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こんな映画を観てきた[57] ソイレント・グリーン

   ソイレント・グリーン
  [ Soylent Green ]
(1973/米 監督…リチャード・フライシャー)

 2022年人口の増加が限界まで行った社会では、資源が枯渇し、食料が極端に不足しだした。そこで…というSF映画だ。それにしても2022年といえば…とうに過ぎてしまっているではないか!
これは劇場に出かけて観たものではなく、テレビ放映だったと思う。主演は大型活劇には欠かせない?チャールトン・ヘストン、テーマはわかるが、とにかくただただ気味の悪い作品であったと記憶している。『2001年宇宙の旅』などとは違って、わざわざ出かけて行って、〝ちゃんと〟?観ようとは思わなかった。
 「ソイレント・グリーン」とは食糧難に対応した合成食料品なのだが、格差社会で夢も希望もない側の年寄りが、とある施設に収容されて快楽に満ちた最後の時を過ごした後に迎える〝安楽死〟…とくると、その合成食料品の原料がおのずと知れる。評価された原作を映像にする難しさに、名監督もさぞかし手こずったことだろう。手堅い演出でまとめたと、とある資料にはあったが、繰り返すが、薄気味悪かっただけだったような、そんな印象がある。
 それでは、現代、我々はどんな時代に生かされているのだろう、よくよく思いを致すと、これもまた相当に薄気味が悪い。

こんな唄に出くわした[28]    白いページの中に

   白いページの中に

 1978年のもので、柴田まゆみという人が歌ったということだが、七八年といえば、仕事に就いて二年か三年目頃の事、想えば会社よりも長い時間浸っていた、いや深く?沈んで、とにかく徘徊していた新宿は歌舞伎町、歌っていたのは演歌か若しくはムード歌謡というのかそういった類のもので、この『白いページの中に』のような曲は、どこかで聴いてはいたのだろうが、何の印象にも残っていない、従って古希を迎える及び、やっと出くわしたというわけである。

  白いページの中に

  詞・曲・唄…柴田まゆみ

  いつの間にか私は 愛の行方さえも
  見失っていた事に
  気付きもしないで
  振り向けば やすらぎがあって
  見守る瞳があった事を
  サヨナラの時の中で
  やっと気付くなんて

  長い長い坂道を 今登ってゆく
  好きだった海のささやきが
  今は心にしみる
  よみがえる午後のやすらぎも
  白いページの中に

  優しいはずの声が 悲しい糸をひいて
  許しあえた短さを 遠くで響かせる
  色あせてゆくものに
  やさしさを帰してみても
  過ぎ去った日々の前では
  もうさめた振舞ね

  長い長い坂道を 今登ってゆく
  好きだった海のささやきが
  今は心にしみる
  よみがえる午後のやすらぎも
  白いページの中に

  好きだった海のささやきが
  今は心にしみる
  よみがえる午後のやすらぎも
  白いページの中に

 白い1ページという限られた空間の中に広がる壮大なイメージ、歌詞については何だかよくわからないが、曲調に関しては強く刺さり、そしてよく沁みてくる…のである。かくして、主に深夜の事だが、なんども繰り返し飽きもせず、再生視聴し続けたしだいだ。

こんな映画を観てきた[56] 戦場

     戦場
  [GO TELL THE SPARTAN ]
 (行きてスパルタ人に告げよ)
(1978/米 監督…テッド・ポスト)

