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こんな映画を観てきた[52] ゲッタウェイ

   ゲッタウェイ
[The Getaway]
(1972/米 監督…サム・ペキンパー)

 銀行強盗の仲間割れでボスを殺したドク(スティーヴ・マックィーン)は妻キャロル(アリ・マックグロー)と共にひたすらメキシコへ向かって逃げるという作品。ボニーとクライド(『俺たちに明日はない』)は凄絶な最期を迎えたが、この二人、このての映画では珍しく、逃亡に成功してしまう。
 「何も信用できない」
 「何か信用しないわけにはいかないわ」
 「我、紙を信ず。紙幣に書いてある」」
 「お金だけが信用できるのね」
 二人の会話で、どうしたわけか半世紀近くも手元に在る1ドル紙幣を眺めてみた。どこかにはあるはずだが、小さな文字がたくさんあって探すのもめんどうになった…(和田誠著『お楽しみはこれからだ』より
 バイオレンスを扱って評価が高いと言われるこのペキンパー監督、名前はよく存じ上げているが、『わらの犬』だの『ワイルドバンチ』など、個人的には決して〝好きな映画〟リストには入らない、どちらかというと避けて通りたいジャンルだ(勝手に観なければよろしい…)。それにしても結構な演者をそれぞれ使っていて、この人やはりただものではないのであろう。

こんな唄に出くわした[22]    東高円寺

 実を言うと、令和になって出くわし唄ではない、半世紀程も前になるが知ってはいた。東京に来て、初めて住み、学生時代から就職をしてしばらくの約5年間を過ごした場所である。すっかり忘れていたが、ネットで偶然目に入って聴いてみた。
 厳密には東高円寺という駅(地下鉄丸の内線)はあるのだが、どこからどこまでが〝東高円寺〟なのか曖昧なのである。そういう地名はない。とりあえず、地下鉄駅を出たところ、蚕糸試験場(現・蚕糸の森公園)界隈ということになろうか、東へ少しあるけば、地名として、北東にひろがる『中野』で、逆方向に青梅街道を進むと、環七をくぐったらもう正真正銘?高円寺ということになる。そういえば、この唄も歌詞に関しては実に曖昧、当時は気楽に飲める店が軒を並べたり、若者が集まるような場所ではなかったような気がする。地下鉄の駅を出てすぐの露地を入ると蚕糸試験場の万年塀から湧き出るように伸びる桑の木、それが尽きると区立の小学校から、同じく中学校の裏門があって、そこで左に折れて、すぐに右に曲がると、やや広めの道に出る。正面にスーパーマーケット(山手ストアといったか?)とその隣に銭湯(これは大和湯と覚えている)、そこを左に行くと女子大、右に行くと坂道の始まりに週に1、2度は夕食をいただいた『母屋』(ここのおかみさんに、実の親より先に大学の卒業証書を見せて、何かご馳走されたような微かな記憶がある)という居酒屋があって、上りきると、これも行きつけの『たんぽぽ』(一階がそば屋で、そこがたぶんオーナーであったはず)という喫茶店、それを遣り過ごして環七に至り、陸橋を渡ると妙法寺である。パチンコ屋はあった、映画館(封切館などではない)もあったが、それでもいわゆる閑静な住宅地なのであった…大きな宗教団体の本部があったり、救世軍の関連施設などもあって、日曜の夕方には楽団の小さなグループが、ラッパ吹かして辺りを練り歩いていたような記憶がある。

  東高円寺

     作詞‥吉田 健美
     作曲‥杉本 真人
     歌唱‥今 陽子

  ここでなくてはいけないなんて
  そんな理由は少しもないのに
  私は今でも東高円寺
  あのアパートで暮しています
  小さな部屋が息苦しいのは
  あなたのいないせいなのでしょうか

  気楽に飲める店は多いし
  気の合う仲間も沢山いるから
  私はこうして東高円寺
  このやすらぎにひたっています
  近頃何故か寝つかれないのは
  あなたを想い出にしたせいでしょうか

  雨の降る日は自転車に乗り
  ちょっと駅まで濡れて見たくて
  私はいつまで東高円寺
  心の中を知ってるくせに
  電車の音が気になりだしたら
  あなたを訪ねてこの街を出ます
  あなたを訪ねてこの街を出ます

 とにかく〝曖昧〟で、やや盛り上がりにも欠ける唄なのではあるが、歌詞の中に馴染みのある地名を見て、また淡々としたメロディーを聴くにつけ、とにかく沁みてきて、危うく涙さえあふれ出てしまいそうになるのだ。

