こんな唄に出くわした[22]    東高円寺

 実を言うと、令和になって出くわし唄ではない、半世紀程も前になるが知ってはいた。東京に来て、初めて住み、学生時代から就職をしてしばらくの約5年間を過ごした場所である。すっかり忘れていたが、ネットで偶然目に入って聴いてみた。
 厳密には東高円寺という駅(地下鉄丸の内線)はあるのだが、どこからどこまでが〝東高円寺〟なのか曖昧なのである。そういう地名はない。とりあえず、地下鉄駅を出たところ、蚕糸試験場(現・蚕糸の森公園)界隈ということになろうか、東へ少しあるけば、地名として、北東にひろがる『中野』で、逆方向に青梅街道を進むと、環七をくぐったらもう正真正銘?高円寺ということになる。そういえば、この唄も歌詞に関しては実に曖昧、当時は気楽に飲める店が軒を並べたり、若者が集まるような場所ではなかったような気がする。地下鉄の駅を出てすぐの露地を入ると蚕糸試験場の万年塀から湧き出るように伸びる桑の木、それが尽きると区立の小学校から、同じく中学校の裏門があって、そこで左に折れて、すぐに右に曲がると、やや広めの道に出る。正面にスーパーマーケット(山手ストアといったか?)とその隣に銭湯(これは大和湯と覚えている)、そこを左に行くと女子大、右に行くと坂道の始まりに週に1、2度は夕食をいただいた『母屋』(ここのおかみさんに、実の親より先に大学の卒業証書を見せて、何かご馳走されたような微かな記憶がある)という居酒屋があって、上りきると、これも行きつけの『たんぽぽ』(一階がそば屋で、そこがたぶんオーナーであったはず)という喫茶店、それを遣り過ごして環七に至り、陸橋を渡ると妙法寺である。パチンコ屋はあった、映画館(封切館などではない)もあったが、それでもいわゆる閑静な住宅地なのであった…大きな宗教団体の本部があったり、救世軍の関連施設などもあって、日曜の夕方には楽団の小さなグループが、ラッパ吹かして辺りを練り歩いていたような記憶がある。

  東高円寺

     作詞‥吉田 健美
     作曲‥杉本 真人
     歌唱‥今 陽子

  ここでなくてはいけないなんて
  そんな理由は少しもないのに
  私は今でも東高円寺
  あのアパートで暮しています
  小さな部屋が息苦しいのは
  あなたのいないせいなのでしょうか

  気楽に飲める店は多いし
  気の合う仲間も沢山いるから
  私はこうして東高円寺
  このやすらぎにひたっています
  近頃何故か寝つかれないのは
  あなたを想い出にしたせいでしょうか

  雨の降る日は自転車に乗り
  ちょっと駅まで濡れて見たくて
  私はいつまで東高円寺
  心の中を知ってるくせに
  電車の音が気になりだしたら
  あなたを訪ねてこの街を出ます
  あなたを訪ねてこの街を出ます

 とにかく〝曖昧〟で、やや盛り上がりにも欠ける唄なのではあるが、歌詞の中に馴染みのある地名を見て、また淡々としたメロディーを聴くにつけ、とにかく沁みてきて、危うく涙さえあふれ出てしまいそうになるのだ。