 40年以上も昔のことである…
     ◇
新宿駅東口からほど近い新宿ローヤルに入る。この映画館、新宿のしかも超一等地(日本一地価の高い、高野フルーツパーラー前近く)に在るというのに、既に場末の趣すら漂わせている。
 『戦場』。ヴェトナム戦争物で、テッド・ポスト監督。『ディア・ハンター』程深刻でもなく、アメリカ版“チャンバラ映画”といったところ。米軍兵士が言う「この戦争はおれ達じゃなく、こいつら(ヴェトナム人)がやってるんだ、そういう戦争なんだ」という台詞に言いたいことの全てが表現されており、他に取り立ててどうこういうこともない。流行のヴェトナム戦争批判ものとしては軽過ぎ、また、戦争映画としては何とも迫力の乏しい物足りない内容だった。バート・ランカスターが一人で芝居をしていた。
 ところが、驚かされたことが一つある。映画にではなく、観客にである。九割方、いやそれ以上の観客がかなりの年配者であったこと(ほぼ満席)。見た限りでは五十代が殆ど、しかも座席に深々と体を沈めてリラックスして観ている者など一人もいない(もっとも座席そのものがやや小さめで窮屈なのだが…)。誰も彼も乗り出すように、見入っている。異様な雰囲気に、私は途中から映画よりもむしろそんな雰囲気の方が気になって仕方がなくなった。やはり問題は“戦争”だろうか?こんな感じを受けるのは初めてだが、そういえば私は戦争映画というジャンルをあまり好んで観てこなかったような気がする。二次館にまわってきた戦争映画に見入る中年諸氏、というより初老紳士群。こちらの方に圧倒されてしまい、何だか不思議な体験をしたような思いで暮れかけた街に出た。

こんな唄に出くわした[27]    港のカラス

   港のカラス

 このところ、このあさみちゆきという人の唄声が沁みて沁みて仕方がない。先の『井の頭線』はなんとなく〝フォークソング〟っぽかったが、これは演歌…いやなんとなく〝演歌〟。森進一が唄う『襟裳岬』、いやその逆で高山厳が唄った『心凍らせて』に近いか…そんなことはどうでもいいが、この人にはどうやら2系統の唄の〝回路〟があるらしく、とにかくどちらもよく沁みるのである。

港のカラス
   
  作詞…髙田ひろお
作曲…杉本眞人
唄… あさみ ちゆき

  憎い恋しい あの人は
  わたしに何も 云わないで
  アラビア文字の 貨物船
  日暮れに乗って 行っちゃった

  港カモメの 群れのなか
  わたしはカラス 赤い目の
  夕焼け色の 電柱で
  あのひとそっと 見送った

  昔 異人さんに 連れられて
  少女も船に 乗ってった
  行ったら帰る あてもない
  昔も今も 横浜は

  山で暮らせば いいものを
  街まで来たら 捨てられた
  今夜もひとり 止まり木で
  カァーカァー泣いて 飲むだけさ

 いい唄だと思う、思うが、何よりも沁みるのはその声だ。『砂漠の子守唄』やら、フォーク寄りの?『想い出の写真館』、『夕刊』など続けて聴いてみたけれど 、とにかく個人的に実に心地よい声質であり、唄い方なのだ。このあさみちゆきという人の事は最近になって知ったもので、少し調べたが記憶にない。小林幸子と美樹克彦に倣ってか?作曲家(網倉一也)とのデュエット(『再会ートワイライト』)なんてものもある。あまり〝こだわり〟のない人なのかもしれない。

こんな唄に出くわした[26]    白い花=こころの花

           白い花=こころの花

 実は同じ曲である。なぜか作者自身で歌うと詞が変わった、あの、五木寛之の手によるものに。後者はオリジナルに五木寛之氏が詞をつけたらしいのだが、そのあたりの経緯は知らない。もちろん、『白い花』の方も歌いはしたのだろうが…押し殺して、抑えて、しかしいずれの場合も決してただただ暗いということではなく、とにかく沁みるのだ。

  白い花

      作詞・作曲…山崎ハコ
      唄…北原ミレイ

  私の目の前の白い花
  人目にもつかず 咲いているけれど
  幸せそうに ほほえんで
  香りを漂わせる
  できることなら この指で
  お前を摘んでしまいたい
  あの人の心に 誇らしく
  咲いてる お前を

  白い花びら はにかんで
  とてもきれいに見えるわ
  お前のように 咲きたかった
  あの人の心の中に
  ひそかに きれいに咲くがいい
  美しい白い花よ
  あの人といっしょに生きて行け
  あの人をなぐさめながら

  お前をみつめて 生きて行く
  私の気持ち知らないで
  私にやさしいほほえみを
  かえす 白い花
  ひそかにきれいに 咲くがいい
  ほほえむ 白い花よ
  あの人といつまでも生きて行け
  あの人をなぐさめながら

