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こんな映画を観てきた[56] 戦場

     戦場
  [GO TELL THE SPARTAN ]
 (行きてスパルタ人に告げよ)
(1978/米 監督…テッド・ポスト)

 40年以上も昔のことである…
     ◇
新宿駅東口からほど近い新宿ローヤルに入る。この映画館、新宿のしかも超一等地(日本一地価の高い、高野フルーツパーラー前近く)に在るというのに、既に場末の趣すら漂わせている。
 『戦場』。ヴェトナム戦争物で、テッド・ポスト監督。『ディア・ハンター』程深刻でもなく、アメリカ版“チャンバラ映画”といったところ。米軍兵士が言う「この戦争はおれ達じゃなく、こいつら(ヴェトナム人)がやってるんだ、そういう戦争なんだ」という台詞に言いたいことの全てが表現されており、他に取り立ててどうこういうこともない。流行のヴェトナム戦争批判ものとしては軽過ぎ、また、戦争映画としては何とも迫力の乏しい物足りない内容だった。バート・ランカスターが一人で芝居をしていた。
 ところが、驚かされたことが一つある。映画にではなく、観客にである。九割方、いやそれ以上の観客がかなりの年配者であったこと(ほぼ満席)。見た限りでは五十代が殆ど、しかも座席に深々と体を沈めてリラックスして観ている者など一人もいない(もっとも座席そのものがやや小さめで窮屈なのだが…)。誰も彼も乗り出すように、見入っている。異様な雰囲気に、私は途中から映画よりもむしろそんな雰囲気の方が気になって仕方がなくなった。やはり問題は“戦争”だろうか?こんな感じを受けるのは初めてだが、そういえば私は戦争映画というジャンルをあまり好んで観てこなかったような気がする。二次館にまわってきた戦争映画に見入る中年諸氏、というより初老紳士群。こちらの方に圧倒されてしまい、何だか不思議な体験をしたような思いで暮れかけた街に出た。

こんな唄に出くわした[27]    港のカラス

   港のカラス

 このところ、このあさみちゆきという人の唄声が沁みて沁みて仕方がない。先の『井の頭線』はなんとなく〝フォークソング〟っぽかったが、これは演歌…いやなんとなく〝演歌〟。森進一が唄う『襟裳岬』、いやその逆で高山厳が唄った『心凍らせて』に近いか…そんなことはどうでもいいが、この人にはどうやら2系統の唄の〝回路〟があるらしく、とにかくどちらもよく沁みるのである。

港のカラス
   
  作詞…髙田ひろお
作曲…杉本眞人
唄… あさみ ちゆき

  憎い恋しい あの人は
  わたしに何も 云わないで
  アラビア文字の 貨物船
  日暮れに乗って 行っちゃった

  港カモメの 群れのなか
  わたしはカラス 赤い目の
  夕焼け色の 電柱で
  あのひとそっと 見送った

  昔 異人さんに 連れられて
  少女も船に 乗ってった
  行ったら帰る あてもない
  昔も今も 横浜は

  山で暮らせば いいものを
  街まで来たら 捨てられた
  今夜もひとり 止まり木で
  カァーカァー泣いて 飲むだけさ

 いい唄だと思う、思うが、何よりも沁みるのはその声だ。『砂漠の子守唄』やら、フォーク寄りの?『想い出の写真館』、『夕刊』など続けて聴いてみたけれど 、とにかく個人的に実に心地よい声質であり、唄い方なのだ。このあさみちゆきという人の事は最近になって知ったもので、少し調べたが記憶にない。小林幸子と美樹克彦に倣ってか?作曲家(網倉一也)とのデュエット(『再会ートワイライト』)なんてものもある。あまり〝こだわり〟のない人なのかもしれない。