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こんな映画を観てきた[67] ピンクの豹

     ピンクの豹
       (1963/米 監督:ブレーク・エドワーズ)

 BBといえばブリジット・バルドー、MMはマリリン・モンロー、そしてCCはクラウディア・カルディナーレ。主演は怪盗紳士にデビッド・ニーブンなのだが、後にシリーズ化された功績はもちろんご存じ!クルーゾー警部ことピーター・セラーズにある。CCといえば、やはり『刑事』(1959/伊 ピエトロ・ジェルミ監督)、あれほどの〝凄み〟を感じさせる美形の女優さんはそうはいない…と思う。いまでもあの「アモーレ・アモーレ・アモレミーオ」の旋律が頭の中を駆け巡る。昨年(2025)亡くなったが、1938年の生まれというから、あのアラン・ドロンと同い年ではないか、映画好きの先もどうやら見えてきたか?
 「私はお酒は飲みません。現実に満足していますから」
 「私も現実に満足しています。私の現実には酒も含まれておりますが」
     (『お楽しみはこれからだ Part2』:和田誠著)
 宝石目的で、さる国の王女(CC)に近づく怪盗(D・ニヴン}、2人の会話だ。思えばこんな洒落た台詞のやり取りも最近のものからは聞こえてこない…映画を観なくなったせいだけなのかもしれないが。

こんな唄に出くわした[37]   水鏡

       水鏡

       作詞・作曲・唄:鈴木一平

  一生一度きりの 別れならばいいものを
  人は幾度となく  悲しみを繰り返す
  手探りの中でふと 抱かれるような
  甘い思い出は 通り過ぎていく
  振り返ることなく 
  明日だけを見つめながら
  いつか来た道と 気付かずに歩いた
  そこは幸せと不幸の別れ道
  悲しみおぼえた出逢い道
  私だけのあなたには
  なってくれるはずがない
  心のぬくもりも 今は
  わすれてみるわ わすれてみよう
  揺れる二人の 夢もよう

  水に浮かぶ枯葉に 目を向けると
  丁度今の私 同じように見えた
  風に打たれ雨に打たれ
  たどる道は 苦しみおぼえた 迷い道
  はかない恋の ほろ苦さを知って
  強がりはよせよと 口ずさんでみます
  あふれる涙は とめどなく流れて
  とまどう私は 闇の中
  私だけのあなたには
  なってくれるはずがない
  心のぬくもりも 今は
  わすれてみるわ わすれてみよう
  揺れる二人の 夢もよう

 1980年の曲だというので、どこかで聴いたことはあるのだろうが、記憶にない。ただ20代で聴くには少々生々しくはないだろうか…何らかの事情で?こうした世界、雰囲気からはその頃距離をとっていたのではないかと思う。というわけで古希を過ぎて出会ってしまった。フォークソングのジャンルではないようだが、まさにシンガーソングライター、詞にも曲にもさぞかし力が入ったように見受ける。偶々の事ではあるが、半世紀を経てようやく沁みてくるということも、もしかするとあるのかもしれない。

こんな映画を観てきた[66] パリは燃えているか

     パリは燃えているか
      (1966/仏・米 監督:ルネ・クレマン)

 戦争映画というジャンルの作品で、フランスとアメリカによる、いわゆるオールスターキャストものである。しかしなが、『史上最大の作戦』ほどのスケールもなく、映画史に残る…ほどのものにはならなかったかもしれない。「パリ解放に連なる大攻防戦を豪華出演陣によりドキュメンタリー・タッチで見事に描いた大作」というコメントも見られたが、フランスが製作の主力であったか、どちらかというと「レジスタンス映画」というべきかもしれない。ジャン・ポール・ベルモンド、アラン・ドロン、イブ・モンタン、ジャン・ルイ・トランティニャンが出ている。アメリカからカーク・ダグラス、グレン・フォード、オーソン・ウェルズまで出ているが、力の入れ具合からいうと、やはりフランス寄りなのだろう。
  「パリは燃えているか?」
 そのままタイトルだが、ヒトラーがパリ占領地区の司令官(これがゲルト・フレーベ、『007ゴールド・フィンガー』でのゴールド・フィンガーその人!)に、もしパリを撤退することがあったらパリを焼き払えと命令するが、彼は最後の瞬間、爆破命令を出さなかった。そして、受話器からこのヒトラーの叫びがむなしく聞こえてくるというわけである(『お楽しみはこれからだ Part3』:和田誠著)。味わい深い設定ではあるが、やはりアメリカ資本には抗えなかったか、顔見世のお祭り気分が先行したと和田氏も言っている。

こんな歌を聴いてきた    バラ色の雲

     バラ色の雲

       作詞:橋本淳
       作曲:筒美京平
       唄: ヴィレッジ・シンガーズ

  バラ色の雲と 思い出をだいて
  僕は行きたい 君の故郷へ
  野菊を飾った 小舟の陰で
  くちづけ交わした 海辺の町へ
  初めて見つけた恋のよろこび
  君はやさしく 涙をふいていた
  バラ色の雲と 思い出をだいて
  逢いに行きたい 海辺の町へ

