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ご当地ソングⅡ-2 『東京・銀座篇』

 ロス・プリモスといえば、『ラヴユー東京』がスタートだが、このあとに来るのが、『雨の銀座』、『たそがれの銀座』で全盛期を迎えることとなる。この後に“銀座三部作”の締めくくりとして、『恋の銀座』というものがあったそうな…そもそもヒットしなかったか、記憶の片隅にも残っていなかったが、探し当てて聴いてみると、これがただただ甘ったるいだけで、森さんの唄でなかったらとても聴いていられない、恥ずかしくて…
 『雨の』では、街角で「嘘と知りつつ待ちました」、次なる『たそがれ』では、ご丁寧に一丁目から八丁目まで遊びまわって、『恋の』で極めて限定的な空間での、しかもベッタベタの恋模様。詞の内容に深みなど全くないが、雰囲気だけは充分なのである。
 銀座はもちろん敷居が高い、上京して半世紀になろうかという“歴史”を振り返っても、ここで飲んだりした経験は指折り数えられるくらいの回数、多寡が知れている。手持ちを気にして、心細くもいじましく過ごした新宿などとは雲泥の差なのだろう。人の金(仕事上のやむなしのつきあい)、もしくはそういったことをはるかに超越した“キャッシュレス”の街と言えなくもない。森進一の『一人酒場で』(これは『新宿みなと町』『雨の桟橋』とともに彼の隠れた?名曲だと思うのだが…)では「夜の銀座での飲む酒はなぜか身にしむ胸にしむ」とある。が、とてもそんな場所ではない。

吉田義男と桑田武、そして佐田の山と若秩父 2020

 幼馴染の“よしくん”はよほどおとなしい子供だった。体調をくずしていることは聞いていたが、亡くなったとの知らせは、やはり唐突で残念でならない。昭和も30年代、先の東京オリンピックの少し前のことだったか、そんな二人が、ほぼ同時に野球のユニフォームを買ってもらったことを覚えている。それぞれが親に縫い付けてもらった背番号は、私が[23]で彼は[8]であった。[23]は阪神タイガースの[吉田義男]、[8]は大洋ホエールズの[桑田武]だったのだが、両人とも当時の“地方”ではテレビ中継もほぼ『キョジン対それ以外』であって、相当の“へそまがり”だったのかもしれない。
 一方、お相撲では、私が[佐田の山]で彼は[若秩父]、これもまた両人とも大鵬ファンでないところがなんとも味わい深い。彼は小学校を卒業と同時に県庁所在地へ引っ越していった。それ以来会っていない。その“よしくん”が、更に遠く離れて静かに逝ってしまったことを、老母との電話のやり取りで知らされた。親同士は年賀状程度ではあったろうが、親交は続いていたらしい。
 さて、我が阪神タイガースはその後1985年に、管理野球の継承者といわれた『広岡・西武』を打ち負かして日本一になり、佐田の山は引退後出羽の海親方から、やがて理事長になった。一方、大洋ホエールズももう少し時間がかかったものの、またチーム名こそ変わったが同じく日本一になった。若秩父は常盤山親方として向正面の解説として長くお茶の間にはなじみ深かった…などという話をちょっと“得意げに”話してみたかった。おとなしい“よしくん”はにこにこしながら、黙って聞いてくれたに違いない。

ご当地ソングII 【東京篇】

 すっかり“諸悪の根源(ウイルスの巣”とされてしまった感のある東京である。東京の唄といえば、もっと細かく銀座、赤坂、六本木、渋谷、新宿、池袋と更に探究すべきところだろうが、それは次なるテーマとして、まずは大きく(?)捉えよう。『東京』(マイペース)、ただし、やしきたじんの「東京」はあくまでも大阪から遠く見た東京であり、これはご当地ソングとは言えない。『東京ブルース』(西田佐知子)、『東京流れ者』(竹越ひろ子)、『雨の東京』(真木ひでと)などというものもあった。
 「東京ナイトクラブ」、「ウナセラディ東京」、「東京ラプソティ」となるとさすがに遡り過ぎだが、人口集中度に比例して、まさに枚挙にいとまがない…のでいい加減なところで留めておく。
 さて、東京といっても、いったいどの辺りのことを唄っているのだろう。おそらく山手線の内側ではあろうが、その先はさっぱり判らない。とにかく“東京”という大きなそして漠然としたイメージこそが重要なのだろう。従ってご当地ソングとしてはいささか薄く、浅い印象は否めない。藤圭子の唄に『はしご酒』というものがあって(その存在は平成を飛び越えて、なんとつい先ごろ知った…)錦糸町から浅草まで、その間に亀戸、小岩、平井、押上、金町まで登場して、これはもう“おのぼりさん”としては全く想像だにしなかった東京である。

