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懐かしのスクリーン・ミュージックを聴きながら

 真冬の深夜、ひとまとめに編集されたファイルをユウチューブで見つけて聴いてみたら止められなくなってしまった。いちいちあれこれ思い出していたら眠れなくなった。40年以上も遡らなければならないので、記憶違いもあるだろうし、思い違い、もしくは明らかな誤りもあるだろうが、あえて?検証せずにつらつら綴ってみた。

 『マイフェアレディ』、曲は「踊り明かそう」、主役がオードリー・ヘプバーンではなくてジュリー・アンドリュースであったら、もっとしっかり鑑賞していたかもしれない。それはそれとして、想えば、時代背景はともかく映画は夢の世界、従って基本的には社会派、ファンタジーの別なく“能天気”なものばかりで、ミュージカルはその際たるものであった。
 『薔薇色の人生』なんて、余程“能天気”でなければ言葉としても思いつきもしないだろう。『十戒』『ベンハー』といった大スペタクル物にしても、現代ではもうある意味馬鹿馬鹿しくて(コストパフォーマンスの面からも)、企画としてあり得ない。ヌーベルバーグだのニューシネマあたりから、映画は質的に変化し、更に時を経て何かが削げ落ちてしまったか、逆に余計なものがたくさんくっつけられたかということなのかもしれない。
 曲は替わって「トゥラブアゲイン(『愛情物語』)」、成功者の半生を描けばおのずと感動的な一作になることはわかりきっている。「ムーンライトセレナーデ(『グレンミラー物語』)」に『ベニーグッドマン物語』と、ストーリーはとりあえずあって、既にお馴染みの音楽がついていて、何の苦労も無く?映画は出来上がるというしだいだ。
 「トゥナイト(『ウエストサイド物語』)」、これをミュージカルと言ってしまってよろしいのかどうか分からないが、音楽と踊りが主役とあれば、そういうことなのだろう。
 「マイナースウィング」、これは『ルシアンの青春』という作品と、近く(でもないが)『ショコラ』の中で使われた。伸びきった?弦を巧みに操るジャンゴ・ラインハルトのギター演奏に痺れたものだが、どちらにおいても欠かせない曲となった。
 「ファッシネイション(『昼下がりの情事』)」、『マイフェアレディ』ではヘプバーンのことを悪く?言ってしまったが、ここでは彼女こそが適役、むしろゲーリー・クーパーは別の誰かでも良かった…ような気がする。ちょっと気取った食事を頂く時に相応しい曲だろう。『ブーベの恋人』、タイトルほどには印象に残っていないが、曲自体はすっかり“スタンダード”である。続いて『夜霧のしのびあい』とくると、これも曲(クロード・チアリ演奏)こそ“世界遺産”?だが、映画の内容は記憶の彼方で、もしかするとテレビ放映でも観ていないかもしれない。哀愁のギターに包まれて…と、うたい文句で深夜の通販番組で紹介されていそう。笑っていても泣いているような面差しのジェニファー・ジョーンズの『慕情』のお蔭で香港を訪れる日本人は今でも少なくないのでは?もうそんなこともないか…、でも思い出すと、話は無茶苦茶だったけれど、意外なほどにアジア蔑視も感じられず、当時(といっても、既にリバイバルだったのだが)では珍しい作品だったのではないだろうか。
 ここで突然「メロディフェア」、『小さな恋のメロディ』は、記憶では日本でしかヒットしなかったようだが、トレーシー・ハイドの可憐さには正直まいった!「ケセラセラ」は『知りすぎていた男』、何の記憶も印象もない、ただペギー葉山さんのお顔が瞼に浮かぶのみである。
 更に唐突に「ザロンゲストデイ(『史上最大の作戦』)」、戦争映画というのはあまり好きではない。批判であっても、礼賛であっても同様だが、ベトナム戦争物になると更にいろいろなことを考えなくてはならなくて、作品にもよるが重たいばかりで救いがない。替わって今度は『ゴッドファーザー』、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲとシリーズを追うごとに深みを増していったといわれるが、いずれも観ていて愉しいものではない、これは好き好きの問題であろう。『ロシアより愛をこめて(007危機一発』、これは宜しい!ペドロ・アルメンダリス、ロッテ・レーニア、ダニエラ・ビアンキ…、ショーン・コネリーだけでなく怪優に絶世の美女(準ミスワールドで、少しだけ口が大きいというのが弱み?であるとダニエラ・ビアンキ自身の台詞にあったのはご愛嬌か、その年のミスはさぞかしおちょぼ口の美女であったのだろうと想像をたくましくした記憶がある)を個人的な“メンバーリスト”に入れることができた。オリエント急行の登場も『オリエント急行殺人事件』よりも先だった。ヴェニスにて、盗撮されたフィルムをゴンドラから運河に投げ捨てて、そのボンド氏の指先のアップでラスト!
