2. 狙われたスケッチブック
フランクフルト駅構内の郵便局で葉書を出す。週末のせいか、混んでいるわりに窓口が少ししか開いていなくて、女性職員はすこぶるご機嫌斜めだった。彼女はつり銭を投げるように渡した。
駅から10分ほどの『ゲーテハウス』へ。入館料2DM、職員が日本語の案内書を示すので仕方なく頂戴しようとするが、これがさにあらず、しっかり有料で、いまさらつきかえすこともあたわず結局買わされてしまった。記念にとドイツ語版も併せて都合6DM。大戦による全壊の後、焼け残った物を集めて再興したとのことで、建物自体は新しいもので、かつ資料も量的にいささか貧弱と言わざるを得ないようだ。ただゲーテが一時住んでいた“跡地”というだけのことと言ったら言い過ぎか...
遠足か何かで大勢の子供たちがとても賑やかだった。ゲーテはれっきとした貴族で、実際の家も立派な邸宅、人間、悩むにもそれなりの資産が必要なのだ。
マイン河畔散策、驚かないが相当に汚い川だった。それでも川沿いの古い教会が歴史を物語っていて、これで水がきれいだったりしたらかえって絵にならないかもしれない。古さと汚さは紙一重だが、欧州の風景はその汚ささえも歴史の一部としているのかもしれない。駅前のマクドナルドでチーズバーガーとコーラ(4.90DM)。
ホテルに戻ると日本から有名な名前のついたパックツアーの団体が到着していた。
市内観光か何かで、一人メンバーが足りないと大騒ぎ、本人はともかくとして添乗員には心からご同情申し上げる。このホテルは駅のインフォメーションで紹介されたのだが、どうやら料金的にも日本人観光客のための定宿ということらしい。何の心配もなく移動し、手配された観光バスにおとなしく乗り込む人々、“ひとり旅”としては、それが嫌でひとりでいるはずなのだが、疲れてくるとついつい羨ましくも思う。
団体のオプションツアーには参加しなかったのだろう、二人の初老のご婦人がフロントでタクシーを呼ぼうと係りを相手に悪戦苦闘していた。
突然フロント係りがロビーに居た私を指差して何か言った。あいつに相談してみなさいということらしい、逃げるわけにもいかず、しかたなく近寄るとやはり団体行動がいやで、二人で散歩したり、スケッチでもして過ごしたいということだった。
「市立美術館まで行きますが、途中までご一緒しますか」と言うと、「お願いします」とさっそく出掛ける態勢。添乗員に単独での行動を慎むようよくよく言い含められているらしく、お決まりのコースをたどるだけでは飽き足りないが、かといって思いきったこともできずにいるといった趣で、緊張の表情のまま黙って私のあとに従った。
マイン川を渡って、川辺に下りた所で別れた。少々心配ではあったが、心置きなくスケッチもしたいだろうし、こちらとしてもこれ以上お付き合いする義理もない(余計なことをしたと少々後悔もしたが、ホテルまで15分から20分程度の距離でもあったし、決して本人たちの心配をよそに置き去りにしたわけではない)。
「この時季、遅い時間まで明るいですが、やはりできるだけ早めにホテルにお戻りください」と言い置いて別れた。
ホテルで夕食。
前方のグループ席に日本人の団体が陣取っていた。二人のご婦人を目で探すが見つからない、場所も広く暗いこともあって見つけられないだけのことかもしれない、添乗員にたずねるのも億劫だし、フロントに確認するのは余計に面倒だ。それでも食事を済ませ、儀式のごとく最後にビールをお代わりして部屋に戻った。
翌朝、身支度を済ませ、荷物一式を持ってレストランへ、朝食。やはり日本人だらけでさながら日本食堂の雰囲気だ。
その中に先のご婦人をようやく見つけ、目があって軽く会釈が返ってきた。一安心だがいやな一夜を過ごしてしまった。今後は決して身の程知らずなお節介はよしておこうと思うことしきりだった。