新々・ご当地ソング【北海道篇】

 効果のほどはさだかではないが、“沁みる”唄をフルコーラスで記憶し、蒲団に入って頭の中で唄ってみる。もしかすると、“ボケ防止”になるやもしれぬ、単なる歌詞の暗記ではなく、メロディと併せて、実際にに唄っていることを想像しながら暗唱してみる(無論声にはださない)。最後まで詰まらず終われれば成功、途中で寝入ってしまえばそれはそれでよし(よくある!頭が冴えて眠れなくなるというようなことは今のところない)だが、忘れてしまった時に、何とか思い出そうとしてみる…これが大切な気がする。メロディを追いやすく、また詞の“量”もなんとか暗記できそうなムード演歌というものがこの場合よさそうだ。
 さて、北海道といえば、「釧路の夜」、「小樽の人よ」、そして「恋の町札幌」ということになろうか。あの大御所が唄う「函館の人」はまあ別格として今回のリストからは外させていただく。ましてや「網走番外地」では、内容からしてすでにご当地ソングなどとはいえない。とりわけ「釧路の夜」、このジャンルでは文句なく名曲だろう、一番の歌詞はどうでもよろしい、以降釧路川に幣舞橋が登場して霧が降るに及んで、とにかくよく沁みる。一度だけ訪れたことがあって、羽田を発った時は30度を超えてたものが、釧路空港に着いたら12度、さすが北海道だと西国生まれとしては、随分と昔のことになるが感嘆頻り、今でも憶えている。

新・ご当地ソング【長崎編】

 ここでいう“ご当地ソング”とは、あくまでも“一杯”飲みながら聞いたり口遊んだりする類の唄であり、例えば今回の長崎でいうと『長崎の鐘』などというのは“昭和の名曲”ではあるだろうが、“ご当地ソング”という範疇には入らない…ということにしておきたい。
 代表的なものを三曲、まず『長崎は今日も雨だった』(クールファイブ)、これで、雨が降っても決して観光客を落胆させない、むしろ雨が長崎という街に相応しい味わいとなったかも。『思案橋ブルース』(コロラティーノ)、これは実際にはなかなか唄えない、難しいというよりあんな音程ではとても無理、かといってキーを下げたのでは元も子もない?ことになってしまう。それにしても思案橋とは、まさにこの類の唄にはまったくもってピッタリの名称ではないか。そして『長崎ブルース』(青江三奈)、『伊勢佐木町ブルース』、『池袋の夜』と併せて青江三奈のご当地ソング三部作といえようか、なかでもこの曲は代表作ではないかと思っている。「解かせた帯紐南蛮屏風 ガラスの絵にさえ紅がつく」などという歌詞には、当時子供心にどう想像をはたらかせてよいものか困った?ものだ。ほかにももちろん多くあろうが、とりあえずこのあたりで…

続々・ご当地ソング

『肱川あらし』

 伍代夏子という歌手の曲だというが、とにかく演歌である。歌唱が或いはその内容が特に心に刺さったわけではないが、タイトルをこうつけられると見過ごせない、というより、三番になると、あまりに身近すぎてどこかくすぐったいのである。

     涙の川なら
     いくつも越えてきましたよ
     心が石に
     変わったこともありました
     大洲 長浜 赤い橋
     こころがわりの 切なさだけは
     こらえてください 肱川あらし

 上流の大洲盆地で発生し成長した霧がやがて溢れ出し、山間の急流を一気に流れ下る。冬の朝の風物詩、地元ではこれを“あらし”と呼んでいる。海に出る寸前の赤い可動橋のところで瀬戸内の暖かい海面に触れて霧は消える、そしてそんな日は昼近くになると決まって晴れる、それも快晴である。
 さて、五木ひろしの歌に『夜明けのブルース』というものがあって、全く存じ上げなかったが、その中に「…ここは松山二番町の店/渋い男の夜明けのブルース…」という一節があって、紛れもなくご当地ソングである。ただし、前後の歌詞をみても、特に松山でなくても成り立ってしまいそうな内容であった。

