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こんな映画を観てきた[27] サイレント・ランニング

   サイレント・ランニング[Silent Running](1972/米 監督:ダグラス・トランブル)

 地球上の植物が絶滅してしまったのちのお話。
 わずかに宇宙船のドームで緑の草花や木々が育てられているだけだつた。乗り組んでいる植物学者フリーマン・ローウェル(ブルース・ダーン)を除いて、他の3人の乗組員は早く帰還したがっていた。ある日、地球からドームを爆破して帰還せよという命令が下るが、しかし、ローウェルは悲しみ、怒り、ドーム爆破の準備をしている3人を殺害てしまう。彼は小型ロボット(これが実に可愛らしい)をプログラムし直し、植物育成の手助けをさせる。その後、地球の宇宙船が救出にやってくることになった。もはや逃げられぬと悟ったローウェルは、ロボットに後を託してドームを宇宙空間に発射し、事故に遭って動けなくなったもう一体のロボットと共に運命をともにすることにし、自らの宇宙船を爆破した。ドームでは別のロボットが草花にせっせと水を与えている。
 SFというのは、あまり好きなジャンルではないが、別格としたいのが、『2001年宇宙の旅』(別格過ぎて、ここにあげるのもおこがましい…)とこの『サイレント・ランリング』、どうやら個人的にはいわゆる〝ドンパチ〟のアクションというものが苦手ということなのかもしれない。人類の未来に希望を残す…というのが最大のテーマだったのかもしれないが、『2001年…』ほどの壮大さはなく、生命輪廻?の哲学性?も感じさせない〝コンパクト感〟が好ましい一作ではあった。

こんな唄に出くわした[7] -この…駅で-

   この…駅で
      作詞:大津あきら
      作曲:浜圭介
      歌 :石井聖子

   たそがれの人並みを 眺めながら
   混み合う駅で あなたを待ってた
   急ぎ足であなたが 駆け寄るたびに
   胸が震えたの
   一緒に暮らそうって 抱き寄せた夜さえ
   遠い幸せになるなんて

     あなたでなくちゃ 愛せない
     他の人には 飛び込めない
     今でも変わらない 私を
     そっと知らせたいの この駅で

   思い出が行き過ぎる 改札口
   悲しいくらい あなたに会いたい
   ここにいると思わず 涙がこぼれ
   うずくまりそうよ
   我がままな生き方しか 出来ないからって
   最後に笑って告げたけど

     あなたでなくちゃ 愛せない
     他の人には 飛び込めない
     泣いてもとめどない 私に
     気付いてくれたなら この駅で

     あなたでなくちゃ 愛せない
     他の人には 飛び込めない
     今でも変わらない 私を
     そっと知らせたいの この駅で

 2011年6月発売というから、さほど旧いものではないが、〝昭和の匂い〟プンプン!で、10年を経て突如出くわしたところ、よく沁みたというわけだ。偶然にもこの唄を聴くことになる直前、坂本スミ子の『たそがれの御堂筋』というのを何十年かぶりに聴いてみて、〝沁みる唄のリスト〝に入れておこうと決めたところで『この…駅』に至ったのだが、実の母娘だそうで、現在は亡くなった父親のあとを継いで代表取締役、つまり実業家ということらしい(ウィキペディアによると)。いつも思う、飛行機の別れはあっけなさ過ぎて、船は逆に実に未練がましい…そこでやはり駅、冷酷にも、時刻表通りにドラマは動き、「夜霧に消えゆく最終列車」であってこその別れに相応しい舞台である。

それでも、世の中変わらない

 何があっても、どうしても現状を変えたくない〝意識〟が幅を利かせ、重苦しい〝空気〟が淀み、結局何も変わらないことになってしまう。風も川の流れもむなしいばかりだ、決して諦めたくはないが…
 変化を拒むことは嫌悪よりもむしろ怖れなのかもしれない。どんなに楽しいゲームでも長く続けると、やはり飽きる(定番化しても、熱狂することはない)。とにかくただただ怯えることは〝停滞〟につながり、やがて淀む。そこに許容はしないまでも、諦めが生じ、それを支持されたと言い張るものたち、利用されるがまま、それは悪用への大義名分とされてしまうのである。それでも諦めたくはない、だから唯一の?権利だけは行使したいと思う。声張り上げて行進するだけが〝参加〟ではないはずだ。見て見ぬふりするものに批判する資格はないが、参加するものの足を引っ張ることは〝罪〟だ、誰かの都合の良い存在にだけはなってはならない!