1984年(昭和59年)はこの映画で始まった。年の始めとしては物騒な作品になってしまったが、 パソコンとかニューメディアとかいったものが映画のテーマになる時代が本格化したということだろう。 SFに終始するのではなく、それが現実に近いかたちで描かれ、 しかも無理がない、つまりそういう時代なのである。
 話は地下に隠された核ミサイル発射基地から始まるが、ここではヒューマニズムに左右されて発射ボタンを押せなかったという、 物語としては実に古典的なオープニング。これがまぁ伏線といえば伏線なのだが、ほんのきっかけといったところ、大した意味はない。 このあたりのことを言いたかったのかもしれないが、あまり語り尽くせなかったところがかえって良かった、ヒューマニズムなどというものは場合によっては興醒めであろう。
 場面はかわって、出来の悪い高校生、でも何故かコンピュータには滅法強く、自分のパソコンと学校のコンピュータとを接続させて、成績評価を打ち直してみせたりする。 そしてゲーム製造会社のコンピュータとオンラインさせ、その新製品をちゃっかり一足先に愉しもうとしたのだが、 どういうわけか軍のコンピュータにつながってしまった。 展開としては何とも安直ではあるが、これしかないという感じ、あとは大体想像がつく。<K> …「2」につづく

 話そのものは他愛ないものだが、 ラストのクライマックスは一見の価値ありといっていい。 司令部内のディスプレイが全面核戦争をシミュレートする。 交錯する光の芸術はそれが何かを忘れさせる程美しい。 コンピュータがミサイルを発射してしまうというスリルはそれほど感じられず、 ハイ・テクノロジー過信の社会に警鐘を打ち鳴らす程のものでもなかったが、 かえってそんなものは不必要であり、 大袈裟でないところがこの作品を面白くまとめることができた最大の要因であったといえるのかもしれない。 役者には見るべきものはなかったが、 この作品はあくまでスタッフの勝利といっていいだろう。
 パソコンを少しでも叩く者にとってテーマが身近であり、興味深かったが、もう少し主役のデビッド(マシュー・ブロデリック) にパソコンの前で芝居をさせたかった。 製作側が提言とか理屈とかを捨てきれなかったのかもしれない、近未来とヒューマニズムを語るのはまだ早い。 ウォー・ゲーム[WAR GAME]【1983/米】
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 さて、この作品から32年を経た現在(2016年)、このテーマはすでに過去のものになっているか?進化どころか、何も変わっていないような、 むしろより深刻な状況になっているような気配がしないでもない...<K>

鉄道は好きだが、車輌そのもの(機械的な事)に興味はそれほどなく、写真も得意ではない。それでは、いわゆる“乗り鉄”かというと、こちらに近いことは確かだが、 “出不精”の身としては、移動はやはり苦痛でもあり、子供のころは乗り物酔いがひどかった。しいて言えば“用事のある移動”、たとえば出張のついでに“意識して” 列車に乗る、時の経過を感じつつ車窓に貼りつくのが好きなのである。
 鉄道好きの原点は国鉄職員であった父なのだろうが、具体的には阿川弘之著『南蛮阿房列車1・2』だ。そして熱が高まったのは、宮脇俊三の多くの著作による。 もちろんそのベースには内田百闥の『阿房列車 第一・第二・第三』がある。
 もう8年も以前のものになるが、こんな記録が出てきた。
 →2か月間開催ももうほとんど閉幕に近い或る日、ようやく機会を得て(思い立って)『没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展』をのぞいてみた。
 鉄道紀行文の第一人者といえば、宮脇俊三氏ということによもや異論はないだろうが、あくまでも“知る人ぞ知る”存在であって、 それを文芸の一ジャンルまで押し上げたとする評価が一般的であるかどうかについては、展示会の主催者の想いほどではないかもしれない。それはともかく、 ファンにとっては見逃せない催しである。“旅の仕方・あり方”を教えてくれる資料はどれも興味深いもので、 大いに参考になる展示であった。  ちなみに、入場券は立派な“きっぷ”であった。<K>

