“有無を言わさない”用件があって、実に40年ぶりの場所に立つこととなった。街並みそのものに変わりなく、タクシーは記憶どおりの道順を辿ったが、当時新しいとされていた大橋が近く架け替えられると運転手氏が言った。田んぼがひろがっていたところに大型店舗が立ち並び、それに“反比例”するがごとく、中心であった通りはすっかり寂れて“シャッター商店街”と化していた。ここに映画館が2軒あった。『卒業』と『あの胸にもう一度』(アラン・ドロンの、子供には少々刺激的な作品)ともう1本の三本立てを観た、大橋のたもとにあった『東映』と、橋を渡って更に歩いて5分ほどの距離だったか『銀映』といった。そのいずれも今はなく、運転手氏によると、『東映』はその後老人ホームとなり、さらに現在はマンションに落ち着いたとのこと。
ゆめゆめ思いもしなかった高速道路が通じ、鉄道も遠回りの海沿いを走る線に加えて、トンネルを無茶苦茶堀りに掘って、直線的な山線が開通し、特急はこちらを走っている。馴染み深い海線(寅さんが夕陽に向かって列車を待った駅がある=「殿様と寅次郎」)側の寂れようもまた想像に難くないが、マッチ箱のディーゼルカーがコトコト動いているだけでも良しとすべきか...これもやはりバランスのとれた成り行きというものかもしれない。
徐々に変わり往く景色には特に感慨の持ちようもないが、半世紀近くを経過し、そこで日常を過ごす人の世代も変わったろうが、それでもさほど驚かない、訪問者の無責任に対する責めを覚悟すれば、これはこれでありがたい、懐かしささえ無くなっていたらとてもそこで平常心は保てないだろうとの不安はありがたくも杞憂であった。