく声に
  今夜は眠れそうにない
  浜辺に降りて裸足になれば
  とどかぬ波のもどかしさ
  僕の声が君にとどいたら ステキなのに

  つめたい風は季節を僕に
  耳うちすると逃げてゆく
  ときおり砂はサラサラ泣いて
  思わず僕ももらい泣き
  僕の胸は君でいっぱいで こわれそうだ

  遠くに見えるあかりは
  南へ行く船の幸せかな

  悲しいだけの今夜の気持
  なにかをすればまぎれると
  星屑なんか数えてみても
  涙でそれも続かない
  君が僕の中にいるかぎり
  波の声で僕は眠れない 本当なんだ

  2005年発売というから、平成になってからの作品という事になる、もっと前のものかと思っていたが、平成…であった。そして、井上陽水の曲の中で、個人的にとりわけ〝沁みる〟ものなのである。『少年時代』とはまた違った物語で、曲調もあくまで軽快、詞の内容も決して薄くはないが、浅いといえば相当に浅い、重くない分繰り返し聴いても飽きない…ということになる。
  亡くなってしまったが、長い付き合いだった知人(恩人といってもいい…)の子供さんが、そのパートナーとともに、この島で現在観光農園なるものを経営されている。知人ご本人も晩年その手伝いをされていたということだ。博多の沖にあるその小さな島を一度訪れてみたいとも思っていたが、さてどうしたものか、今後の予定としてとりあえず心に置いておくこととしようか…

こんな映画を観てきた[38]    リリー・マルレーン

   リリー・マルレーン[Lili Marleen]
(1981/西独 監督:ライナー・ベルナー・ファスビンダー)

 ナチスの勢力が増す一方のヨーロッパ。有能な音楽家でユダヤ人のロバート(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は、仕事の旅行に、愛人で歌手のビリー(ハンナ・シグラ)を伴っていた。彼女はレコードを吹き込むことになり、放送局で“若き歩哨の歌”をかけるところを誤ってその“リリー・マルレーン”を流したことで、リクエストが殺倒。彼女は一躍人気スターになった。(資料より)
 歌手であり、女優でもあったというララ・アンデルセンの生涯をもとにして物語としたものである。当時、欧州戦線では、両軍ともにその戦車などにはラジオが装備されていて、前線で敵味方別なくおなじこの歌を同時に聴いていたという…ことを大昔深夜放送の某コーナーで聞いたことがある。日本軍にはそんな装備は存在せず誰も聴いていない…らしい。内容は歌とはあまり関わりなく、不倫としての恋愛物語で、印象として弱く、さほど記憶にも残っていないが、この歌だけはずっと心に沁みっぱなしという事に相成った。これはドイツ側が舞台だったが、西側に亡命したマレーネ・ディートリッヒの歌唱で全世界に広まり、日本では、加藤登紀子によるものがよくよく心に沁み入っている。思えばまだこの時、西ドイツという国名があった・・・

こんな唄に出くわした[13]    風の盆恋唄

   風の盆恋唄

     歌 :石川さゆり
     作詞:なかにし礼
     作曲:三木たかし

  蚊帳の中から 花を見る
  咲いてはかない 酔芙容
  若い日の 美しい
  私を抱いてほしかった
  しのび逢う恋 風の盆

  私あなたの 腕の中
  跳ねてはじけて 鮎になる
  この命 ほしいなら
  いつでも死んで みせますわ
  夜に泣いてる 三味の音

  生きて添えない 二人なら
  旅に出ましょう 幻の
  遅すぎた 恋だから
  命をかけて くつがえす
  おわら恋唄 道連れに

 こんな唄があったということは微かに覚えている。『天城越え』の“その後”みたいな印象もあるが、こちらは、大ヒット!ということにはならなかったようだ。「メラメラと燃え盛る」というものではなくて、どちからというと青白い冷たい情念の炎…といったところか、物語性も希薄で、いかにも刹那的であり、それでいて沁みる、静かに…。『風の盆』といっても、その舞台である富山県富山市八尾地区には立ち寄ったこともないが、“生き死に〟と冷徹に、そしてより直截的に向き合う空気感が迫ってくる…ようだ。

こんな映画を観てきた[37]    リトル・ロマンス

     リトル・ロマンス[A Little Romance]
         (1979/米 監督:ジョージ・ロイ・ヒル)

 “映画狂”となってしまったきっかけである『スティング』のジョージ・ロイ・ヒル監督による青春ロマンスで、ダイアン・レインの映画デビュー作。ベルサイユ宮殿で出会った、それぞれIQが非常に高いフランス人の少年ダニエルとアメリカ人の少女ローレン。ふたりは謎の老人(これがなんとサー・ローレンス・オリビエ)から聞いた「ベネチアにあるためいきの橋の下で、日没の瞬間にキスした恋人たちは永遠に結ばれる」という伝説を実行しようと、ベネチアへと旅立つ。
 この作品が上映されてから3年ほど後にこの地を訪れた…想えば40年も大昔のことである。この橋を渡ると二度と元の世界に戻れない、つまり監獄への一方通行の橋なのであって、けっしてロマンチックなものではないが、確かに海に向かってこの橋をゴンドラでくぐり、その先に夕陽があれば、〝永遠〟という言葉もぐっと身近に感じられるかもしれない。夕刻になってサンマルコ広場の片隅に陣取る…そして『サマータイム・イン・ヴェニスー旅情ー』の演奏が始まる、本来の目的はこちらであった!