こころの花

      作詞…五木寛之
      作曲・唄…山崎ハコ

  私のこころに咲いている
  桔梗の白い花よ
  かすかに汚れているけれど
  それでもきれいよ
  この世に生きて行く切なさを
  身に滲みて知りながら
  やさしく微笑んで咲いている
  小さな白い花

  真っ赤に咲く花もあるけれど
  桔梗の白い花よ
  ひっそりゆれている横顔が
  とてもきれいよ
  私も小さな白い花
  ずいぶん汚れちまったけれど
  お前のように清らかに
  この世に生きたい

  雨に打たれながら咲いている
  桔梗の白い花よ
  あの人の心に届けたい
  私の想いを
  誰にも知られずに咲いている
  小さな花だけれど
  いつかはきっと振り返る
  気付いてくれるでしょう

  その日を信じて咲くがいい
  桔梗の白い花よ
  みんなの心に咲くがいい
  りりしく美しく

《訃報》 吉田義男さん死去

吉田義男氏が死去、91歳 監督として阪神を球団初の日本一に導く「今牛若丸」仏代表監督で「ムッシュ」

 プロ野球の阪神を監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)氏が3日午前に脳梗塞のため死去したことが4日、分かった。91歳。京都府出身。通夜、告別式については非公表。

 吉田氏は現役時代に「今牛若丸」と称され、1メートル67と小柄な体格ながら華麗で堅実な守備でファンに愛された守備の達人。ベストナインを9度受賞、最多安打1回、盗塁王2回。引退後は阪神の監督を3度務めた。阪神の監督を3度経験した唯一の人物。1985年、阪神を初めて日本一に導いた。1987年に背番「23」は永久欠番に。阪神の永久欠番は藤村富美男氏の「10」と村山実氏の「11」と吉田さんの3人だけとなっている。
 吉田 義男(よしだ・よしお)1933年(昭8)7月26日生まれ、京都市出身。山城では2年夏に甲子園出場。立命大を1年で中退して53年に阪神入り。俊足巧打の遊撃手で、1メートル67と小柄ながら華麗な守備は「牛若丸」と呼ばれた。コーチ兼任の69年限りで引退。ベストナイン9度。通算350盗塁は球団歴代2位。球宴には13度出場し、56年第2戦で決勝打を放ち殊勲選手賞。3期8年に渡って阪神監督を務め、85年には21年ぶりリーグ優勝と球団初の日本一に導いた功績で正力松太郎賞を受賞。90~95年はフランス代表監督を務め、同国の野球普及に尽力した。92年に競技者表彰で野球殿堂入り。現役時代の背番号23は阪神の永久欠番。
                 ◇
 以上はネットニュースの記事である。自分の年齢を思えば、人の命が尽きることは避けられず、もっと生きていてほしいに違いないが、ただ、その存在は己が身の果てるまで忘れることはない、そういうことでいいだろう。子供のころ、東京オリンピックの…といっても1964年昭和39年頃のことだが、両親に買ってもらった野球のユニフォームに、母に頼んで『23』の背番号を縫い付けてもらった。それが阪神タイガース永久欠番の一つである。守備では「捕る前にファーストに投げていた」という伝説、打つ方では、バットを短く持って、忘れたころにレフトポールそしてフェンスぎりぎりにホームランを打ったりする。監督(3期通算8年)としての通算成績は484勝511敗、実に〝上品な〟数字ではないか…ご苦労の程がうかがえる。中継といえばキョジンの試合がほとんどの田舎で、まさに奇跡の『アイドル』なのだ。ちなみにセカンドは本屋敷、ファーストは遠井、そしてピッチャーは村山、いやバッキーかな…

こんな映画を観てきた[55] シェーン

   シェーン
     [SHANE]
     (1953/米 監督…ジョージ・スティーブンス)

