「選択しないという“選択”に翻弄され、牛耳られている」という現実、いや、「選択させない環境の中で、寝たふりをするしかない状況に追い込まれて しまった」と 表現すべきか、大方の予想の中で“予想通り”に流され流れて、どうにもすっきりしないまま年が明けてしまった。気付いたときにこんなはず では・・・と へらへら笑っているだけでは何も始まらないどころか、ただただ“思惑通り”に事が進むばかりだ。常に緊張感は欠かせないが、ピリピリばかりして はいられない、 かといって諦めてしまうには事はまた重大に過ぎる。“次の選択”に頼るほかはないのだろうが、なんとかまともな選択をさせてほしいというのが せめてもの 期待への“意思表示”なのだが、それもまた幻想なのか、でもやはりあきらめられない!<K>

 あの時、「ダメなものはダメでしょう!」と徹底しておけば結果はどうなっていただろう。それでも事は進行していたかもしれないし、だからこそ禁断の一歩 を踏み出してしまったのかもしれない。“ダメなもの”に下手に理由をつけようとすると、逆にパワーを失ったり、またその理由を根拠に全てが“ザル”となって、 “ダメなもの”でもなんでもなくなって、むしろまっしぐらにその“ダメなもの”の全否定から、条件付肯定(ほとんど推進)に向かって突き進んでしまうことに もなりかねない、もしかするとすでに“手遅れ”なのかもしれない。心身ともに傷つくことは、なるべく御免蒙りたいところだが、故意、過失に関わらず、その 逆も嫌だ、更に避けて通りたいところだ。過程を知らされず、取っ掛かりと結末のみ示されて、何を評価せよ、判断せよというのか。なるべく関心を示さず、文句 を言わず、不満を持つより寝ている方が幸せだと言わんばかりの“空気”は誰(何)が演出してのことなのか、無力感が支配する状況に、知らぬ間に追い遣られて しまっていることに大半が気付かないでいる(もしくは、気付かないふりをしている)ことが哀しい。「手遅れかもしれない」と、つい捨て鉢になり弱音を吐いた が、それでもまだ何か“て”はあるはずだ。それを冷静に考え続けていたい。<K>

 むかし、アメリカで『アメリカングラフィティ』(1973・米)という映画がかかった際、ローラースケートを履いたウエイトレスがトレイを運ぶ ど派手な ドライブインが登場した場面で、観客から爆笑が起こったというが、それは決して「そういえばこんなものがあった!」という感慨だけでなく、 相当に複雑な思い があってのことだったのかもしれない。全てはベトナム戦争以前のことだったのだ。『いちご白書』(1970・米)は青春の1ページに 過ぎないかもしれないが、 『ヘア』(1979・米)となるとそうはいかない。その総合的な“評価”については、これはあくまでもステージのための ミュージカル作品であるわけで、そちらの ことに譲るとして、映画にしてくれたということに、せめてもの感謝の気持ちを表したい。それはともかく、 流れ流れて取り返しがつかなくなる前に何とかしたい、 しなければならない。信念とまでは言わずとも、冷静な批判と判断のための意識がないと、世の中 全くもってバランスを逸してしまうことにもなりかねない。大き な声にも怯まず、しらけず、あからさまな“反抗”は“思う壺”で、かえってある種の “口実”を与えてしまうことにもなりかねないが、それでも何か策なり、 まだ“て”はあるはずだし、寡黙は許されるとして、決して目を瞑ったり、 ましてやあきらめるべきではないだろう。戸惑いの微笑みの中で、運命に身を委ねると いうのは、あまりにも過酷で無慈悲なことではないだろうか。<K>

