やたらと謝らないで!

 誰が責めるというのか、謝罪さえも言い訳に聞こえる。〝俄か応援団は、心無い非難の発信者に急変する〟そういうことなのだろうが、そんな者として扱われたこと自体が不愉快であって、日の丸を背負っているからといって、それほど大きな責任を負わせているわけでは決してない。確かに半世紀前にはそんな風潮もあったかもしれない。何かを高揚させるために利用されたのだろう、悲劇もあった。もし今だに一方的に責め立てるようなことがあるとすれば、それは単なる憂さ晴らしであって、相手にするようなことではない。むしろ、〝有言実行〟とか言って、自身を奮い立たせるためか、事前に目指すところの〝結果〝を提示してしまうことが、正しいことなのか、不遜にも思え、見せられる者としてはどう反応してよろしいのかわからない。どんな結果であろうと、本人としては受け入れ、周囲はとやかく言わない…そんな謙虚さと行儀の良さが望まれる、いやそれが普通のことだと思うのだが…
 もう昔のことということになるのだろうが、あるマラソン選手がレース中に靴が脱げて、結局〝大いなる結果〟に届かなかった。レース後のインタビューに彼はこう答えた「こけちゃいました」この結果を誰が責める…さわやかさ、潔さだけが印象として残った。