 西部劇というのは、あまり得意な、いや好きなジャンルではないが、これはやはり名作なのだろう、スタンダードと言ってもいい。ラストの「シェーン!カムバック」の少年の台詞はあまりに有名だが、そのあとに「ママウォンチュユー」などとこまっしゃくれたことをボソッと付け加えたような…記憶違いか?
 凄みのある存在感を見せたジャック・パランスとの決闘シーンとして忘れられないのがあの早撃ち、そこに至る過程で
「お前の噂は聞いている」
「どんな噂だ」
「北部の豚野郎だとさ」
言われたパランスが「やるか」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART2』より)とつぶやいて、そして、一瞬の結末…ということになる。
 ワイオミングの山々を背景に流れる主題曲の『遥かなる山の呼び声』、こんなタイトルの邦画もあったが、観ていない。それはともかく、これ以上ないくらいの広大な風景の中に繰り広げられた人間ドラマ、何故か音楽だけは西部劇、やけに沁みるものが多い。
 想えば、70年以上前に製作された映画である。さすがに…わずかに生まれていない…
 大御所監督が、盛りを過ぎた?と言われたたアラン・ラッドに再び大いなる光を当てた、そんな一作でもあったという。

こんな唄に出くわした[25]    花ぬすびと

   花ぬすびと

 微かに、ほんの微かにどこかで聴いたような記憶があるが、やはり今になって〝出くわした〟というべきだろう。衝撃的で、かつ沁みこむ沁みこむ一曲となった。

   花ぬすびと

     作詞:すずき ゆみ子
     作曲・歌:明日香.

  花ぬすびとの 伝説が
  別れ話のはじまりでした
  私が話す 伝説を
  貴方は笑って聞き流す
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  あなたは私のひざの上
  白河夜舟の波枕

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

  白樺めばえる 春の日に
  秋の花が欲しくなる

  人の心に 咲く花は
  育ちやすく 枯れやすく・・・・・・
  野の草分けて 吹く風は
  ぬすびと伝説物語る
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  私の花をぬすんだ人は
  野分きのようにかけぬけた

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

  野分きが渡る 秋の日に
  夏の花を追いかける

  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい
  ごめんね ごめんね ごめんなさい

  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  季節でないのに 花が咲く
  二度咲き 夢咲き 狂い咲き
  人の心も また同じこと

 演歌のジャンルでも『花ぬすびと』という唄があって、こちらは村上幸子という歌い手によるものなのだが、奇しくもこの二人、若くして亡くなってしまっている。どちらも病によるものとのことだが、どうしたことだろうか?
 こちらは、まさに〝演歌〟といえる…のだろう。資料によると、前者は1982年の発表で、一方については彼女が亡くなった(1990年)後に発表されたものらしいが、全く別物で、とにかくどちらも沁みる良い唄だ。

  花ぬすびと

     作詞:石原 信一
     作曲:叶 弦大
     唄 :村上 幸子

  花ぬすびとは ゆうべのあなた
  夢追人は 夜明けのわたし
  そえぬ運命の 浮き世の風に
  咲いてみたい 赤い命
  夜がいじめても おんな花

  ぬくもりほしい 止まり木の隅
  にがてなお酒 無理して呑むわ
  ひと夜逢えなきゃ 明日がみえぬ
  ばかなやつと 叱りつけて
  涙止まるまで こぼれ花

  化粧はしても 心のなかは
  あなた好みの 素顔でいたい
  こんな小さな 純情だけど
  いつか春が きっと来るわ
  ひとり言いきかす 夢見花

こんな映画を観てきた[54] サウンド・オブ・ミュージック

   サウンド・オブ・ミュージック
[The Sound of Music]
(1965/米 監督…ロバート・ワイズ)

