先日(二月)亡くなった作曲家船村徹の“遺作“かどうかはわからないが、とにかく伍代夏子という歌手の新曲だという。歌詞は次の通り、作詞は『神田川』の喜多條忠(まこと)だが、当然ここでは見事な?演歌である。歌唱が或いはその内容が特に心に刺さったわけではないが、タイトルをこうつけられると見過ごせない、というより、あまりに身近すぎてどこかくすぐったいのである。
非の打ちどころのないひとなんていませんよ
こころに傷のない人なんていませんよ
川を流れる 霧あらし
街の灯りも ふたりの過去も
隠してください 肱川あらし
世間に顔向け出来ない恋でいいですよ
やさしく抱かれあなたと死んでいいですよ
海も 染めゆく 白い霧
好きで出逢った ふたりの行方
教えてください 肱川あらし
涙の川ならいくつも越えてきましたよ
心が石に変わったこともありました
大洲 長浜 赤い橋
こころがわりの 切なさだけは
こらえてください 肱川あらし
上流の大洲盆地で発生し成長した霧がやがて溢れ出し、山間の急流を一気に流れ下る。冬の朝の風物詩、地元では“あらし”と呼んでいる。海に出る寸前の赤い可動橋のところで瀬戸内の暖かい海面に触れて霧は消える、そしてそんな日は昼近くになると決まって晴れる、それも快晴である。
タイトルの「肱川あらし」はともかくとして、一番の「霧あらし」は流れる霧を地元では“あらし”と呼ぶことに因るのだろうし、三番の「大洲 長浜 赤い橋」は、生まれて一八年をそこらあたりで過ごした者(川沿いの桑畑の中道を歩いて通った小学校、中学は歌詞の中にある赤い橋のたもとにあった、そして高校は川沿いを今度は赤いディーゼルカーで通った)としては、むしろしっくりき過ぎてとりわけこそばゆい?!わけであるが、最後の「こらえてください」というのは、よくぞ詞に加えてくれたものだと感激すら憶える。たぶん取材もされてのことであろう、標準語でいえば“許してください”というニュアンスなのだと推測するのだが、どうだろう。