月別アーカイブ: 2013年8月

地域FM

 自治体単位で運営されている地域FM放送。これがパソコンを通して何処でも聴くことができたりする。ノンストップで“懐かしい”歌謡曲が流れてくる。曲名がわからなくて残念な場合もあるが、その間煩わしい投稿によるメッセージも天気予報、交通情報も一切ない。そのかわり中間点での宣伝やら終了時では曲の途中だろうが番組はそれをぶった切って終わってしまう潔さ、アナウンサーも存在せず、いろいろ権利の問題もあって旧い曲ばかりということなのだろうが、ある年代にとっては、むしろその方がありがたい。当時この歌手、この歌嫌だなと思っていたのに突然流れてきて妙に懐かしくも嬉しく感じたり、思わず記憶が“軌道修正”されてしまったりする。編集、演出のないもの(曲の選定などそれなりの作業は伴うのだろうが)であっても、番組として立派に成り立つのだ。
 また、某番組企画会社が各地域FMを対象に共通の番組を制作して、それぞれ配信されていることを長いこと知らないでいた(関心をもつきっかけがなかった)が、そこで失礼ながら“かつて一時代をつくった”歌手たちがパーソナリティと称して仕事をしていたりする。懐かしくもあり、若干哀しい(決して悲しくはない)気持ちになったりもするが、他人事ながらこうした場所があることに安心するし、これこそ“地道な”仕事だと感心もする。
 基本的には、防災情報をはじめとした地域情報の伝達がその使命ではあるのだろうが、そこに住む者、或いは住んだことのある者にとって、時には“ゆかりの”地域FM放送を聴いてみたいと思うのも齢のせいなのだろう。

わたしの好きな映画音楽ベスト5

ひまわり

ひまわり

 いきなりランキングでは頭が痛くなるばかりなので、まずは“ノミネート作品”を列挙してみよう。旧いところから、『会議は踊る』、『旅情』、『ひまわり』、『刑事』、『007ロシアより愛をこめて』と同じく『私を愛したスパイ』、『第三の男』、『シェルブールの雨傘』、『愛情物語』、『ルシアンの青春』と『ショコラ』(どちらもジャンゴ・ラインハルトのマイナー・スウィング)、『シシリアン』、『昼下がりの情事』、『夜の大捜査線』、『道』、『いそしぎ』、『太陽はひとりぼっち』、『ピンクパンサー』、『シェーン』、『我が道を往く』、『雨の訪問者』、『オリエント急行殺人事件』、『ミスター・アーサー』、『カサブランカ』、『シー・オブ・ラブ』、『失われた週末』...

 上記の中からベスト5を選んでしまおう!
 一日中繰り返し聴いても飽きることがないであろう、その度合いが高いと思い込んでいるのは...
  第一位 『会議は踊る』より「ただ一度だけ」…主人公(リリアン・ハーベイ)が小鳥のように歌い踊る映画音楽の古典に大いなる敬意をこめて。
  第二位 『旅情』より「サマータイム・イン・ヴェニス」…生演奏を聴くために、サンマルコ広場まで連れて行かれた曲である。
  第三位 『ひまわり』よりメインテーマ…ウクライナのひまわり畑までは遠いが、生きているうちにあの中をこの曲を聴きながら彷徨い歩きたいと思う一曲。
  第四位 『シシリアン』よりメインテーマ…エンニオ・モリコーネの曲で、抑えっぱなしの旋律が実に心地よく、一日中聴き続けるとなるとこちらになってしまう。
  第五位 『第三の男』…これもまた、三角形にひらく下水道の蓋を探しにウィーンまで誘われてしまった曲(結局見つけることはできなかったが)。
以上。
 あれこれ悩みたい気持ちはあるが、今日のところはこのへんにしておこう、また別の日に検討するといくつかは確実に入れ替わることになるだろう。
 一日一回聴いて元気が出るということになると、例えば、『夜の大捜査線』より「イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイト」。動き出した列車の窓からカメラが上斜めに引いて(どうやって撮影したものか、お見事!)、シドニー・ポワティエの顔が小さくなっていくラストで流れるクインシー・ジョーンズの曲はしびれたなぁ。しかし、一日中聴くとなると、これはちょっとしんどいか?また、作品の方はどうでもいいが、これ以上の“アンニュイ”さはないだろうと思うモニカ・ビッティにはまさに相応しい曲『太陽はひとりぼっち』(このタイトルはどうにかならなかったかなぁ)、こちらは時々の深夜に一回だけ聴くべきだ。優雅な食事には『昼下がりの情事』より「ファッシネイション」、食後には『いそしき』のテーマ、その後は『刑事』より「死ぬほど愛して」は悩ましすぎるとして、『我が道を往く』より「アイルランドの子守唄」で安らかな眠りへということになる。