  初めて見つけた恋のよろこび
  君はやさしく 涙をふいていた
  バラ色の雲と 思い出をだいて
  逢いに行きたい 海辺の町へ
  
  逢いに行きたい 海辺の町へ

 何とも簡単な歌詞である。これで全て…曲の方はともかく、歌詞としては〝手抜き〟ではないのか?それとも歌詞はこの場合あまり意味を持たない、その必要がないということなのだろうか。しかし子供のころ我が親たちはこのグループサウンズ(といってもいいだろう)の歌唱を聴くのを許した。なぜか、彼らの髪が短かったから…かもしれない。

こんな映画を観てきた[65] のぼうの城

   のぼうの城
(2012/日 監督:犬童一心・樋口真嗣)

 “のぼう様(でくのぼうの意)”と領民から慕われる城代・成田長親は、天下統一を目指す豊臣秀吉方2万人の大軍を指揮した石田三成の水攻めに、わずか 500人の兵で対抗する。中国の歴史小説『墨攻』にも多少影響を受けているか、弱者が創意工夫で巨大な的に立ち向かう…という成り行きは、たとえ結局力及ばずということになろうと、とにかく〝うける〟こと間違いなしなのである。テレビ放映であったが、なかなかに愉しめるものだった。

こんな唄に出くわした[36]   めぐり逢い紡いで

   めぐり逢い紡いで

     作詞:るい
     作曲・唄:大塚博堂

 胸のボタンひとつはずして
 あなた好みに変わってゆく
 ただひたむきに愛されたい
 惜しみなく奪ってほしい

 はじめてつけたマニキュアが
 もろい かける 割れる はがれる
 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

 束ね髪をふわり広げて
 かわいい女つくろって
 ただひたすらにつなぎとめる
 行かないでこっちを向いて

 はじめてつけたマニキュアが
 もろい かける 割れる はがれる
 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

 めぐり逢い紡いで愛の色に織りあげた
 あなたへの燃える火を
 断ちきれない
 消せはしない

 大塚博堂はもうこの世に居ない。1981年に37歳の短い命を終えていて、倒れてから4日後に亡くなったのだそうだ、資料によると…
 「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」というのは聴いた記憶があるが、その後の1977年に「過ぎ去りし想い出は」(1977)、「めぐり逢い紡いで」(1978)となると片隅にも残っていなかった。ただ、この大塚博堂という、なんとも〝大きな〟名前は、令和になって、曲に出くわしても、そうであったか…と決して意外な印象はない。風貌(資料写真による)に対して、唄の内容、そして声とのギャップにはドラマ性すら感じさせるものがある。

こんな映画を観てきた[64] ネットワーク

   ネットワーク
(1976/米 監督:シドニー・ルメット)
 
 インターネットなどというものが地球上を席巻する以前のお話である。今や、視聴率という言葉はあるにはあるが、ひと頃ほど重要視される数字ではないだろう。メディアが多様化するにつれ、テレビに時間を費やす人、とりわけ若者にテレビに噛り付くイメージはない。「…人間性を視聴率という数字におし隠し、ひたすらこの悪魔的数字の増大に血道を上げる野望の集団があった…」とは、プログラムの一節だが、各テレビ局による視聴率戦争の裏側を抉るというものであった。これが少々古臭いテーマとなり果てたとは、時代の移り変わりに、高齢者としては呆れるばかりだが、こういう時代だったと懐かしむしかない。
 主演は、権謀術数を弄して視聴率競争の最前線を生きる魔性の女(大変な扱いだが…)にフェイ・ダナウェイ、相手役にウィリアム・ホールデン、そしてドラマの軸に置かれたのがニュース番組のアンカーマン、そこにピーター・フィンチ、癖だらけの名優揃いだ。

こんな唄に出くわした[35]   銀色の雨

   銀色の雨

     作詞:松井由利夫
     作曲:鈴木淳
     唄 :小川知子

  あなたの涙で ぬらして欲しいの
  せつなくふるえる 私の唇
  銀色の雨の中 小さな傘がひとつ
  ふれあう指が 愛に燃える
  あなただけ見つめて 歩いていたい

  あなたの心を とりこにしたいの
  あなたが夢みる 私になりたい
  銀色の雨の中 しずくが胸にしみる
  信じていける 二人だから
  あなただけ見つめて 歩いていたい

  あなたが私に おしえてくれたの
  愛する喜び 恋する苦しさ
  銀色の雨の中 ため息だけが熱い
  はじめて咲いた 花のように
  あなただけ見つめて 歩いていたい