こんな映画を観てきた[51] グッバイ・ガール

   グッバイ・ガール
[the Goodbye Girl]
(1977/米 監督…ハーバート・ロス)

『裸足で散歩』(67)、『おかしな二人』(68)でお馴染み?のニール・サイモンの脚本によるものだ。その後、この『グッバイ・ガール』を挟んで、『名探偵登場』(76)、『カリフォルニア・スイート』(79)、『昔みたい』(80)、『泣かないで』(81)等など、ほぼ毎年その戯作が世に出て、評価もそれぞれ高いという、見事というほかない。本作では、リチャード・ドライファスとニール・サイモンの妻であるマーシャ・メイソンが出演、いい意味で手慣れたものだ。
 さて、お話は…
 ニューヨークの片隅で、偶然、同居することになった男運の悪い子持ちの元ダンサーと、俳優とのコメディである。資料によるとニール・サイモンがこの二人のために書き下ろした作品だという。

 「俳優は舞台の上では素敵だけれど、実生活では民衆の敵よ」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)
 これまでの恨みつらみを男にぶつけているのだけれど、それまでの彼女の生き越しがよくわかる。
 そして、
 「ゆうべのこと忘れて」
 「だめだよ。日記に書いちゃった」
 二人が初めてベッドを共にした翌朝の会話(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)。
 クスッと笑わせてくれるやり取り、これこそが真骨頂、演者、監督、作者、まさに三位一体で愉しませてくれた。

こんな唄に出くわした[21]    夜明けのブルース

   夜明けのブルース

    作詞・作曲・唄:レイモンド松屋

 失礼ながら全く存じ上げなかったが、どうやら同郷らしい、このレイモンド松屋という人。この唄、五木ひろしが唄って10年と少し前にヒットしたというが、記憶がない…どうしたことであろう?偶然に聴いたのは、無論?五木ひろしの歌唱によるものだが、試しに検索してレイモンド松屋氏のもので聴きなおしてみた。内容はといえば、まあどうでもというか、取り立てて沁みるところもはっきり言ってないが、こうまで歌い上げられると、またふるさと近く(実際には少々離れたところで生まれたが…そこはまあ大目に見て…)避けては通れない曲として記録しておきたい。

  このグラス飲みほせば帰ると
  言えばお前がからみつくから
  すねてる肩をそっと引き寄せれば
  膝にもたれて耳元ささやく

  秘密に出来るの 誰にも言わずに
  トキメキこころは
  運命(さだめ)と信じて
  ここは松山 二番町の店
  渋い男の夜明けのブルース

  かっこつけて一人タクシー乗っても
  後ろ髪引く別れ口づけ
  ひきかえしたら思いっきり抱きしめ
  夜のしじまにとけてみようか

  秘密に出来るの きっと最後の恋だと
  トキメキこころは
  見つめ合う目と目
  ここは松山 二番町の店
  シャレた女の夜明けのブルース

  秘密に出来るの 誰にも言わずに
  トキメキこころは
  運命(さだめ)と信じて   
  ここは松山 二番町の店
  渋い男の夜明けのブルース

 「ここは松山 二番町の店」という箇所のほか、松山をイメージさせる文言はまるでないが、そこが路面電車の路線から少し入った、ご当地一番の盛り場であることに間違いはないようだ。その昔、親類の姉妹がスナック(何という店名だったか…)を営業していて、学生時代、帰省の折に顔を出しては、もしかするとご馳走になったかもしれない、申し訳ない、記憶がない。想えば、日野てる子という往年の歌手が、デビュー前にこの辺りで唄っていて、それが露見?するに及び在籍していた高校をやめることになったとかどうとか、そんなことを聞いた覚えがある。

こんな映画を観てきた[50] キャバレー

   キャバレー
[CABARET]
(1971/米 監督…ボブ・フォッシー)

