年頭所感 2021年

 何が削ぎ落され、引き摺り、そして生まれるか…
2020年はたいへんな年であった。“たいへん”は続いていて、むしろ深刻化しているわけだが、そのわりに誰しもがいささか“真剣味”に欠けていると言わざるを得ない。誰のせいかといえば、一概にはいえないが(言えないこともない…)、しがない小市民がどんどん追い詰められて、これ以上どうすればいいのかと問えば、自分で考えろと言う人ありで、更にお先真っ暗である。
 誰と誰とが繋がっていて、その裏に誰某がいて糸を引いている、そこではどうやら命より大切な事があるらしく、やることが滑稽、若しくはピント外れ、或いは現実離れしたものになってしまう。世代間に諍いが起こり(演出され)、わざわざ“向こう側”と“こっち側”の境界を作って、争ったり、争わせたり…まさに暗澹たる先行きである。がしかしやはりある種の光明は探り、見出さなくてはならない。
 発信者はあくまでも謙虚で正直であってほしい。そうしないと肝心なことが受け手に響かず、見て見ぬふりの“無知”が蔓延してしまう。これまで効率ばかりを重要視して、“余剰”を削ぎ落してきた結果、平時を80とせず、100としてしまったツケがまわってきているのではないか、有事にこそ100のパワーで対処すべきで、あくまでも最悪の事態を想定したうえで最善を尽くす、そのためにも本来“余剰”などというものはたとえそう見えたとしても意味のないものではないはずだ。
 小市民もそうでない(と思っている)者も、“喉元過ぎれば…”ということにだけはならないよう“自粛”しつつも、とにかく“経験値”として記憶に残すことを立場を越えて心がけておくべきだろう。