 リチャード・ロジャース作曲&オスカー・ハマースタイン2世作詞によるブロードウェイミュージカルを、「ウエスト・サイド物語」のロバート・ワイズ監督により映画化、と資料にはある。今回は、スクリーンではなく1982年の観劇記録から…
        ◇
 『サウンド・オブ・ミュージック』夜の部開演。
 お馴染みの、マリアが居なくて大騒ぎの修道院のシーンから。
 オープニング前、オーケストラ・ピットでの音合わせの光景も面白かった。10ペンスでオペラグラスを借りる。
 森で、メインテーマ“サウンド・オブ・ミュージック”を唄いながらマリア登場(ペトラ・クラーク)。
 スクリーンと違い、生で聴く歌はやはり素晴らしい。修道院からトラップ家へ家庭教師として派遣され、不安な気持ちを振り払うようにトラップ家の扉を叩く。キャブテンの厳しい躾に驚くマリアだが、マリア流のやり方ですぐに子供達と打ち解ける。[“ドレミの唄”]
 新しいママが来るというので(この女性が、あの『007/ゴールドフィンガー』で最後にボンドに寝返った女パイロット、オナー・ブラックマンその人だった)、マリアは邸を去り、修道院に戻る。
 マザーに諭され、キャプテンへの愛を自覚して再び邸に赴く決心をする(ここで休憩)。 
 物語は佳境に入る。結婚式、そして有名なナチスを嫌ってのコンサート・ホールからの脱出、そして逃避行、キャプテンの唄う“エーデルワイス”、声を詰まらせて唄えないキャプテンを扶けるマリアと子供達(涙が溢れて止まらない)、フィナーレ。
 あっという間の3時間、暫くはその場を立つのが惜しかった。
 ヴィクトリア駅前のアポロ・ヴィクトリア劇場を出るともう深夜、これからではパブも開いていない(開いていても、やはり一人では憚られる)。舞台か酒か、倫敦の夜はわかりやすい。

こんな唄に出くわした[24]    井の頭線

   井の頭線

 古希を迎えて、こんな唄にまた出くわしてしまった。1977年からおよそ15年間ほどこの唄の冒頭に出てくる永福町というところで暮らして、西永福駅と明大前のほんの短い区間だけだったがこの線を使った。失礼ながら歌い手のあさみちゆきという女性の事は知らない。

   井の頭線

    作詞:田久保真見
    作曲:網倉一也
    唄: あさみちゆき

  永福町で電車が停まる
  急行の待ち合わせ
  ドアが開いて 吹き抜ける風
  想い出が 降りてゆく
  いつもあなたは この手を引いて
  急行に乗り換えた

  走るように生きるあなたと
  歩くように生きてた私
  いつの間に いつの間に
  離れてしまったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも ふと 好きだと思う

  下北沢の古道具屋で
  風鈴をみつけたね
  窓を開けても 暑かった部屋
  軒先で揺れていた
  ふたりこれから どうしたらいい?
  聞かれても 黙ってた

  打ち上げ花火 はしゃぐあなたと
  線香花火 見つめる私
  燃え尽きる 燃え尽きる
  速さが違ったの?

  ひとり帰る 井の頭線で
  あなたを ふと さがしてしまう

  ひとり帰る 井の頭線で
  今でも そう 好きだと思う

 聴けば、歌謡曲というよりフォークソングに近いか?井の頭線と言えば野口五郎の『私鉄沿線』の舞台だと聞いた記憶があって、そちらの方は井の頭公園駅がメーンステージだったような、こちらは吉祥寺から少し南下した永福町に下北沢、実はこの唄には続編の『井の頭線 あれから』というものがあって、そこでは池ノ上やら浜田山、更に富士見ヶ丘と〝細部〟に至ることになる…

  井の頭線・あれから

  明大前で途中下車して 
  なつかしい駅の裏

  古いアパート あの日のままで
  カーテンが変わってた
  私あれから引っ越したけど
  またここで暮らしてる

  忘れたいと 泣いた夜も
  忘れられず 目覚める朝も
  少しずつ少しずつ おもいでにするだけ

  ひとり帰る井の頭線で
  あなたにふと 呼ばれたようで

  池ノ上の踏み切り越えて
  暮れなずむ街の色
  窓の外には ゆれる菜の花
  また春が来たんだね
  浜田山から富士見ヶ丘へ
  風の中あるいたの

  帰りたいと 思う季節に
  帰れないと わかってるから
  さよならをさよならを
  小さくつぶやいた

  ひとり帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる

  今日も帰る 井の頭線で
  あの日の空 思い出してる