 「人生はキャバレー」(ライフ・イズ・キャバレー)、映画の中の代表的な歌の歌詞だが、当時に限らず、今でもよく聴くほどのスタンダードとなった。
 「恋人を作るより友だちを作る方がむずかしいわ」とは、主人公(マイケル・ヨーク)をライザ・ミネリが誘惑し、拒絶され、彼女は友だちでいましょうとこの台詞を吐いた(和田誠著『お楽しみはこれからだPART3』より)。拒絶された理由は後にわかる…
 大戦前夜の頽廃ムード漂う中、そこにこのライザ・ミネルが放つ強烈な光(どちらかというと暗黒の光…)、後に内容よりも歌の方の評価が高かったと言われた(とても面白かったと記憶しているが)?『ミスター・アーサー』への出演があった彼女だが、やはり『キャバレー』での演技が鮮烈かつ際立っていたことに違いはないだろう。とにかく、母親(ジュディ・ガーランド)とは、真反対というか、見た目の印象だけだが、全く対照的で、ただただ驚かされるばかりだ。
 さて、監督のボブ・フォッシー、後に『オール・ザット・ジャズ』という自伝的作品を世に出した…のだが、どうしたわけか観ていない。よほど主演のロイ・シェイダーが〝お気に召さなかったか〟、タイトルのイメージとしてもぜひ観ておきたいと、当時はきっと思うはずであろうと考えるところであるが、何故か観ていない。少し調べてみると、この配役にはいろいろと悶着がついたらしく、作品の評価は高かったようだが、とにかく「こんな映画を観てきた」リストには入っていない

こんな歌を聴いてきた    翳りゆく部屋

   翳りゆく部屋

     作詞・作曲:荒井由実

  窓辺に置いた椅子にもたれ
  あなたは夕陽見てた
  なげやりな別れの気配を
  横顔に漂わせ

  二人の言葉はあてもなく
  過ぎた日々をさまよう
  ふりむけばドアの隙間から
  宵闇が しのび込む

   どんな運命が愛を遠ざけたの
   輝きはもどらない
   わたしが今死んでも

  ランプを灯せば街は沈み
  窓には部屋が映る
  冷たい壁に耳をあてて
  靴音を追いかけた

 正直言って、好きなタイプの歌い手(ミュージシャンと言うべきか…)ではない。ただし、この曲だけは別格である!・・・と思っている。壮大なる暗さ、宇宙空間につながる雰囲気に満ち満ちている。これを聴いた後に、映画『2001年宇宙の旅』のラスト(だけ)を観れば、今日という日は完璧である。学生時代だったか(卒業していたかもしれない…)、傾きかけたアパートの四畳半で、ヘッドフォン越しに聴いていた、時間は真夜中、想えば懐かしいというよりも、ただただおかしいばかりだ。

《訃報》 アラン・ドロンさん死去

[訃報]俳優 アラン・ドロンさん死去 88歳

「太陽がいっぱい」で主演
 2024年8月18日 15時45分  NHKオンライン

 映画「太陽がいっぱい」などに主演し、世界的な二枚目俳優として日本でも多くの人々を魅了した、フランスの俳優、アラン・ドロンさんが死去しました。88歳でした。

 フランスのAFP通信は、家族の話としてドロンさんは、フランス国内の自宅で家族に見守られながら息を引き取ったと伝えています。

          ◇

 〝世界的な二枚目俳優〟と記事にはあるが、果たして・・・
 彼と、アメリカからはロバート・レッドフォード、イタリアからはジュリアーノ・ジェンマ、世界三大二枚目として括ればこういうことになるか…
 思えば、テレビ上映となると、三人とも吹き替えは決まって(必ずではないが…)野沢那智さんの役割だった。実際には、アラン・ドロンにしても、おそらく他の二人にしてももっと低音であったようだが、その甘ったるい声質がその人気をさらに高めたことに違いはない…と思う。
 ドロンといえば『太陽がいっぱい』であることに異論はないが、個人的には『太陽はひとりぼっち』も『サムライ』も『ル・ジタン』なんていうのも面白かったが、何といっても『ボルサリーノ』、できれば『…2』を挙げたい。前者は製作側が彼に演じさせたかった作品、それに対して後者は彼がやりたかったもの…のような気がする、作品的評価はどうでも良く、とにかく観ていて楽しかった。チャールズ・ブロンソンを〝復活〟させた『さらば友よ』、ジャン・ギャバンを引き摺りだした?『シシリアン』など、決して独りよがりではない映画作り(実際にはもっと生臭いことなのだろうけれど…)を手掛けたことに関しては感心頻りである。誰も得しなかったのはカトリーヌ・ドヌーブ(『リスボン特急』)とジャン・ルイ・トランティニアン(『フリックストーリー』ぐらいか、映画自体は面白かったが、大スターを更に大きな存在にすることはなかった…ような気がする。もう半世紀も昔のことになるか、切れ目なく彼の映画を観ていた時期があって、特に大ファンというわけではなかったが…いや、これは立派にファンだったのだろうと今思っている。