 『エデンの東』は映画そのものがクラシック、スタンダードで、作品としても出ている役者にしても凄すぎて、どうしたわけか、もう一度観たいという気持ちになれない、でも、DVDなんか一旦スタートさせたら、きっと最後まで一気に観てしまうのだろうなあと思うのである。「チムチムチェリー(『メリーポピンズ』)」、ジュリー・アンドリュースの当たり役というか、これもまた歌わせたら凄すぎて感想のもちようがない。翻って『エマニエル夫人』、その昔まだ学生の頃、友人と二人で渋谷の映画館で女性客優勢の中、通路に座り込んで観たことを憶えている、“ポルノ映画”というレッテルを外したところで、女性客がどっと映画館に訪れた。後に旅行をした折、ミュンヘンの映画館で改めてドイツ語吹き替えのものを観たが、その時は客の殆どがおじいさんであったことをこれは強烈に記憶している。『風とともに去りぬ』、こういう映画が第二次大戦中に作られたとあっては、その後の世界の状況たるや推して知るべしといったところだ。一転して『シャレード』、こういうものを大作に対して“小品”とでもいうのだろうか、比べることもないが、こちらの方が遥かに好ましい…と思う。ジェームズ・コバーン、ウォルター・マソーと、観ていて飽きない俳優たちの競演で嬉しい限りだった。ケーリー・グラントこそこの役は他の誰かでも務まるものだったような気がする。切手趣味の奥深さというか(大金を切手に代えて目をくらませた)、子供の頃に少しだけ齧った切手収集のことを思い出した。近くの郵便局の知り合いのおばさんにお願いして新しい記念切手が出たら、2枚だけ(シート買いはとても無理!)とっておいてもらった。
「エーデルワイス」は『サウンドオブミュージック』、オーストリア脱出を前にトラップ大佐一家が音楽コンクールでこの歌をコーラスし、授賞式のドサクサに紛れて会場を抜け出すというわけだ。これも後に旅行をした際、ロンドンの劇場で舞台を観た。ストーリーの隅々まで頭に入っていて、言葉の壁など関係なし!文句無く楽しめた。一人旅、劇場、安い片隅の席、そんな自分の状況がおかしかった。主演はペトラ・クラーク、敵役?の伯爵夫人は、なんと『007ゴールドフィンガー』で最後にボンドに寝返った女パイロット、オナー・ブラックマンその人でありました。続いて『シェルブールの雨傘』、十代のカトリーヌ・ドヌーブの可愛らしさに圧倒されて、その後の彼女の作品は観てはいるのだが、いまいち心に残っていない。シェルブール駅のホームから出て行く列車を見送ってみたいと決めていたのに、当時はまだTGVもリヨンまでで、ノルマンディ方面は未整備であったため、パリから往復8時間の移動は、体調的にも無理で断念したことをそれから35年経った今でも悔やんでいる。列車を見送るといえば『旅情』、曲は「サマータイムインヴェニス」、こちらは見送られる方、つまり列車に乗ってサンマルコ駅を離れる側を演ってみた。むろん駅のホームに誰かが佇んでいたわけではない。
『太陽がいっぱい』はアラン・ドロンのプロモーションフィルムみたいなものだが、ただ一箇所、殺した裕福な友人になりすますべく、そのサインを真似する“訓練”をするところ、原物のサインに光を当てて壁に映し出した影をなぞるという、鬼気迫る場面、そこでの咥えタバコに憧れて、こちらの方を真似したものだ。しかしフランス映画のラストシーンというのはやはり秀逸だと思う、余韻において譲るところがない。いっぱいの陽射しの中、刑事に指示されたメイドの呼びかけに応じて立ち上がり、カメラの?こちら側に向けてドロンが歩きだし、やがてフェードアウトしておしまい!『男と女』はクロード・ルルーシュ監督が短期間で作ったものだと言われているが、歴史的な作品になった。特にお気に入りというものではないが、ジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメのコンビ、これは素敵な取り合わせだった。海辺の砂浜にて、それぞれの子どもたちがそれぞれの親たちに纏わり着いてはしゃぐシーンは印象的だった。曲は「死ぬほど愛して」、『刑事』である。半日聴いていても飽きないまさに官能的なメロディだが、さて映画の内容は?といわれるといささかたよりない、それだけ曲が印象的で、イタリア映画でクラウディア・カルディナーレ主演(主演はピエトロ・ジェルミというべきか?!)というだけで観る側とすればノックアウトやむなしといったところだろう。
 アメリカに渡って『卒業』から「サウンドオブサイレンス」、個人的には「ミセスロビンソン」を聴きたいが、テーマ曲といえばやはり前者ということになるのだろう。ベンがミセスロビンソとの初めての逢瀬の時、ホテルのフロントでドギマギするシーンが忘れられない(フロント係りに「お荷物は?」と尋ねられて、彼は「歯ブラシだけだから」となんとかやり過ごそうとした)。『雨に唄えば』、これは曲が先にあって映画があとからついてきたということなのだろう。しかしサイレントからトーキーへの移り変わりの様子がおかしくも勉強に?なった。それでもやはりクライマックスは雨の中のダンスシーン、フレッド・アステアは神様だが、ジーン・ケリーは天才だ!その最後に持っていた傘を通りがかりの警官にわたして、静かに消えていく演出にも、こちらはアメリカ的な余韻を感じられた。
『ネバーオンサンデイ(日曜はダメよ)』、内容はどうでも?このタイトルだけで“一本!”といったところ、主演女優が後にギリシャ政府の大臣(メリナ・メルクーリ文化大臣)になったとか、経歴を見ると筋金入りの政治家であったようだ。

「ただ一度だけ(『会議は踊る』)」も、『ひまわり』も、『夜の大走査線』も、『シシリアン』も、「ラーラのテーマ(『ドクトルジバゴ)』」も、『アパートの鍵貸します』も、『雨の訪問者』も出てこなかったけれど、これ以上は“思い出し作業”で疲れきってしまいそうで、今日のところはこのへんでおしまいということにしよう!!
 日本にもかつて(大昔)オールスターキャストで『日本誕生』なんて大作があったらしいが(三船敏郎の日本武尊のワンシーンを何かのテレビ番組の一部で見たような記憶があるが、一度じっくりと観てみたいと思う)、ジョージ・C・スコットやエヴァ・ガードナーらの『天地創造』の旧約聖書物の方により馴染みがあって、もしかすると、日本の神話よりギリシャ神話や聖書にまつわる言い伝えの方が詳しくなってしまっていて、まさに映画の所為、いやお蔭である事は疑いの無いところである。