月別アーカイブ: 2015年7月

「ローレン ローレン ローレン ロ~ハ~イド」…鑑想記#014

-ブルースブラザーズ【1981/米】-
014BBS
看守に付き添われて一人の男が刑務所内の通路を無言で歩く、刑期を了えてめでたく出所である。このカットに十分時間をかける。観る側としては、始めからこの映画がドタバタコメディであることが解っているのになかなか笑えなくてイライラするわけだ。そして刑務所にて預かっていた本人の私物返却のシーン、係員が未使用と使用済みのコンドームを手にしたところで大爆笑を取るという筋書きなのだが、大笑いできるほどのギャグでもない、先が思い遣られる。
プログラムの解説には、ミュージカル・コメディ・アクション大作とあるが、なんだかよくわからない。派手なカーチェイスだの、加えて軍隊までが登場する大捕物劇は無用の物だった。更に執念深くジェイク(ジョン・ベルーシ)をつけ狙う謎の女(キャリー・フィッシャー)に至っては登場の根拠が理解できない。 アクセントにしたかったのか、ラスト間際まで素性を明かさぬまま登場させるのだが、作品を盛り上げるどころか、シラケさせる要因になってしまった。ただし、懐かしのツィッギーが何となく意味もなく登場するところなどは面白い(女がツイッギーであることは、そのシーンでは全く解らなかった)。ラストにキャスト の紹介があり、そこで初めて彼女が実はかのツイッギーであることが判明するのだが、これは文字通り笑えて愉しい“イキな”演出だった。
全体としてはともかく、音楽がらみのシーンとなると話は別だ。いかれた教会(ジェームズ・ブラウンが牧師で登場)、下町の食堂(アレサ・フランクリンが女主人)、レイの楽器店(レイ・チャールズ)、カントリー&ウエスタン酒場、そしてパレスホテルでのコンサート。特に、酒場でC&Wでないと納得しない客の前で、 R&B専門の彼らが苦し紛れに演奏した誰もが知っている“ローハイド”は迫力満点だった。プライドやこだわりは何の意味もない、ここではやっぱり“ローハイド”、そうでなければ客は断じて許さないのだ。世の中は実に厳しい。
【1981/米】

私はこんな映画を観てきた...

「直接関係者だけの機密事項である」…鑑想記#072

-007 リビング・デイライツ【1987/米】-

007LDL
 空からのスタート。これは『ムーンレイカー』以来か?実戦かと思いきや、実は訓練(『ネバーセイ・ネバーアゲイン』と同じ)、ところがどっこいいきなり実戦突入。いささかひねり過ぎだが、これもマンネリゆえの一工夫ということだろう。ニューボンド、やや垢抜けない感じがしないでもないが、とにかくなんといっても若いし、ここは無理にでも盛り立てて(?)いかねばなるまい。期待も込めて合格点、特に気負ったところもなく、若い分動きも素晴らしいティモシー・ダルトン、まずは好調なスタートといえる。
 お馴染みのオープニング・タイトル。
 お話はまずチェコ・スロバキア(現スロバキア)のブラティスラバから、曲はモーツァルトの交響曲40番(悲しみのシンフォニー)、KGBエージェントの西側への亡命をボンドの機転で、天然ガスのパイプラインを利用して成功させるアイディアは、東と西との唯一のパイプを象徴している。気の利いた台詞を2つ・・・逃走経路を聞かれて「直接関係者だけの機密事項である」(同じ台詞でボンドがお返しして粋な台詞になった)、「KGBには女が多い」
 さてウィーンは懐かしのプラター広場。『第三の男』でお馴染みで、かつて高所恐怖症も忘れて飛び乗ったゴンドラ、映画では内部もじっくり見せてくれて(当然ボンドのラブシーン)、懐かしくも嬉しかった。当時は昼間で気づかなかったが、夜のプラター遊園地があんなに派手なイルミネーションの花園であったとは・・・、西側の退廃か、ここで人の好いオーストリア工作員の死、シリーズでは珍しく、ほろっとさせるシーンであった。
 舞台はモロッコのタンジール(タンジェ)へ。ここで真相が明らかとなり、前代未聞のKGB(プーシキン将軍)との提携ということになるのだが、’87暮れの米ソ「INF削減」の実現を暗示しているようで、まさに東西の新しい緊張緩和をイメージしたものか?
 CIAのフェリックス・ライター久々の登場だが、彼もやはり若返っていた。それにしてもボンドガールたち(最近はヒロインと区別して、ひとまとめに“ボンド・ビューティ”というのだそうだ=別枠でそうクレジットされていた)の品のなさはどうしたことか、なんとも情けない。一方今回のヒロイン、マリアム・ダボについて、エラが張っていて何やらオードリー・ヘプバーンを想わせる雰囲気だが、シリーズにあって珍しいことに、彼女はかなり活発に動いてくれている。見た目のボンド・ガールはひとまとめにボンド・ビューティにまかせておいて、メインにはじっくりと芝居をさせる、本来の路線に戻ったことも嬉しい。
 話は一気にクライマックスへ。アフガニスタンのソ連基地だが、ムジャヒディン(アフガンゲリラ)が007を助けたのでは、映画とはいえいささか荒唐無稽と言わざるを得ないが、あくまでもフィクション、物語である。
 5年前の旅を偲びつつ書いたことを、更にその28年後、二重に偲んで思い出し直している。想えば、“ソ連”もないし、東西の“壁”もなくなり、当時東西の境目であったウィーンにて、ここから先は別世界とため息交じりに行き止まりを意識したものだが、もしかるすると、見えなくなっただけで、たいして世界は変わってもいないのかもしれないと訝る2015年現在である。

