ハリケーン[HURRICANE](1979/米)
覚悟はしていたが、本当に疲れる映画だった。早い話が大嵐が南の島を襲い、“そして誰もいなくなった”というものだが、はて、内容はというと何もかもが漠然としていて、いっこうにはっきりしない。神の怒りが邪悪なる物を消し去り、許されないながら、何よりも強い“愛”を“ノアの箱舟”に乗せて新しい世界に送るという、天地創造的な話なのか、それとも人知を超えた自然の驚異を文字通り常識外れの金額をもってスクリーンに再現しただけなのか、まだその他にも何かあるのか、どうにも釈然としない。
「面白くないものは映画ではない」なんてラウレンティウス氏はおっしゃっているらしいが、それにしては題材自体、大鮫が出たり、宇宙人が登場するといった程センセーショナルなものでもないし、配役はともかく、それぞれの人物の描き方などかなりいい加減で、ヤン・トロエルなんてたいした監督だとも思えない。ティモシー・ボトムズが演ったジャックに至っては存在自体全く意味がない、彼がよくこんな何の得にもならない役を引き受けたものだと不思議な気さえする。ラウレンティウスの集金能力は映画製作上、敬服に値するが、『キングコング』同様、金を使えばいいってものでもない!マタンギ役の新人はともかくとして、非常に興味深い女優として以前から注目しているミア・ファロー、ジェイスン・ロバーズ、そしてマックス・フォン・シドー等これだけの名優を揃えたにしては何とも不満足な作品といわざるを得ない。もっともミア・ファローに関しては、『ナイル殺人事件』の時にも感じたことだが、舞台が大きくなればなるほど、その“特異”とも言える存在感が逆に稀薄になってしまう。『フォロー・ミー』のような面白味がまるでない。それぞれがそれぞれのキャラクターを演じ切る舞台の設定と展開があまりに大雑把過ぎた。
後半の嵐を効果的にスクリーンに登場させる序曲としては、どの部分をとっても余りに内容がない。全く大嵐だけの映画になってしまった。その嵐にしてみても、台風に馴れている日本人にとっては、圧倒される程のものでもない。「二人の愛はやはり何事にも負けることはない強いものだった」、まさかそんなことのためだけに大きなセットを組んだ訳でもあるまいが、もしそうだとすると、この二人の結びつきは不自然さを通り越して、いやらしさすら感じて、うすら寒いものを覚える。南の島の男と白人の女が恋に落ちると映画になるとでも思っているのか、映画製作に対して真面目さに欠けるとあえて言いたい。
確かに、激しい嵐とうねる波は凄かったが、内容もなく、画面と音にただただ疲れさせられた『ハリケーン』ではあった。
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「どんな作品でも、“良きところ”を探して、そこを褒め愉しむ」という淀川先生の教えを守る方だと思うのだが、35年前のこの映画を観た日、余程落胆したか、珍しくも過激にこき下ろした自分が意外だが、それほどつまらないものだったということなのだろう...