 散り始めた桜の花に、追い討ちを掛けるように吹きすさぶ冷たい風と、もう季節はずれと言ってもいいだろうたっぷり湿気を含んだ雪が容赦なくそれぞれの 花弁に残酷にさ映るほどの負荷をかけていた。桜吹雪を眺めながら過ぎ行き時を惜しむ粋な愉しみを奪われて、ただただ凍え震えつつひたすら“暖”を求めた。
 亡くなって一年後の命日は「一周忌」と呼ぶが、二年後の命日を「二周忌」と呼ぶかというと、さにあらず、いきなり?「三回忌」ということになる。一周忌は、 亡くなって一年を迎えたというので一周忌と呼び、その後の年間法要の数え方は、次の年を迎えるという意味で、一年プラスし、つまり、二年後の命日は、三年目を 迎えるという意味で「三回忌」と呼ぶのだそうだ。
 年間法要は、実は永遠に続けるのが理想なのだそうだが、その故人の生前を知る人が皆無ということになれば“自然消滅”ということでやむをえないことだろう。
 「花冷え」に「菜種梅雨」、たしかあの日もこの三回忌法要の日と同じように冷たい雨が降り頻っていた。二年はまだ記憶に濃いというより、いまだ切々と胸に 迫りやむことがない。<K>

 名前の連呼は“時代錯誤”というよりも、むしろあれはどうも「関心を持つな!できればしばらく、いやずっと寝ていろ!」と言われているとしか思え ない。何の主張もないただの“垂れ流し”だとするならば、これは“迷惑”という他になんの意味も価値もない通りに散乱するゴミ以下であり、できれば遠巻き どころか、近寄りたくもないし、さらにそれにクレームをつけようなどという気にもならない。なる べく閉じこもって、できれば耳を塞いで、目を瞑って、ただ時を無為にやり過ごすこととなり、これはもしかすると“思う壺”ではないのか。“厄介”なものを なるべく遠くの場所に追いやっておいて、障害もなく事を進めようということなのだろう。とどのつまり、選択という人としての基本的な“権利” すら奪ってしまう『無投票』などというただただ呆れる事態がまかり通ってしまうに至り、まさに“世も末”なのである。気がつくと、抜き差しなら ないことになっていないかと心配しきりの昨今なのである。
 しかし...それでもまだ『何かてはあるはず』だと諦めたくもない。馬鹿にしたくも、されたくもないが、ある程度のおためごかしでもかまわない、せめて もの“プライド”と“覚悟”を見せてほしいし、判断するための材料を何はともあれ示してほしいところだ、それがなければ『何とか創生』など、絵に描いた餠 どころか、危険であり、“くだらない”では済まされないむしろ極めて“罪深い”スローガンであるといわざるを得ないだろう。<K>

 35年前という大昔、“サイトシーイング”でロサンゼルスに行った折、東京でいうとハトバスであるところのグレイラインといったかな、地元の観光バスの 半日コースの中から『ハリウッド-ビバリーヒルズ』を選んで利用した。ガイド兼運転手のワンマンバスで、「右て(だった?)に見えますのがビリー・ワイルダー 監督の家です」との紹介があって、ビックリしたことを今でも覚えている。ほとんど意味不明のアナウンスの中で、ここだけ聞き取れたのは奇跡で、もしかすると こちらの思い込みで、そう聞こえたに過ぎないのかもしれないが、すでに確かめるすべも無い。
 さて、大好きなこの監督の作品といえば、なんといっても『アパートの鍵貸します』である。上司に我が家を浮気の場所として提供し、C.C.バクスター氏 (ジャック・レモン)が徐々に出世(保険会社の社員で、出世するごとに席が前方に移動し、やがて正面の個室に入る)していく様が面白く、やがて“お得意さん” になる筆頭役員の“彼女”が憧れのフラン(シャーリー・マクレーン)だったショックに打ちひしがれるものの、そこはさすがアメリカ映画、見事な“ハッピー エンド”でまさに元気の出る映画であった。  -つづく-

