それでも、世の中変わらない

 何があっても、どうしても現状を変えたくない〝意識〟が幅を利かせ、重苦しい〝空気〟が淀み、結局何も変わらないことになってしまう。風も川の流れもむなしいばかりだ、決して諦めたくはないが…
 変化を拒むことは嫌悪よりもむしろ怖れなのかもしれない。どんなに楽しいゲームでも長く続けると、やはり飽きる(定番化しても、熱狂することはない)。とにかくただただ怯えることは〝停滞〟につながり、やがて淀む。そこに許容はしないまでも、諦めが生じ、それを支持されたと言い張るものたち、利用されるがまま、それは悪用への大義名分とされてしまうのである。それでも諦めたくはない、だから唯一の?権利だけは行使したいと思う。声張り上げて行進するだけが〝参加〟ではないはずだ。見て見ぬふりするものに批判する資格はないが、参加するものの足を引っ張ることは〝罪〟だ、誰かの都合の良い存在にだけはなってはならない!