新宿の夜

こんな唄を聴いてきた、
恥ずかしながら唄ってもいた…

 どんな曲でも弾いてくれたギターの“先生”、一度だけ店のオーナーからギャラを手ずから受け取っているのをエレベーターの前で見たことがあり、少なくともこちらの給料など問題にならなくらいの額であったことを覚えている。そりゃあそうだろう・・・悔しくも情けなくも無かった、ただただ呆れるばかりであった。
 ごくたまにこちらの申し出た曲を知らないということになると(記憶の彼方だが、『ふりむないで』だったような気がする)、閻魔帳(唄本、総合カタログだったか、それとも分厚い手製のファイルだったか???)を取り出して、程無く見付け出し、更にそれを見ただけで速やかに対応してくれた、感心頻りだがそれが“仕事”というものなのだろう。カラオケというものの出始めだったもう40年以上もの大昔のことである。