 この映画では小物の使い方が素晴らしく、回転式の名刺ホルダー、スパゲティをお湯からあげるためのテニスのラケット、大量の酒の空き瓶、エレベータ ガールが合図に使うあれはカスタネットか、シャンパンとピストル、鍵を隠す玄関マット等など、そしてなんといっても“衝撃的?”だったのが『TVディナー』。 肉、マッシュポテト、ミックスベジタブル、デザートなどがセットになっていて、天火で30分あたためる(『グルメのためのシネガイド』淀川長治・田中英一・ 渡辺祥子著/早川書房より)のだが、その間に身の回りを片付け、あったまったTVディナーのカバーを外し、シャカシャカとつつきながら、テレビの チャンネルをチャカチャカと回すわけだ。ドラマの始まりを告げるにふさわしい、これひとつで作品全体を語り、“締める”まさに逸品であった。<K>

 映画『アンタッチャブル』(1987/米/ブライアン・デ・パルマ監督)のラストで新聞記者に「禁酒法が間もなく撤回されるとのことだが...」 との問いにエリオット・ネス(ケビン・コスナー)はこう答えた「一杯やるさ」。当時の“鑑想記”には、やや気が利きすぎていて、 かえって興ざめしてしまったとある。
 デ・パルマ監督といえば、『キャリー』(76)、『殺しのドレス』(80)など、ややマニアックな印象と、 人間性を無駄なものとして削ぎ落としてしまう容赦のなさから、高所恐怖症で先端恐怖症のわが身としては敬遠したい人であったが、 これは無知からくる全くの誤解、人間味に溢れた作品といえる、と“鑑想記”は続く。映画は、いかにもアメリカ映画らしく、判事を巻き込んで、 買収された裁判員を総取替えしてカポネ(ロバート・デ・ニール)を有罪にしてしまうというどんでん返しで、爽快感に満ちたエンディングを迎える。 そして随所に名場面と名言を散りばめている。「警官の仕事は、毎日生きて家に帰ることさ」、これはネスとジミー・マローン (ショーン・コネリー)の出会いのシーン。 更にジミーは、証人を殺されてカポネの起訴が取り止めになりそうになった時、次いでフランク・ニティ(ビリー・ドラゴ) に撃たれ瀕死の状態で繰り返し言う、 「打つ手を考えろ」は示唆に富んでいる。ただ1箇所、ネスが家族の身の安全を案じてうろたえるところは間が抜けていて不要であるとか、 殺し屋ニティの印象の薄さはいかにも残念であるとの“辛口” 批評も忘れていない。<K>

 九月の花で極く一般的なものを探したら、『彼岸花』に続くのが『鶏頭(けいとう)』ということになろうか。他にもたくさんあるが、いずれもその名に馴染みがない (要するに知らない)。花が鶏の鶏冠(とさか)状に見えるのでこの名前になったこの花は、世界中のどの人が見ても“鶏のとさか”に見えるのだろう。英語でも 「cocks-comb」(鶏のとさか)というらしい。
 さて、あまりにも有名になったあの、例の“マーク”であるが、もう世界中の誰が見ても“アウト!!”ということになった。ストライクワン!ツー!!と続いて、 見送りか空振りかはどちらでもいいが、とにかく“三球三振、バッターアウト”、加えて守りにつくこともなく、即刻“退場!”で幕が引かれた (すぐにみんな忘れてしまうだろう)。誰が見ても同じイメージを抱く、そして抱かせるべくその展開を企て実行するのがデザインであり、デザイン戦略である。 その一角がアウトであれば、全体がアウトになる厳しさは当然だが、提案する方も、採用する方も、またそれを評価する(見せられる)側も、 いずれもバランスを欠いた混乱ぶりを呈し、落としどころどころか“空中分解”からの“雲散霧消”で、何の解決も見ないまま時の経過で誤魔化されようとしている。 学ぶ段階においては、模写なり、引用なり、真似ることはむしろ推奨すべき手段なのだろうが、世に問うとなると、個人と社会の双方の側に、 少々覚悟と準備が足りなかったというべきだろう。<K>