「一杯やるさ」…鑑想記#007

-アンタッチャブル【1987/米】-

untouchables
映画『アンタッチャブル』(1987/米/ブライアン・デ・パルマ監督)のラストで新聞記者に「禁酒法が間もなく撤回されるとのことだが...」との問いにエリオット・ネス(ケビン・コスナー)はこう答えた「一杯やるさ」。当時の“(鑑賞後の感想記録、略して)鑑想記”には、やや気が利きすぎていて、かえって興ざめしてしまったとある。「消費税が廃止されたらどうしますか?」と尋ねられたらなんと答えよう、「寄付でもしますか」ではふざけ過ぎだろうか。
デ・パルマ監督といえば、『キャリー』(76)、『殺しのドレス』(80)など、ややマニアックな印象と、人間性のかけらもない、というよりむしろ人間性を無駄なものとして削ぎ落としてしまう容赦のなさから、高所恐怖症で先端恐怖症のわが身としては敬遠したい人であったが、これは無知からくる全くの誤解、人間味に溢れた作品といえる、と“鑑想記”は続く。更に、幕がおりて席を立つには立ったが、膝がふるえて歩き出せない、久しぶりの昂ぶりだった、とあり、相当に感動したらしい、かすかに記憶もある。映画は、いかにもアメリカ映画らしく、判事を巻き込んで、買収された裁判員を総取替えしてカポネ(ロバート・デ・ニール)を有罪にしてしまうというどんでん返しで、爽快感に満ちたエンディングを迎える。そして随所に名場面と名言を散りばめている。「警官の仕事は、毎日生きて家に帰ることさ」、これはネスとジミー・マローン(この作品で苦難の果てに漸く精彩を放つことになったショーン・コネリー)の出会いのシーン。更にジミーは、証人を殺されてカポネの起訴が取り止めになりそうになった時、次いでフランク・ニティ(ビリー・ドラゴ)に撃たれ瀕死の状態で繰り返し言う、「打つ手を考えろ」は示唆に富んでいる。ただ1箇所、ネスが家族(妻は後に『ダーティ・ハリ5』に出たパトリシア・クラークソンで、いかにもクリント・イーストウッド好み?)の身の安全を案じてうろたえるところは間が抜けていて不要であるとか、殺し屋ニティの印象の薄さはいかにも残念であるとの“辛口”批評も忘れていない。30年近くの大昔のことだが、まさに昨日のことのようだ。