「絶対にイヤだ」

 あるスポーツ選手が「難しいことは分かりませんが、いち選手として言うなら、東京五輪なのに会場が東京と違うなら寂しい。絶対にイヤだと思う。ぜひ、東京でやれれば。こういう問題で揺れるのは選手にとって望ましくない」と言い放った。先の大会の代表選手になって、しかも称賛を得るほどの成績を残してこその発言なのかもしれないが、「絶対にイヤだ」というのはどうとっても言いすぎではないのか、種目ならではの事情やら都合があるのを考慮しても、“一般の国民”としては非常に耳に障る。「復興のためのイベントの先頭に立てるチャンスをいただいて(次回の代表選手として確定しているわけではないが)、栄誉なことと感じ、頑張ります」くらいのことは言って欲しいところだが、それはこちらサイドの勝手な言い分で、これまた言いすぎなのかもしれない。ただし、応援する気持ちもすっかり冷えてしまうのもやむを得ないことだろう。日本で開催される『東京大会』であることを再確認して(主催者とか運営主体といったことはあくまでも政治の問題)、彼には東京以外で生きる、とりわけ今回は、復興の道を懸命に辿っている人たちにとりあえず謝っておこう!
 先の先の大会で、誰も期待していなかったある種目の選手が予想外の大活躍をして名を上げ、その後東京大会招致活動にそれなりの活躍をされたのだろう、東京開催が発表される場(例の『おもてなし』のシーン)にその姿はあり、発表後のはしゃぎように、その様子を見せられる方にしてみれば、いささか引いてしまったものだ。彼は先の大会でも選手として参加したが、本人の想いとは違って前回のような活躍ぶりを見せることはできなかった。そして人々は忘れ去るか、もしくはなるべく触れないようにしてやり過ごした。あのたいして意味も意義も感じられない行動(映像として残された部分でのこと)がなかったら、また違った評価なり処遇もあったのではないかと思う。すこしだけ“お行儀”がなってなかったということ。