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こんな歌を聴いてきた  エレーン(2)

   エレーン

 当時(昭和50年頃か)、あまりに内容のドラマチック性からかえって話題にならなかったか、ヒットしたような記憶はないが、文句なく〝昭和の名曲〟である…と思っている。実話をもとにした歌だという人もいるけれど、とにもかくにも全篇胸に刺さる歌詞なのである。
かつて
中島みゆきの『エレーン』とジャニス・イアンの『ラブ・イズ・ブラインド』、夜中に聴いてはいけない歌の双璧であるとかねてから“主張”してきた。何故なら、まわりの静寂と相まって死になくなってしまうからだ。
    …
名曲だとは思うが、とても長く聴いてはいられない、飽きるといことでは決してない、どうにも辛いのである。
と、記したことがある。

    エレーン
      作詞・作曲:中島みゆき

風にとけていったおまえが残していったものといえば
おそらく誰も着そうにもない
安い生地のドレスが鞄にひとつと

みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
どこにもおまえを知っていたと
口に出せない奴らが流す悪口

みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
突然なにも知らぬ子供が
ひき出しの裏からなにかをみつける

それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
その時 口を聞かぬおまえの淋しさが
突然私にも聞こえる

エレーン 生きていてもいいですかと 誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない

流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
おまえはたちの悪い女で
死んでいって良かった奴かもしれない

けれどどんな噂より
けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う

今夜雨は冷たい
行く先もなしにおまえがいつまでも
灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
ひとつずつ のぞいている

今夜雨は冷たい

エレーン 生きていてもいいですかと 誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない
エレーン 生きていてもいいですかと 誰も問いたい
エレーン その答を誰もが知っているから 誰も問えない

 これは沁みるなどというレベルではなく、打ちのめされてしまう、40年を経ても尚その圧は凄まじく、聴く者を無抵抗にしておいて、そうしておいたうえで情け無用にそこらあたり引き摺りまわす、あとは暗いだけのまさに闇である。そんな中に置き去りにされて、もうどこへも行けない、悲しみも怒りもなく、ただ肩を落として立ち尽くすのみだ。

目くらましにもならない

 断水に苦しみ、給水を待つ行列を横目に、大きなイベントを強行し、何かが西から飛んできたと、いたずらに?不安を煽り、事の優先順位の認定を操作しようとしている…としか思えない状況、腑に落ちないことばかりだ。まるで、現場を見つつも別の何かを重要視する姿勢にはあきれるばかり、いったい何処を、何を見て日々を過ごしているのかと余計な勘繰りもしてみたくもなる。いう事やる事は、概ねピント外れ、とにかく〝ずれている〟ように見えてしかたないのだ。それでも、何も変わらないのだろうか。時をやり過ごして、人は忘れ、或いは忘れたふりをせざるを得ない事態の中で、現状を肯定してしまう…これは善循環なのか悪なのか、その判断すらも有耶無耶になって、虚しさだけがあとに残る、悲劇であり、喜劇でもある。ただ何とも情けないことだけは確かだと思うのである。誤魔化しと、言い逃れ、更に逃げ隠れ…そんなに人を馬鹿にしなくても…と言いたくもなる。