私の好きな映画《SF編》

2001年宇宙の旅

2001年宇宙の旅

 『好きな映画』といっても、主に、20世紀中(その後半の更に後半)の作品からということになる。また、唐突に《SF編》としてしまったが、実をいうと“SF”というのはやや苦手である。とはいえ現状をみるにつけ、デジタル化が進み、それまでSFのジャンルには決して入らないようなものも、言ってしまえば概ね映画といものがジャンルを問わず《SF映画》になってしまった印象がある。そういうこともあってここではやはり20世紀の作品に限定したい(実は新しい世紀に入ってからは映画館へ足を運ぶことが少なくなり、やがてほとんどなくなったというのが理由なのだが...)。
第一位は『2001年宇宙の旅』(1968/米、スタンリー・キューブリック監督)
第二位は『サイレントランニング』(1972/米、ダグラス・トランブル監督)
以上である。
 いきなり、ベスト2でおしまいとはなさけないが、仕方ない。他にもあるにはある、古くは『ミクロの決死圏』から『スターウォーズ』、『未知との遭遇』、『ブレードランナー』も観たし、大好きな007シリーズの『ムーンレイカー』なども立派なSF映画なのだろう、ヒッチコック監督の『鳥』などもこのジャンルに入れてしかるべきかもしれない。しかし「私のベスト」となるとこの2作になってしまう。
 『2001年宇宙の旅』ではその中で使われたヨハン・シュトラウスの「美しき青きドナウ」の“カセット”持参で、まだ東西にヨーロッパが分かれていた頃、そのギリギリの東の端、ウィーン・プラター広場の大観覧車のゴンドラの中で、さらに東を望んで聴いてみた。今では、お隣のハンガリーどころか、スロバキアからチェコ、旧東ベルリンにだって気軽に立ち入ることができるそうな、まさに隔世の感である。
 それはともかく、この映画はすでにリバイバルとしてであったが、劇場にて続けて3度、テレビ放映を録画したものを、これは幾度も観ることになるのだが、まじめに観ようとすればするほど、猿が骨を中空に投げ上げるかなり前でこちらが寝入ってしまうのだ。なかなかラストの極彩色の時空間の流れの中に入ることも、まして胎児が登場して「ツァラツストラはかく語りき」まで到達できない。それでもこの映画を“評価”しないと映画好きの名折れとばかりに頑張ってとにかく観た。SF自体、またスタンリー・キューブリック監督についても、それほどのファンではないとすると、何をしてこの映画に当時執着したのかよくわからない、きっと、専門家の評価が高いので、反発する前にとにかく一度打ち負かされて納得しておきたかったのかもしれない。
 あのモノリス(石板)が神の啓示だとすると全てが解決してしまうが、それではSF映画ではなく、面白さとしては、『天地創造』(この旧い作品、“聖書”のことを想わなければむしろ立派なSF映画だといえるのかもしれない)に及ばない。哲学的なことを言い始めると、もう何がなんだかわからなくなってしまうので掘り下げる事はあえて?しない。新しい“太陽”の出現というのが“こたえ”だとわかるのは後の『2010年』という、もうどうでもいいような(前作を貶めるものとしか思えない)作品でわかるのだが、原作を読む意欲はついに湧かずじまいで、ここは映画のことだけとしたい。決してつまらないということではない、ただひたすら眠気との闘いに終始した作品だったが、それでも“私の好きな映画《SF編》”第一位なのである。
 さて『サイレント・ランニング』だが、『2001年宇宙の旅』に比べると、こちらはもう明らかに小品である。植物の価値を重視する側と、人工的に管理された地球の方が便利で快適だとする主張のせめぎ合い(善い者と悪い者の区分けが安っぽすぎる感がしないでもないが...)の中で、植物の“種”を守るべく、管理社会の象徴ともいうべき破壊を免れたロボット(これがかわいくて実にユーモラス)に“永遠の管理”を委ねてドラマは終わる。宇宙に漂う限られた空間(ドームの中のジオラマ)が“種”となって人間の管理の外で新しい世界を創造しうるか、壮大というか、手がかりの見えないテーマの中で、思い切り?わかりやすい結末をつけてくれたことに感謝している。

 

パンとスープとネコ日和

 WOWOWで『パンとスープとネコ日和』というドラマを観た。毎週日曜日の午後10時からの連続ドラマのつもり?で見ていたら、第4回放送の終了後、全出演者によるなんとも表現しづらいダンス(ほんの瞬間だが、岸恵子までつきあわされていた)があって、いきなりドラマ自体が終わってしまった。あまりに終わりが唐突な感じがして、あわてて公式プログラムを開くと確かに[全4回]とあった。確かにこれが最終回だったのだ。文句を言っているのではない、面白かった。特に愉しみにしていたわけでもなく、初回と2回目の途中くらいまでは“いいかげん”にしか観ていなかった。オンデマンドでもやっているというので、パソコンで全4回通して改めて観賞したしだいである。
 ほぼ何も起こらない、なにも解決しないままストーリー(のようなもの)は展開し、いきなりのエンドマーク!それでも退屈しない、それどころか観ていて笑顔になっている自分に気づいてびっくりしたりする。
 実際には、母親の死、転職(パンとスープのお店を開業)、ご近所との緊張感たっぷりのつきあい、新しい仲間の登場、ネコの失踪、そしてもしかすると腹違いの弟かもしれない若いお坊さんとの接触と、結構“事件”は起きるのだが、どれも重たくないのだ。それでいてどのエピソードもそれぞれに示唆に富んでいると言いたい。
 群ようこ原作ということで、以前(かなり昔のことになるが)続けて何冊か集中して読んだことがあり、この同い年の“感性”が懐かしくもうれしかったのかもしれない。といわけで、本棚から群ようこ原作の『濃い人々』(2001年4月24日第一刷発行)を引っ張り出して、新鮮な気持ちで再読している。