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吉田と桑田、そして佐田の山と若秩父

 お互いそれほど活発とはいえない性格で、幼馴染の“よしくん”はよほどおとなしい子供だった。体調をくずしていることは聞いていたが、亡くなったとの知らせは、やはり唐突で残念でならない。そんな二人が、ほぼ同時に野球のユニフォームを買ってもらったことをどうした経緯かはともかくよく覚えている。それぞれが親に縫い付けてもらった背番号は、私が[23]で彼は[8]であった。[23]は阪神タイガースの[吉田]、[8]は大洋ホエールズの[桑田]だったのだが、両人とも当時の“地方”では中継もほぼ『キョジン対それ以外』であって、相当の“へそまがり”だったのかもしれない。お相撲では、私が[佐田の山]で彼は[若秩父]、これもまた両人とも大鵬ファンでないところがなんとも味わい深い。彼は小学校を卒業と同時に県庁所在地へ引っ越していった。それ以来会っていない、いや一度だけ路面電車の引き込み線のどん詰まりにあった新居を訪ねた記憶がかすかにあり、その折に顔を会わせたかもしれないが、親の方の用件で訪ねただけだったか、その時の印象はもうない。その“よしくん”が、更に遠く離れて静かに逝ってしまった。阪神はその後1985年に日本一になり、佐田の山は出羽の海親方となり、やがて理事長になった。一方、大洋ももう少し時間がかかったものの、またチーム名こそ変わったが同じく日本一になった。若秩父は常盤山親方として向正面の解説として長くお茶の間にはなじみ深かったなどという話をちょっと“得意げに”話してみたかった。