 1987年のリリースだというから、彼女の曲としては比較的新しいものなのだろう。『初恋の人』は1969年らしいので、最近の物では決してないが、世代的には?そう古いものではなさそうだ。とにかく知らなくて(聴いたことがあるような気もする…)、令和になって出くわして、ちょっとだけ刺さって沁みた…というわけである。一文字一文字が音符に乗っていて、少々鼻にかかった(鼻づまり気味?)歌声が聴いていて実に安心感がある。
 特にファンだったわけでもないが、この曲はともかく、70年代は彼女〝最強〟だったような記憶がある。具体的には言えないが、唄に映画・ドラマにとにかく引っ張りだこだったような、そんな印象はある。

こんな映画を観てきた[63] ヌレエフ

   ヌレエフ 伝説と遺産
     (2022/英 監督:キム・ブランストラップ)

 …歴史上最も偉大なバレエダンサーとして知られるルドルフ・ヌレエフを称え、彼がソ連から亡命後にロンドンでデビューした劇場「シアター・ロイヤル・ドーリーレーン」で2022年9月に開催された「ヌレエフ 伝説と遺産」をスクリーン上映。…と、ある資料にはある、あるのだが、ヌレエフというバレーダンサーの御尊名だけは存じ上げている、いるのだが、こんな、失礼、最近の物でもあり観ていない。またバレーというものに造詣どころか、語るもおこがましいところなので、同じ「ぬ」でも、今回は『濡れた欲情』(1972/日活 監督:神代辰巳)ということにしたい。
 主演は一条さゆりという人が自身の役で、ということなのだが、ここは伊佐山ひろ子ということにしたい、申し訳ないがその方が〝馴染み〟が深い?他に、白川和子、絵沢萌子、小沢昭一と錚々たる面々なわけだが、特に女優陣は主にテレビドラマなどで、実に細く長く生きてこられており、役者の一方の鑑みというべきか、それは少々大げさか…主役、脇役、斬られ役、いろいろなタイプがあったもので、それぞれ味わい深い。さて、この作品、ひところ(半世紀ほど大昔)日活ロマンポルノというジャンルは劇場まで出かけて偶に?鑑賞したものだが、これは、確かWOWOWでどうしたわけか〝ロマンポルノ〟というものを取り上げてドキュメンタリー番組を作り、その流れで、何本か放映したように記憶していて、その中の一本だったような、もしかすると『白い指の戯れ』というものだったかもしれないし、また、その内容については一切記憶になくて何も書けない。そんなことはどうでもいい、とにかくそのドキュメンタリーの中で、インタビューを受けるのは、もちろん白川和子さん、「裸のお仕事で呼ばれたのでしょう」と事をわきまえて打合せに臨んだところ、渡された台本の主役の欄に自分の名前を見て驚いたなどという話をしていたような、そんな記憶だけはある。低予算、65分?、ある条件を満たせば(何分以上か、全体の何%という事だったか忘れたが、〝そんなシーン〟?が盛り込まれていればあとは自由に製作してよろしいということで、後に邦画の名監督と言われる方々がここで修練し、花開くことになった、ということなのだろう。ちなみに、後にも先にも、二日続けて同じ作品を映画館にて観たのはこのジャンルから、『看護婦寮』(1978/監督‥西村昭五郎、主演・原悦子 岡本麗や本田博太郎が出ていたというが、これは覚えていない)で、映画館は新宿・歌舞伎町のミラノ座広場(と言ったか?)の入り口の地下に在った新宿日活であった。

こんな唄に出くわした[34]   悲しみよ一粒の涙も

   悲しみよ一粒の涙も

     作詞:荒木とよひさ
     作曲:浜圭介
     唄 :高山厳

  人は誰でも 人生の荷物をかかえて
  黄昏の駅舎(ホーム)から
  どこかへ乗り換える
  愛にはぐれた 女なら あしたを尋ねて
  足早に昨日を 逃げだすがいい

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 優しく 背中を見送って
  生きていれば いいこときっとあるから

  人は誰でも 
  この都会(まち)が積木の夢でも
  幸福の階段を どこかで探してる
  愛につまずく 女なら 昨日と別れて
  遠まわりの生き方を 見つければいい

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 疲れた 心を眠らせて
  夢よりも いいこときっとあるから

  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  悲しみよ一粒の もう涙も出ない
  想い出よ 優しく 背中を見送って
  生きていれば いいこときっとあるから
  いいこときっとあるから

 『心凍らせて』と『傷つきながら』とこの曲で〝高山厳三部作〟(そんな定義はないが‥)とするならば、これが完結編か、事が〝生き死に〟に及び、「生きていればいいこときっとあるから」というところにむしろ深い絶望を感じるのである。救いがないという点では、北原ミレイの『棄てるものがあるうちはいい』と双璧か、むろん個人的に存じ上げているものの内で、ということになるのだが…
 2009年リリースとのことだが、17年前、いったい自分は何をしていたか、人生を想えばそれほどの昔でもないが、殆ど記憶にも印象にも残っていなくて、とにかく齷齪(あくせく)していたことだけは確かだ。「想い出よ 優しく 背中を見送って」はやはり綺麗ごとで、何につけ引き摺って、或いは見て見ぬふりをして、時間ばかりがただ過ぎていたような、それでもとりあえず生きていた、今も…