“昭和”が遠くなりにけり

 筒美京平さん、中村泰士さん、なかにし礼さんと訃報が続いた。それぞれの業績を並べることはしないけれど、まさに「昭和が遠くなりにけり」の印象を持った。三〇年の平成を挟めば当然、やむをえないことではあろうが、響く歌、沁みる歌はやはり世代的に昭和にありということになり、それらが遠くなるのはやはり切ない限りである。
 最近の唄はよくわからない…」などと言うつもりはない、いいものはいいし、そうでないものは聴いても一向に沁みて来ないというだけのことだ。ただ、昭和を少々引き摺っていた平成の始め頃までの唄に久々に、或いは今になって出会い、やけに沁みてしまうことが時に在るという今日この頃ではある。やはり音符にしっかりと歌詞が乗っていてこそ沁みる唄、要するに年のせいではあるのだが、それに抵抗するのを止しにすると、更によく沁みて仕方がないのだ。
 さて、“好きな唄フォルダ”に納められたリストを改めてみてみると、『懺悔の値打ちもない(幻の4番付き)』(北原ミレイ)、『ふりむかないで』(ハニーナイツ)、『潮風の吹く町』(森田由美恵)、『水中花』(井上忠夫)、『旅愁』(西崎みどり)、『八月の濡れた砂』(石川セリ)、『池上線』(西島三重子)、『プカプカ』(西岡恭蔵)、『オールド・タイム・ジャズ』(高橋真梨子)、『踊り子』(村下孝蔵)、『さらばシベリア鉄道』(太田裕美)、『さよならをするために』(ビリー。バンバン)、『東京』(マイペース)、『心が痛い』(りりぃ)と続く。“沁みる唄フォルダ”には藤圭子や森進一、青江三奈にロス・プリモス、そしてこの頃やけに沁みる村上幸子の演歌が並んでいる。何の脈絡もないが、とにかくこんな唄を聴いてきた、そして時にこっそり、いや恥ずかしげもなくマイク片手に唄ってきた(もっとも半世紀近くも昔の話だが…)。