月別アーカイブ: 2022年6月

堰を切ったように…

 タガが外れたのは、あくまでも恣意的に堰を切ったからで、街に溢れる人波のせいではない、それは結果なのだ。大使館に観光ビザの発給を求めて大勢が並んでも、「何を愚かな…」というのは勝手だが、これもまた〝成り行き〟というべきだろう。検証、判断の順番を間違えると誰かは喜ぶか胸をなでおろすかもしれないが、〝自己責任〟などというおぞましい言葉がまたまた巷を跋扈することになりかねない。
水の流れは止められないし、その勢いを削ぐことはまた別のところに無理を生じさせ、新たな問題が発生しかねない。ただ、客観的な視点は必要であり、ある種の行儀良さを忘れなければ事態は鎮静に向かうだろうとは思う。そのためにも、正確で、煽りのない冷静な情報の提供、受取が欠かせない。

こんな映画を観てきた[26] 恐怖のメロディ

   恐怖のメロディ[Play Misty for Me](1971/米 監督:クリント・イーストウッド)

 ラジオ局のDJ(クリント・イーストウッド)が精神異常の女(ジェシカ・ウォルター)につきまとわれて恐ろしい状況に追い込まれるというサイコミステリーである。これがイーストウッドの第一回監督作品なのだが、個人的には、これが彼の最高作品ではないかと密かに(勝手に)思っている。この女がいつも決まってリクエストしてくるのが『ミスティ』、シカゴ上空から夜景を見て出来た曲だというが、とにかく名曲で、その後ジャズといえばこの曲を…ということ(あくまで個人的に)になった。それはともかく、「かわいさ余って、憎さ百倍!」本人はおろか復縁を望む妻にまで恐怖が迫る、油断大敵(身から出た錆という要因も少し?ある)、ちょっとした緩みは大きな災いの元、くわばらくわばら…である。

こんな唄に出くわした[6] -倖せはここに-

   倖せはここに
     作詞・作曲:大橋節夫

  秋の夜は更けて すだく虫の音に
  疲れた心いやす 吾が家の窓辺
  静かにほのぼのと 倖せはここに

  星のまばたきは 心の安らぎ
  明日の夢をはこぶ やさし君が笑み
  静かな吾が窓辺 倖せはここに

  静かに静かに 街の灯もきえた
  遠い空見てごらん 明日の夢がある
  小さな小さな 倖せはここに

 その昔確かに聞いたような記憶はある、当時既に〝懐メロ〟の扱いであったような気がしているが、とにかく、聴いていて心地よい唄である。明らかにハワイアンなのだが、そんなこととは関係なく、何度続けて聴いても飽きない、歌詞も曲も何処にも障ることなく、ずっと聴いていられる〝唄付きのイージーリスニング〟なのだ。BEGIN の比嘉栄昇のものも聴いてみたが、これもまたゆったりとした時間の流れに身を任せられて落ち着く…まさに幸せなひと時を得られるというわけだ。