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“汽車”と“駅”で括ってみた

 昭和の歌を基本条件として、汽車(電車、列車)と駅をキーワードに括ってみた。
 「最終電車できみにさよなら…」(『東京』マイペース)。「恋人よぼくは旅立つ東へと向かう列車で…」(『木綿のハンカチーフ』太田裕美)。「この線路の向こうには何があるの…」(『さらばシベリア鉄道』大瀧詠一、太田裕美)。「あいたくて甘えたくて夜汽車に乗った…」(『潮風の吹く町』森田由美恵)。「顔を隠したコートの襟に霧が降りますプラットホーム…」(『涙の最終列車』村上幸子)。「汽車が行く行く瀬戸内沿いに…」(『京都から博多まで』藤圭子)、藤圭子からもう一曲「まごころひとつどこにある鉄道線路のそのむこう…」(『さすらい』}。「一駅だけでもあなたと一緒に朝の汽車に乗って行きたかった…」(『冬の駅』小柳ルミ子)。「ラッシュの人波にのまれて消えてゆく…」(『駅』竹内まりや)。「かよいなれたこの駅にはもう二度と来ることはない…」(『駅』加藤登紀子)。「瞼の奥に哀しく消える赤いランプの終列車…」(『赤いランプの終列車』春日八郎)、これはさすがに昭和の時代も後半になるころには立派な“懐メロ”であったが)。「青い灯が揺れる新潟駅よ…」(『新潟ブルース』美川憲一)。「君が去ったホームに残り…」(『なごり雪』イルカ、伊勢正三)。
 他にも無数にあるが、あくまでも個人的に“沁みる”ものを拾い集めたものだ。昭和の時代に引っ掛かったものと、平成を飛び越えて、最近になって漸くというか改めて出くわした、やはり昭和の歌。飛行機ほど呆気なくもなく、船の別れはあまりに未練がましい、駅での一幕こそが“ドラマ”の展開には丁度良いと思う。一字一句がきちんと音符に乗っかっていて、歌唱の力と相まってこちらの心に沁みる沁みる…年を取ると余計に受け入れるのに何の抵抗もできなくなってくるし、そもそも拒む理由も既にない。『昭和の歌』だからというわけばかりではないけれど、長い時を経て、それぞれの記憶の数だけ“引っ掛かり”も多くなるということなのだろう。

「潮風の吹く町」

  作詞:なかにし礼
  作曲:浜 圭介
  歌 :森田由美恵

 ふるさとは 遠い北の果て
   潮風の吹く町
 荒れた手をして 網をあむ
   小さな母の肩
 浜なすの花が 咲く頃に
 帰ろうと思いながら 二年が過ぎた

 海鳴りが唄う 子守唄
   潮風の吹く町
 今日も夜なべの 針仕事
   乱れた母の髪
 許してね私 悪い子ね
 帰ろうと思いながら 四年が過ぎた

 雪ふれば つらい冬が来る
   潮風の吹く町
 凍る井戸水 汲みながら
   吐息も白い母
 もう二度と そばをはなれない
 逢いたくて甘えたくて 夜汽車にのった

 全くの偶然(なんでも良いが…)だが、『森田由美恵』という歌い手に“遭遇”した(もちろん歌にである)。資料には、山口百恵、森昌子、桜田淳子たちがデビューした前年の、これがデビュー曲だとある。それだけが理由ではなかろうが、とにかく陰に隠れた存在で、そこそここの曲はヒットはしたらしいが、そのまま忘れ去られたということのようだ。本当に何の印象もない、ないが…それだけに40年以上もの以前の歌が妙に新鮮に“沁みて”きたというわけだ。実は、この直前に、北原ミレイが歌ったのに出くわしていた、カバー録音である。さすがに「悪い子ね」という箇所(ここだけ!)は「親不孝」ということに替えられていたが、イメージからしてやむを得ないことなのであろう。カバー曲だということはわかっていて、オリジナルを探ってみると、割合簡単に辿り着いたものである。すると、“芋づる”式に(?)次作にも出会うこととなり、これもまたなかなかに“沁みる”ものだった。

   流行歌(はやりうた)

 雨に濡れ 街を歩けば
 人の世の 掟がしみる
 何もない 心の中に
 消え去った 夢を浮かべて
 流行歌を 流行歌を ひとりで歌う

 ふるさとの 山や岸辺に
 咲いていた 小さな花よ
 想い出は みんな幻
 今日もまた 街に流れる
 流行歌が 流行歌が 涙を誘う

 街の灯を ひとり見つめて
 ままならぬ 運命(さだめ)を恨む
 人はみな 傷つけ合って
 慰めを 歌に求めて
 流行歌を 流行歌を ひとりで歌う

 作詞作曲はいずれも不明、調べればわかるのだろうが、そこまですることもなかろう・・・。もしかすると、デビュー曲と同じなのかもしれない、根拠はない。おそらく当時はまだ十代であったろう彼女に歌わせて良いものかどうか、“時代”を歌うにはいささか荷が重いのではなかったかと思うのだが、時を経て、こちらも相応に年をとると何の抵抗も起こらず、ただただ“沁みて”くるのである。