こんな歌を聴いてきた    水中花

   水中花

      作詞・阿久 悠
      作曲・歌:井上 忠夫

  線香花火チリチリと
  松葉模様描いてる
  金魚鉢ではポトリ紙の花咲く
  水の中で開く花
  外に出せばただの紙
  そうよ私はここで生きているだけ

     あなたには二度と逢えないわ
     お互いに不幸になるだけよ
     さよなら さよなら お酒でも飲みます

  針の音がシャーシャーと
  歌の隙間埋めてる
  古いレコードかけて酒を飲むのよ
  辞書を開き知らぬ文字
  さがしながら書く手紙
  頬に流れる涙吹きもしないで

     あなたには二度と逢えないわ
     お互いに不幸になるだけよ
     さよなら さよなら 夜明けでも待ちます

 どこでどうひっかかったか、まさか松坂慶子の『愛の水中花』(こちらは五木寛之作詞)と間違えたわけでもあるまいが、調べるとその3年ほど前に発売されたものであったようで、とにかくLPを買い求めて、これもまた毎夜のごとく繰り返し聴いていたことは覚えている。『ブルーシャトー』も悪くはないが、この井上忠夫という人のベースは、あくまでも〝和風で〟、ここらあたりにあったのだと思っている、そのくらい沁みるのである。

こんな映画を観てきた[49] 風と共に去りぬ

   風と共に去りぬ
[GONE WITH THE WIND]
(1937/米 監督…ヴィクター・フレミング)

 「明日考えるわ」(和田誠著『お楽しみはこれからだPART2』より
スカーレット・オハラの有名な台詞である。和田誠さんによると、原作にも使われている主要な台詞であり、映画というより文学の名台詞というべきなのだそうだ。「Tomorrow iIs Another Day」明日は明日の風が吹く…は突き詰めるとこういうことになる。主演に大(?)抜擢されたヴィヴィアン・リーは、この後、『哀愁』、『欲望という名の電車』など、映画の歴史に残る名作に出ることになるが、小さい身体にこの大物感、見出した人、要は製作者の勝利ということだろう。ジーン・アーサーやスーザン・ヘイワードなど、名だたる大女優がこの役を目指したらしいが、なにか特別なコネクションがあったか(その気配もあったとか、なかったとか、その噂はあったと何かの資料で読んだことがある)、無名の小柄な女優がこの大役を射止めたという。とにかくこの時代に、こんなテーマのこんな大作、アメリカという国の〝迫力〟を思い知らされた。

こんな歌を聴いてきた    どうぞこのまま

   どうぞこのまま

     作詞・作曲・歌 丸山圭子

  この確かな 時間だけが
  今の二人に 与えられた
  唯一の 証しなのです

  ふれあうことの喜びを
  あなたのぬくもりに感じて
  そうして 生きているのです

  くもりガラスを 伝わる
  雨のしずくのように
  ただひとすじに ただひとすじに
  ただひたむきに

  それは ばかげたあこがれか
  気まぐれな恋だとしても
  雨は きっと 降り続く

  くもりガラスを たたく
  雨の音かぞえながら
  どうぞこのまま どうぞこのまま
  どうぞやまないで

  さよならは 涙とうらはら
  冷めたコーヒーのようなもの
  だから いつまでも このまま

  どうぞこのまま どうぞこのまま
  どうぞやまないで
  どうぞこのまま どうぞこのまま
  どうぞやまないで

 遠い昔、LPを買って四畳半の部屋で、相応の卓上オーディオでよく聴いたものだ。たしかこの丸山圭子という歌手は同い年ではなかったか…隙間だらけの、若干傾いていて窓もちゃんと閉まらない部屋では「くもりガラスを伝わる雨のしずくのように」などと、とてもロマンチックな雰囲気ではなかったけれど、それはそれでおかしくもあり、決して惨めなものではなかったように思える、懐かしいだけかもしれないが…
 ボサノバ調の歌謡曲とでもいうべきか、まあそんなことはどうでもよろしい、入手した当座は、とにかくほぼ毎日聴いていた。最近になって、ネットで聴いてみて(引越しを機に、後生大事に置いていた壊れたステレオも、併せてレコードも捨ててしまった)、相変わらずいい歌だと思えて、試しに他の彼女の曲も続けて聴いてみたけれど、個人的に沁みる歌はこれだけだったかな?