続・ご当地ソング

 個別PR型のものに対して、広域(全国渡り歩き)型ご当地ソングという“ジャンル”、特定の街、或いは地域からの格別な支援は期待できないが、旅好き、地理好きにとってはまことに贅沢な唄である。そういう意味では、既に売れていたりする歌い手の力量に頼らねばヒットは難しいものなのかもしれない。
 さて、『盛り場ブルース』(森進一)、銀座、赤坂、六本木で幕が開き、渋谷、新宿、池袋で閉じるわかだが、その間に北は洞爺、すすき野、定山渓(北海道)、青葉、国分、一番町(仙台市)、栄、今池、広小路(名古屋市)、南、曾根崎、北新地(大阪市)、薬研、八丁、本通り(広島市)、中洲、天神、柳町(福岡市)が並ぶ。上京、そして出張の際に有力な参考となったことは間違いない。
 『中之島ブルース』(クールファイブ他)では、札幌、大阪、長崎のそれぞれ偶々存在した地名を歌詞に入れただけで、旅情のかけらもないが、よくよく繋げたものではあった。
もう一つ『ふりむかないで』(ハニーナイツ)、言わずと知れた某シャンプー(エメロン!)のためのCMソングである。小林亜星作曲で、土地土地の素人(?)美女を追いかけたカメラがストーカーになったようなものだったが、東京(ここには旅情はない)を皮切りに、札幌(ポプラ並木にちらつく雪が…)、仙台(七夕まつりの一番町で…)、名古屋(雨の今池小さなスナック…)、大阪(何を思案のこいさん一人…)、博多(那珂川ばたにたたずむあなた…)と続いた。ユーザー獲得のための企画ものだが、ご当地ソングとしての役割は充分に果たしている。
 ずばり、京都から瀬戸内沿いを博多に流れる『京都から博多まで』(藤圭子)、彼女はその後『わたしは京都に帰ります』(これは当たらないだろう)ですごすご引き揚げてしまう。森進一の『港町ブルース』では、函館から南は枕崎、そして旅路の果て(?)鹿児島までを辿ったが、わが故郷に近い八幡浜のことを「やはたはま」と丁寧に唄っていて、地元では、微妙だが「やーたはま」と言ってしまったほうがしっくりしたと当時は思ったものだ

ご当地ソング

 ヒットしたものを挙げてみると、もちろん個人の見解であるが、つまり、“沁みる”或いは“沁みた”ものなのだが、『釧路の夜』、『新潟ブルース』(美川憲一)、『池袋の夜』、『長崎ブルース』(青江三奈)、『京都の夜』(愛田健二)、『たそがれの銀座』、『雨の銀座』(ロス・プリモス)、『長崎は今日も雨だった』(クールファイブ)、ただし、好みの問題であるが、ここでは、どれが…とは言わないが、地名はしっかりタイトルにはあるものの、別にそこでなくても…というものは外している。また、『盛り場ブルース』、『港町ブルース』(森進一、『京都から博多まで』(藤圭子)、『ふりむかないで』(ハニーナイツ)といった“広域或いは全国渡り歩き型”のものについては改めてじっくりと触れる。
 さて、例えば釧路、新潟、ある程度既に認知度が高い地名があってこその、それぞれ釧路川だったり幣舞橋(ぬさまいばし)があり、また新潟駅や万代橋(まんだいばし)が具体的なイメージとして“沁みる”のである。ヒットはしたけれど、『伊勢佐木町ブルース』とくると、西の国生まれの田舎者としては、なかなか横浜という“メジャー”なイメージに結びつかず、後年になっても群馬県の伊勢崎市と混同してしまっていた。『柳ケ瀬ブルース』も同様である。一方『池袋の夜』においては、いささか面積でいえば狭いと言わざるを得ないが、地名として充分に“メジャー”、そこで美久仁小路や人生横丁が生きてくるのである。『たそがれの銀座』では、ご丁寧にも一丁目から八丁目まで順に歌い上げて、ミリオンセラー(たぶん…)となってしまった。これも“銀座”というさほど広くもないが、日本一(?)有名な地名であってこそのことなのだと思う。余談ながら、富士山を見に行って天候のせいでその姿が見えなかったら、「宿代返せ!」と言いたくもなるが、旅先で唯一雨に降られても誰も文句を言わない、むしろそれが風情とばかりに喜ばれるそうな、それが長崎、もちろん『長崎は今日も雨だった』のお蔭に違いない。

