「最終電車で君にさよなら いつまた会えると聞いた君の言葉が 走馬灯のようにめぐりながら ・・・」(『東京』・マイペース)
「東京には来ないで、外に出て行かないで…」、「此方には来ないで、東京には行かないで…」、まるで、「言う事を聴けない連中は○○だ」と言わんばかりだ。勢いばかりで何も響かない、誰が誰に言っているのだろうと、ただうんざりさせられるばかりだ。考えてみれば、メッセージがちゃんと届いているからこそうんざりする訳で、それが大半、大方の人々であり、これ以上どうしろと反論もしたくなる。問題は、そうしたメッセージが届かない層、この人たちに“響く”発信の仕方を考えるべきだろう。知らないこと(知りたくないことは聞こえないふりをして…)は如何ともしがたく、意識の擦れ違いというか、次元のちがうところで情報が錯綜どころかまったくの迷子になってしまっている。普通の暮らしをしている人が「今、我慢させられているんだ」などと確認させられたり、逆に“たまの息抜き”なんぞと軽々しく言ってしまう開き直り、世はまさに混沌であり、ワクチンだけが頼りだというのでは、情けないというほかはない、もっと他にも何か“て”はあるだろう!