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心に響かず、よって行動にもつながらない

 「よき訓話が響かない。悪意なき悲劇の開始コールだった」(東京新聞『スポーツが呼んでいる 藤島大』より)という活字が心に響いた。昨年10月の就任当初の様子を取材した記者の印象らしいのだが、あるプロ野球の監督が事実上の解任なのだろう、先日不振球団おきまりの“休養”ということになった。名前を隠しても意味がないが、その名が監督として発表されたときに一番嫌な人が監督になってしまったと当時個人的には思ったことを覚えている。
 何を言われようが強いられようが、抵抗どころかほとんど反応がない...。これで全てが受け入れられたと思うのは大間違いだ。要するに心に響かず、従って面と向かって歯向かうようなことも起こりえない。むしろ“烽火”でもあがれば対応のしようもあるだろう、軌道修正も当然考えねばなるまい、とにかく何らかの方策が考えられる(例えばどちらかを“配置転換”するとか?)。さして不快には思わないが、何を言われても心に響かないものだから意識につながらず、当然期待される結果に向けての行動を伴うこともない。どうしたものか対応に困るが、露骨にいやな顔をするわけにもいかず、ただただ周囲の様子をうかがいながら“時”を待つ。「今時規則なり、或る種の枠を押し付けて、それが通用するような時代ではない」というのはやさしいが、ことはそういうことだけでもなさそうだ。“結果”が出ないのは誰のせいか、それぞれの側にあるのは無論だが、“管理”する側のある種の“読み間違い”は否めないだろう。
 目の前に居る人の心をつかむのは難しい、むろんその先にいる彼らを取り巻く人たちの心など推し量ることさえ更に難しいことだし、誘導するようなことは論外だ。
 ずいぶん昔の話になるが、この“元監督”が某球団の監督だった時、その期待に応えられなかった投手に交代を告げたあと、ベンチの中でカメラでとらえられていることを知ってか知らずか怒鳴りつけるシーンが今でも何かの折に流され、音声が無い分いかにも“ネチネチ”と指導をこえた何か不快な雰囲気をもって映し出された。その時のただただうな垂れていた投手も今では別のチームでコーチとして働いているところをみると、その“指導”は今に生きているのかもしれないが、不快な印象だけが残ったことを記憶している。その人物が望まれて返り咲くという形で監督になったが、本人にとっては、おそらくなんだかわけもわからないうちに辞めさされてしまった?ということなのだろう。精神に“芯”をもつことと声高に事を強いるというのはまったく別のこと、きっとこの“元監督”は野球というスポーツが元々たいして好きではないのかもしれない。そういえば解説者時代もその印象は、別段視聴者に阿る必要はないが、それでももう少し愉しい言い方はないものか(決してくだけたものにしろというわけではない!)と、この人の解説する中継は二度と見たくないと思えるほど実に不愉快なものだった。年がいってからでも遅くはない、己が価値観に改めて考えを及ばせて、また基本的なコミュニケーション能力を学んでやり直そう!今回のことは、表向きはあくまでも“休養”なのかもしれないが、実際のところ“無期停学”と受け取るべきではないか。