 世はまさに“『桜の森の満開の下』(さくらのもりのまんかいのした)”、まるで集団ヒステリーの如き浮かれよう、 追われるように誰も彼も焦るばかりで花を愛でるなどという雰囲気は何処にもない。たとえひと気の無い場所にあるものでさえ、決しておとなしくしていない、 春爛漫などと能天気なことは言ってはおれない鬼気迫る妖しさが辺りを支配するのみだ。正直言うと花としては、 これでもかと圧倒されるばかりであまり好きではない。
 昔住んでいたアパートの近くに廃屋があって、その庭に何本かの桜が住人が去っても残った。 中をうかがえない高いブロック塀が続き、大げさな門構えから門扉が外され、そこから以前は診療所だったかもしれないといった趣の玄関が少しだけ垣間見えた。 街灯に照らされて満開までは蒼白くひかり、それを過ぎると一斉に散りつつ妖しさばかりがつのって、やがて一切の生気を失う。きっと、 あの死んだような扉の向こう側では、何か想像を絶するようなことが展開していて、刹那を串刺しにしていたにちがいない。
 今年は、咲き始めは早かったが、その後気温の低い日がつづいて見頃の時期が長く保たれ、やがて“満開”に疲れきった今日のこと、春の嵐の“花散らしの雨” で、葉桜への余韻も残さぬままに、きれいさっぱり見る影も無い“後の祭り”となり果てた。<K>

 いつの世も、どこの世界でも、大きな声ばかりがまかり通り、最善でないことはわかりきっているのに、それを採用したり、それに従うしか術はないといった状況が続く。 光の及ばない先ではイライラがつのり、闇の暗さは増すばかり、見捨てられる恐怖はいかばかりか、“何かをせずにはおれない”などというセンチメンタルな“想い” では済まされない、もっとドライで的確な対応が求められる。望まれるのは“専門家”だ。口先だけの“オーソリティ”ではない、普段から人を動かし、 物・金・情報をマネジメント(管理ではなく、ここでは監督)できる“チーム”の存在が必要である。機能しない仕組みは無いよりも始末が悪いことになってしまう、 むしろ邪魔になる。もちろん機能する(しているべき)組織が捜索し、治安を守り、また医療の窓口を閉ざさないのは当然のこととして、例えば冒険家が手本を見せれば 、それに倣う人が拡がりの端緒を開くだろうし、髪結いのグループが思いがけず崩れかけた社会性を復活させたりする。 “肩書き”だけが忙しく飛び交い、物は在っても動かず、届かない、また窮状を訴える映像がステレオタイプ的に編集され、 場合によっては尾ひれがついて彼の地に伝えられて繰り返し流される。麻痺も怖いが、何かに駆られての準備不足の行動も事と次第では厄介このうえない。 『自己完結型』の準備というのは言うほどに簡単なことではないし、そして誰の元にも、 出番はいずれ何らかの形でそれぞれに訪れるはずだ。<K>

 健診後、胃カメラを飲めというので、有無を言わせず喉に弱い麻酔液を流し込まれて覚悟した。「飲め」と言われた時点で根拠のない“覚悟”をしたものだが、 “結果発表”までの一週間、己が神経のか弱さをいやというほど思い知らされた。強がって「好きにしてください」などとふざけて言ってみたら、 医者は「本当にいいんですか?」なんて脅すものだから、その後はもう何も言えなくなってしまう自分が余計に情けない有様と成り果てた。 改めて医者の口をついて出てきたのは「胃潰瘍が治った跡がありますね」だった。思い当たる節はある、二〇年ほど以前、最初に務めた会社を辞めて一人旅に出かけ、 そして戻ってきてからのこと、電車に乗ると吐き気がし、今更子供のころの乗り物酔い癖がぶり返したかとあきれたものだが、突如煙草が吸えなくなり、禁煙というより、 有難いことに?受けつけなくなってしまった。とはいえ病院に行く事もなく、知らず知らずのうちに何事もなかったかの如しで、時が過ぎた。 それでもピロリ菌なるものが居るとの診断で、薬を服用してそれを退治したものだが、それからまた十五年が過ぎた。胃潰瘍もピロリ菌も“表面化” してその後対処したりしなかったりで、現在に至り 端々に不具合を感じながらも、どうしたものかとにかく生きている、そして還暦を過ぎ、 一部年金受給者とは相成った。<K>

