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こんな映画を観てきた[25] ベニー・グッドマン物語

   ベニー・グッドマン物語[The Benny Goodman Story](1955/米 監督:ヴァレンタイン・デイヴィス)

 ベニー・グッドマン(スティーブ・アーレン)の楽団がステージで演奏している。客席で母親と恋人が並んで座っている。母親が「あの子は口下手で、もうプロポーズはしたの?」、それにこたえて恋人のアリス(ドナ・リード)が言う「今、していますよ」、いかにもアメリカ的なエンディングである。
 この類の作品はだいたい成功する。もともとのモデルが成功者なわけだから当然ではある。その代表が『グレン・ミラー物語』だとすると頷けないか?!『愛情物語(エディ・デューティン物語)』も同類だと思うが、こちらは〝成功物語〟というよりは、むしろより複雑な人間ドラマで、ちょっと異質かもしれない。

じわりと寄せくる苦い波

 余裕を見せて苦難の民に救いの手を差し伸ばしたものの、内容が伴わず、かえって嫌われてみたり、付き合いべたというのは当の本人にしても相手方にしても実に厄介な代物で扱いと反応に困り果てるのがオチであろう。持てる者は相も変わらずおためごかしの見せ掛けの“思いやり”たっぷりのご提案でお茶を濁し、それに惑わされ、目を瞑り口を噤むある種の階層の者たちの軽さはいかばかりか、どうしたものか…決して矢面に立たず、場合によっては卑屈ささえも厭わない、しかしその影で得たものは、蠢くものは、百年の平穏のなんと虚しいことか、そして脆いことか、今、覚悟せねばならない時なのかもしれない。ヘラヘラとわらって「自分には関係ない」「そんなつもりではない」などと言っても即座に押しつぶされてしまうかもしれない、そんな時代はごめんだが、現実の足音が聞こえる…ような気配もある。とにかくできることは、じっと見つめることだと思う、事と次第では、行動よりも値打ちのあることではないだろうか・・・

こんな唄に出くわした[4]  -富岡慕情-

 いわゆる〝ご当地ソング〟であるが、富岡という土地に特別な感慨はない。偶々この唄に出くわして、我がふるさと、想い出を振り返るに、申し訳ないが、地名とそれに直接つながる箇所を替えると、しっくりはまるのだ。“替え歌”にもならないが、個人的により一層“沁みる”ものになった。
そして、こうなる・・・

     作詞・作曲…荒木 悟
     唄 …三島 敏夫

  幼馴染の つぶらな瞳
  貫前(八幡)参りに 想いを込めた
  君のうなじに ほつれ毛ゆれて
  むせび泣くような 富岡(大洲)の灯り
  ああ いとしあの娘は 今いずこ

  清き流れの 鏑(臥龍)の淵に
  姿うつして 泣いてた君よ
  愛のともしび ほのかにともり
  すすり泣くよな 富岡(大洲)の灯り
  ああ いとしあの娘は 今いずこ

  古き名残の 富岡製糸(大洲の和紙よ)
  繰り出す(手漉きの)生糸の(半紙に…かみに) 片倉(肱川)娘
  真白き肌に おもかげ染めて
  しのび泣くような 富岡(大洲)の灯り
  ああ いとしあの娘は 今いずこ

 三番については少しばかり苦しいが、まあ繋がっている。三島敏夫さんが唄ったというが、曲自体には全くもって記憶がない。何とも言えない甘ったるい声と歌い方で人気があったようにも微かに覚えているが、もともとハワイアンの人であったとすれば、そういう人が演歌を歌うとこうなる…一種の企画物だったのかもしれない。ちょっとは〝当たった〟らしく、この類の曲がその後続いたとのことだが、大ヒットということにはならなかったようだ。それはともかく聴く側も年をとって、〝やけに沁みる〟ということにあいなった。