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こんな歌を聴いてきた    プカプカ

   プカプカ

 1972年のリリースというから、上京した頃か、おそらくオンタイムでは聴いていない。初めての一人暮らし、都会暮らしで、新鮮だったり緊張感で包まれていたり、とてもこんな?歌を聴く状況でも心境でもなかったろう。17、8の希望と期待と小さからずの不安とともにあった〝都会初心者〟がドップリ浸かる歌では決してない。いきなりこんな〝すれっからし〟の歌に聴き入っているようでは先々恐ろしい…

プカプカ
     リリース 1972年12月10日
     作詞・作曲・歌: 西岡恭蔵

俺のあん娘はたばこが好きで
いつも プカプカプカ
体に悪いからやめなっていっても
いつも プカプカプカ
遠い空から降ってくるっていう
幸せってやつがあたいにわかるまで
あたいたばこをやめないわ
プカプカプカプカプカ

俺のあん娘はスウィングが好きで
いつも ドゥビドゥビドゥー
下手くそなうたはやめなっていっても
いつも ドゥビドゥビドゥー
あんたがあたいのどうでもいいうたを
涙ながしてわかってくれるまで
あたいうたはやめないわ
ドゥビドゥビドゥビドゥビドゥー

俺のあん娘は男が好きで
いつもHuHuHuHuHu
おいらのことなんかほったらかしで
いつもHuHuHuHuHu
あんたがあたいのねた男たちと
夜が明けるまでお酒のめるまで
あたい男やめないわ
HuHuHuHuHuHuHuHu

俺のあん娘はうらないが好きで
トランプ スタスタスタ
よしなっていうのに俺らをうらなう
おいら明日死ぬそうな
あたいのうらないがピタリとあたるまで
あんたとあたいの死ねる時わかるまで
あたいうらないやめないわ
トランプ スタスタスタ

あんたとあたいの死ねる時わかるまで
あたいうらないやめないわ
トランプ スタスタスタ
スタスタスタスタスタ
Ah スタスタスタスタスタ

 この歌は当時を思い出す、というような曲ではけっしてない。その時々の物語にあてはめて共に生きる、それぞれが己が人生のいずれの段階にあるにせよ演出し、それが実個人に反映し影響して仕上がるという段取りというべきか…これまでの何年、或いは何十年を振り返ると単に重たいだけだが、先々を想うとむしろ元気が出てくる〝すれっからし〟な歌なのだ。

こんな映画を観てきた[35]    ダーティハリー5

   ダーティハリー5[THE DEAD POOL]
(1988/米 監督:バディ・バン・ホーン)

 まさにあの“ダーティハリー”が帰ってきたという感じ、しばらく見ない間に随分お年を召されたが、第1作以来17年、前作からも既に4年が経っている訳だからそれも当然で、1930年の生まれというから当年58歳、86年4月からカーメル市長を務め、キャラハン刑事もすっかり立派になった。アクションも、煩わしいばかりの 署内でのぶっきらぼうな対応ぶりも相変わらずだが、以前ほどとげとげしくもなくかなり余裕が出てきた。とりわけ女性の扱いは滅法優しい、もっとも今回のマドンナ(パトリシア・クラークソン) は、それにふさわしい聡明さを持っていた。彼女、『アンタッチャブル』でネス夫人を好演して、これが?イーストウッドの目にとまっての起用とのことだが、さほどその時の印象は残っていない。
 ストーリー、看板のアクションとも目新しいものはなく、殺人ラジコンカーのカーチェイスなど製作側の思い入れ程には驚かなかった。やはりキャラハン刑事の相手は機械やとりわけおもちゃでは物足りない、犯人の冷酷さ残忍さは表現しきれなかったようだ。しかしシリーズを通して、殺しの場面はいずれもかなり凄惨なものなのだが、寸前で必ず場面は切り替わる思い遣りを忘れない。製作側の意図のようなものが感じ取ることができて嬉しい配慮だ。血を見せずに演出する恐怖、これこそ映画だ。ただ繰り返すが、次の展開が容易に想像でき、全篇を通して緊張感が欠如していて、すっかりほのぼのしたホームドラマになってしまった。まあ、イーストウッドがハリー・キャラハンであってくれればそれでいいのではあるが…。
 “異常者”を野放しにしてしまう法律の欠陥を、ハリーの型破りの部分で補ってしまう痛快さは、残念ながら不十分と言わざるを得ない、「スカッと貫きたい」は彼の口癖だが、その答えが銛(もり)による処刑では笑うに笑えない、もう一工夫欲しかった。『死の賭け金』(原題)というテーマは結構面白いと思うのだが、ちょっと説明不足。 ところで最近別れたという噂もあるイーストウッドとソンドラ・ロック、そういえば今回の相手役(クラークソン)、雰囲気がよく似ている、彼の好みなのかもしれない、ひょっとすると新しい“お相手”かもしれない。【1988記】