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こんな映画を観てきた[30] 天国と地獄

天国と地獄
(1963/日 監督:黒澤 明)
 めぐり合わせで?邦画はあまり観てこなかった。ただし、生まれて初めて(微かな記憶の中で…)初めてみた劇場映画は、父の膝の中で観た『丹下左膳・こけざるの壺』だった…はずである(大河内伝次郎或いは大友柳太朗?)。『砂の器』、『張り込み』、『点と線』もなかなか。『寅さんシリーズ』の他、『看護婦のオヤジがんばる』(前田吟、佐藤オリエ共演で、改名前の樹木希林も出てたかな…)とか『くたばれ親父』(石原裕次郎、若尾文子共演で実在のプロ野球審判の話)、『八月の濡れた砂』といったところが印象に残っている。このあたりが邦画鑑賞の履歴で、なんとも貧しいものだ。
 さて『天国と地獄』、『七人の侍』はすっかり〝クラシック作品〟であり、黒澤作品ではこちらが面白かった.
 裕福な会社役員(三船敏郎)の息子と間違えられて、その運転手の息子が誘拐された(エド・マクベイン原作)。様々な思惑が交錯するなかで役員は運転手のために全財産を投げ出して身代金を犯人に受け渡し、無事子供を救出する。鉄橋を利用した現金受け渡しのシーンは鉄道ファンもなっとくの仕掛け(この際に使われた鞄が事件解決の決め手になる…)で、鉄橋手前の住宅を監督の指示で取り壊してしまった(移設だったか?)という話も伝えられている。また白黒作品ながら、一個所のみ着色を施すなど新たな演出も、不可欠だが愉しいものだった。ピンク色の煙が立ち上る、件の細工された鞄が処分のために燃やされたためだ。山崎努の深い恨みに裏打ちされた知能犯ぶりが印象的だった。

こんな歌を聴いてきた  懺悔の値打ちもない

 歴史に残る〝昭和の名曲〟である…と思う。ストーリー、曲、歌唱、いずれも申し分のない作品である…と思う。この唄には〝幻の4番〟というものがあって(リリースされたものに入ってないだけで、テレビ放送などでは唄われているようなので、〝幻〟というのは言い過ぎ、むしろプロモーションの一環なのかもしれないが、監獄の中での状況設定が外された(もしくは外した)理由だと勝手に解釈している。

  懺悔の値打ちもない
    作詞…阿久 悠
    作曲…村井邦彦
    唄 …北原ミレイ

 あれは二月の 寒い夜
 やっと十四になった頃
 窓にちらちら 雪が降り
 部屋はひえびえ 暗かった
 愛というのじゃないけれど
 私は抱かれて みたかった

 あれは五月の 雨の夜
 今日で十五という時に
 安い指輪を 贈られて
 花を一輪 かざられて
 愛というのじゃないけれど
 私は捧げて みたかった

 あれは八月 暑い夜
 すねて十九を越えた頃
 細いナイフを 光らせて
 にくい男を 待っていた
 愛というのじゃないけれど
 私は捨てられ つらかった

   あれは何月 風の夜
   とうに二十歳も 過ぎた頃
   鉄の格子の 空を見て
   月の姿が さみしくて
   愛というのじゃ ないけれど
   私は誰かが ほしかった

 そうしてこうして 暗い夜
 年も忘れた 今日のこと
 街にゆらゆら 灯りつき
 みんな祈りを する時に
 ざんげの値打ちもないけれど
 私は話して みたかった

 こうして全て掲げてみると、4番は欠かせないものだと断言でき、あるとないではまさに大違いである。長すぎたか、それならむしろ最後が要らないと思うのだが…ドラマチックに過ぎるとされたか、または〝公序良徳〟に反するとしてと除外、自主規制されたか、いずれにせよ〝幻〟とされてもこの4番があったからこそ今に残る唄になったと思っている。

仙人にでもなったか?!

 たとえ横綱であっても、負け越せば地位は下がらないものの、〝引退勧告〟はたぶん受けることになるのだろう(その前にきっと休んでしまう)。まして、反社会的な行為でもあれば(それが明るみに出れば…)、その場所に留まることなどできようはずもない。なぜか、それは横綱である前に人であるからだ。人である前に何かの〝長〟であって、何があろうと非難される筋合いはない…などという傲慢さは決して許されない。順番が逆で、〝長〟であるまえに人であることを忘れてはならない。
 〝長〟というものは、責任を取るための、つまりはその〝長〟を辞めるための根拠みたいなものと認識すべきであろう。追求から逃れるための石垣であるはずがない。名人位というものは、それを目指すA、B…の各クラスがあって、さらにはるかかなたに素人(趣味人)がいて、そうした下支えがあってこその上位なのである。下は上を目指すが、上は一層身を正して在るべきなのだと思う。議長であるまえに議員だろう(その間に『幹部』というものがあるかもしれない…)、そして更に議員であるまえにあくまでも人であろう、その順序が逆になると、人は傲慢になったり、一般的には理不尽になったりするのだろう。そして、限りなく悪人顔になる。