月別アーカイブ: 2018年5月

こんな映画を観てきた[6]

雨の訪問者【1970/仏】

 6月、雨の季節、というわけでこの作品をふりかえってみた。主演はチャールズ・ブロンソンということになっているが、断じてここではマルレーヌ・ジョベールである。ブロンソンの奥方であるジル・アイアランドも出ていたが、印象に残っていない。ルネ・クレマン監督で、フランシス・レイ音楽とくれば、内容はともかく“雰囲気”は推して知るべしであるが、とにかくメリーの可愛らしさにはまいった!!『さらば友よ』ヒットのご褒美だったのかもしれないが(本人もまさかフランスで花開くとは思っていなかった?)、もしかするとブロンソンでなくても(ないほうが)、このハリー・ドッブスという役はよかったのかもしれない。こういう女性はアメリカ映画では登場しない、フランス映画ならではのキャラクターであり、それでしかありえない。か細くて、自分勝手で、軽くはないが、かといって深味も無い、見ているだけで十分に成り立つ存在感なのである。つまり可愛いというだけで、それでよろしいのである。

エレーンとラブ・イズ・ブラインド

 時期的にかぶっていたか?この2曲とはセットで関わった。中島みゆきとジャニス・イアン、夜中に聴いてはいけない歌の双璧であるとかねてから“主張”してきた。何故なら、まわりの静寂と相まって死にたくなってしまうからだ。とりわけ「エレーン」、8分にも迫る大作で、聴く者の“芯”をつかまえて離さない。
    エレーン 生きていてもいいですか
    誰も問いたいエレーン
    その答えを誰もが知ってるから
    誰も問えない
 何十年かぶりにまとめて聴いてみた、これは沁みるなどというレベルではなく、打ちのめされてしまう、40年を経ても尚その圧は凄まじく、聴く者を無抵抗にしておいて、そうしておいたうえで情け無用にそこらあたり引き摺りまわす、あとは暗いだけのまさに闇である。そんな中に置き去りにされて、もうどこへも行けない、悲しみも怒りもなく、ただ肩を落として立ち尽くすのみだ。どちらも名曲だとは思うが、とても長く聴いてはいられない、飽きるといことでは決してない、どうにも辛いのである。

こんな映画を観てきた[5]

スティング【1973/米】

 列車の中でのポーカー勝負、いかさまを逆手にとって大きな“騙し”のスタートだ。「4」の仕組まれた“フォーカード”がくしゃみひとつでジャックに総替わり、仕組んだ側の「9」の“フォーカード”などひとたまりもない。その昔、映画館に入り浸るようになったきっかけの記念すべき?作品である。
 何といっても秀逸だったのは、吊り店(のみ屋)のセット(騙しの舞台だから、いわば劇中劇がそこで展開される)、受付窓口のマネージャー、電信で送られてくる競馬中継(この僅かな時間差を利用した騙し)を改めて読み上げるディスクジョッキー、騙される二人(ギャングのボス=ロバート・ショウと悪徳警官のチャールズ・ダーニング)以外の仕掛ける側の、客を装った仲間たち、衣裳、時代考証、女性陣の雰囲気とどれをとっても“本物の偽物”、完璧な演出であった。
 ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、そしてジョージ・ロイ・ヒル監督、個人的にはいずれも飛びぬけてのファンではないが、それぞれが“最高潮”の時に出会ってしまった偶然に今更ながら不思議にも思うし、幸いであった。