“汽車”と“駅”で括ってみた

 昭和の歌を基本条件として、汽車(電車、列車)と駅をキーワードに括ってみた。
 「最終電車できみにさよなら…」(『東京』マイペース)。「恋人よぼくは旅立つ東へと向かう列車で…」(『木綿のハンカチーフ』太田裕美)。「この線路の向こうには何があるの…」(『さらばシベリア鉄道』大瀧詠一、太田裕美)。「あいたくて甘えたくて夜汽車に乗った…」(『潮風の吹く町』森田由美恵)。「顔を隠したコートの襟に霧が降りますプラットホーム…」(『涙の最終列車』村上幸子)。「汽車が行く行く瀬戸内沿いに…」(『京都から博多まで』藤圭子)、藤圭子からもう一曲「まごころひとつどこにある鉄道線路のそのむこう…」(『さすらい』}。「一駅だけでもあなたと一緒に朝の汽車に乗って行きたかった…」(『冬の駅』小柳ルミ子)。「ラッシュの人波にのまれて消えてゆく…」(『駅』竹内まりや)。「かよいなれたこの駅にはもう二度と来ることはない…」(『駅』加藤登紀子)。「瞼の奥に哀しく消える赤いランプの終列車…」(『赤いランプの終列車』春日八郎)、これはさすがに昭和の時代も後半になるころには立派な“懐メロ”であったが)。「青い灯が揺れる新潟駅よ…」(『新潟ブルース』美川憲一)。「君が去ったホームに残り…」(『なごり雪』イルカ、伊勢正三)。
 他にも無数にあるが、あくまでも個人的に“沁みる”ものを拾い集めたものだ。昭和の時代に引っ掛かったものと、平成を飛び越えて、最近になって漸くというか改めて出くわした、やはり昭和の歌。飛行機ほど呆気なくもなく、船の別れはあまりに未練がましい、駅での一幕こそが“ドラマ”の展開には丁度良いと思う。一字一句がきちんと音符に乗っかっていて、歌唱の力と相まってこちらの心に沁みる沁みる…年を取ると余計に受け入れるのに何の抵抗もできなくなってくるし、そもそも拒む理由も既にない。『昭和の歌』だからというわけばかりではないけれど、長い時を経て、それぞれの記憶の数だけ“引っ掛かり”も多くなるということなのだろう。

「潮風の吹く町」

  作詞:なかにし礼
  作曲:浜 圭介
  歌 :森田由美恵

 ふるさとは 遠い北の果て
   潮風の吹く町
 荒れた手をして 網をあむ
   小さな母の肩
 浜なすの花が 咲く頃に
 帰ろうと思いながら 二年が過ぎた

 海鳴りが唄う 子守唄
   潮風の吹く町
 今日も夜なべの 針仕事
   乱れた母の髪
 許してね私 悪い子ね
 帰ろうと思いながら 四年が過ぎた

 雪ふれば つらい冬が来る
   潮風の吹く町
 凍る井戸水 汲みながら
   吐息も白い母
 もう二度と そばをはなれない
 逢いたくて甘えたくて 夜汽車にのった

 全くの偶然(なんでも良いが…)だが、『森田由美恵』という歌い手に“遭遇”した(もちろん歌にである)。資料には、山口百恵、森昌子、桜田淳子たちがデビューした前年の、これがデビュー曲だとある。それだけが理由ではなかろうが、とにかく陰に隠れた存在で、そこそここの曲はヒットはしたらしいが、そのまま忘れ去られたということのようだ。本当に何の印象もない、ないが…それだけに40年以上もの以前の歌が妙に新鮮に“沁みて”きたというわけだ。実は、この直前に、北原ミレイが歌ったのに出くわしていた、カバー録音である。さすがに「悪い子ね」という箇所(ここだけ!)は「親不孝」ということに替えられていたが、イメージからしてやむを得ないことなのであろう。カバー曲だということはわかっていて、オリジナルを探ってみると、割合簡単に辿り着いたものである。すると、“芋づる”式に(?)次作にも出会うこととなり、これもまたなかなかに“沁みる”ものだった。

   流行歌(はやりうた)

 雨に濡れ 街を歩けば
 人の世の 掟がしみる
 何もない 心の中に
 消え去った 夢を浮かべて
 流行歌を 流行歌を ひとりで歌う

 ふるさとの 山や岸辺に
 咲いていた 小さな花よ
 想い出は みんな幻
 今日もまた 街に流れる
 流行歌が 流行歌が 涙を誘う

 街の灯を ひとり見つめて
 ままならぬ 運命(さだめ)を恨む
 人はみな 傷つけ合って
 慰めを 歌に求めて
 流行歌を 流行歌を ひとりで歌う

 作詞作曲はいずれも不明、調べればわかるのだろうが、そこまですることもなかろう・・・。もしかすると、デビュー曲と同じなのかもしれない、根拠はない。おそらく当時はまだ十代であったろう彼女に歌わせて良いものかどうか、“時代”を歌うにはいささか荷が重いのではなかったかと思うのだが、時を経て、こちらも相応に年をとると何の抵抗も起こらず、ただただ“沁みて”くるのである。