 第一次大戦中、パリ北方の小さな村を撤退するドイツ軍は時限爆弾を仕掛けた。爆弾を見つけて撤去せよと命じられた主人公が見たものは、 村は噂におびえ、大半が避難し、残されたサーカスの動物と精神病院の“患者”だけだった。猛獣は往来をさまよい、 解放された“患者”たちはそれぞれ空家に入りこんで夢のような生活をはじめていた。彼は善良な患者たちを避難させようとしたが誰も動かず、 ついに最後の数時間を皆と共に楽しむ決心をし、時限爆弾を無事撤去した。そんな中、戦略的要地のこの村で独軍、英軍は激戦を展開、 相撃ちで双方とも全滅した。 “患者”たちは余りの狂気の沙汰にゲンナリして精神病院に帰っていった。やがて、主人公は軍を脱走し、素っ裸になって精神病院の門をくぐり、 “友人”たちの中に入って行く。
 そういえば、『ブラザー・サン シスター・ムーン』(フランコ・ゼフィレッリ監督/1972/伊・英)でも、 信仰に目覚めた主人公による同じようなシーンがあった。こちらはラストではなかったが、何もかも捨てて、己が信じる道を選択した潔さに、 諦めより希望を感じ取ったものだ。<K>

 コーヒーショップにて、ウエイトレスを人質にした強盗に向けてのハリー・キャラハンの台詞(『ダーティハリー4/1983・米・クリント・イーストウッド監督』で、 映画字幕では「撃て、望むところだ。」、テレビ放映での吹き替えでは「さあ、撃たせてくれぇ。」だったとのことで、その後流行り言葉のように汎く使われた。 ただいずれもピンとこない、「やってみろよ、有意義な一日にしてくれ(楽しませてくれ)」というのが直訳で、できれば「やれるものなら、やってみな。 そのかわりどうなっても知らないよ」としたいところだが、残念ながら、これではやはり長すぎる。もちろんここで、強盗の目の前には『44マグナム』弾がこめられた 『S&W M29』の8インチの銃口があった。
 しかし、ハリー刑事は決してむやみにこの銃を使いたいわけではない。持っている道具(玩具)はどうしても使いたくなるのが常だが、“ダメなものは、 どんな理屈があろうとダメなんだ!”という意識が基本にあって、それはシリーズの『2』において、すでに明確にされている。許す、許さないはどんな時代にも、 どんな人物にも左右さることはないというだけで、こんなところが、ダーティ・ハリーをして“アンチヒーロー”というそれまでなかった“称号”が与えられたのだ。 時代の正義、誰かの正義など“くそくらえ”、やはり“良いこと”と“悪いこと”の判断はあくまでも普遍的であるべきだというのが、理念としてあると思う。<K>

 「ピエール、タオルが欲しいのだが...」イスタンブール発パリ経由ロンドン・ヴィクトリア駅行き『オリエント・エクスプレス』、 2晩めのファーストクラス 寝台車にて、エルキュール・ポアロ(アルバート・フィニー)が個室の扉から顔だけ出して、車掌のピエール(ジャン・ピエール・カセル) に声をかけた一言で、厳密には間違っているかもしれないが、 とにかくこう覚えている。髭を整え、ハンドクリームを丁寧に塗り込んで、 シルクの手袋をして新聞をつまむようにページをめくり、消灯して、やがて事件の時を迎える。(『オリエント急行殺人事件』シドニー・ルメット監督/1974・英)
 演者も舞台も豪華絢爛の極致で、宮殿に派手な衣装で大舞踏会とは対極的な小さい空間で、さらに加えて旧ユーゴの山越えでの大雪に閉じ込められた深夜、 ミステリーにとってこれ以上の舞台設定はないだろう。ストーリー自体はすでによく知られていて、“謎解き”の愉しみはないが、事件前の緊張感、 そしてポアロが容疑者の一人ひとりを“平等”に追い詰めていくプロセスはさすがの演出だと思い知らされる。 “大スター”の面々、誰一人として“遊んで”はいない、 いや、手を抜いていない、むしろ“やり過ぎ”くらいだ。
 それはともかく、その昔、この台詞を使いたいと乗り込んだ寝台列車(ヴェネツィア・サンタルチア駅発パリ・東駅行き)だったが、ついにそのチャンスは訪れず、 またその勇気もなかった。<K>