 東国生まれは地震よりも台風を怖がる傾向があり、それに対して西国生まれは台風よりも地震の方を恐ろしいと思いがちであったが、それも程度問題で、 この五年の出来事で、いずれも未曾有の規模で東西の別なく比較的どちらが、などと暢気なことは言えなくなった。それぞれ頻度の関係でより慣れている方が「怖くない」 とされたわけだが、地震に“メガ”、台風に“スーパー”が冠され、気象庁発令の注意報の類に“警報”に留まらず、“特別警報” などというおどろおどろしいものまで登場するに至り、また、数秒後の揺れを予告する“お知らせ”が時と所をお構いなしに、テレビで、ラジオで、果ては電話で放たれる。 その後の被害ももちろん怖いが、この“予報”というのも相当に怖い。それに対して、その後のあの気象庁なんとか課の課長さんの記者会見というのはどうしたものか、 間が抜けているとまでは言わないが、のんびりしていて(決して安心感を誘う冷静な穏やかさなどではない)、どうにも響いてこない。内容も改めて聞くほどのものでもない、 ような気がする。警戒を呼びかける“意志”に持続性が感じられない。「速報」に胆を冷やされた直後に見せられると、有り難味など皆無で、むしろイライラが余計に募り、 後の状況が見えない恐ろしさとして、更に怖いものが闇の奥から迫り来ているようにに思えるばかりだ。まさかそれが狙いか?!<K>

 携帯電話に突如入ってくる自宅近辺の『豪雨警報』、ご丁寧に、予想雨量まで添えられているが、 どうしろというのか、とりあえず電話してみるが、それ以上別に何もすることはない…では優しくないとの誹りは免れないか?導き出された“警報”の背景には、 恐らく最新の機材・ノウハウを駆使した“準備”があり、数々の経験に裏打ちもされた段取りプランに則って公開されるものなのであろう。 いささか配慮に欠けたケースも見られるが、まあとりあえず信頼して対処すべしと心得ておこう。
 さて、天気予報のことではないが、まず目的・目標の設定があって、そこに肌理の細かい行動計画が組まれて、周囲の動きに配慮し、予め想定された状況に誘い込み、 或いは適切に対応しつつ、あとは自己のプランを確実に行動に移して、ポイントごとにチェックを重ねてゴールを目指し、結果を待つ。「はじめチョロチョロ中パッパ、 赤子泣いても蓋取るな」、何があっても動じない、なぜならあらゆる事態に対応し、かつそれぞれの要素を自らの”有利”につなげるマニュアル、 すなわち四次元的なシナリオの存在。果たして、シナリオ通りの展開の末、おいしいご飯の出来上がり、むしろ予想を超えた好結果に周囲は驚き、慌てふためくも、 本人はいたって冷静、それもそのはず、全ては事前の綿密な計画があってこそ、かくして”事”は予定通りの結果に至り、したたかな”準備・戦略”は見事だった。<K>

 北は水害、西は酷暑、東は東で南から勢力を刻一刻増しながら、じわりとやって来る気まぐれ台風に怯えている。 それをほぼ毎正時のニュースで、 細かく位置だの進路予想など伝えるものだから、情報の受け手としてはただただ恐ろしくて、 この時をなんとかできれば何事も無く過ぎ越したいと、声を潜めて備えるが 、それでも籠ってばかりはいられない、ずぶ濡れになって駅にたどり着き、 安全優先の大義名分のもと、交通機関は遅れ放題、更に一時運休などと翻弄され、 さて用件は何であったかと落ち着く間もなく、 今度は来た路を黙々と戻っていく、そして台風一過。やれやれと思いつつも変わらぬ日常に身と心を委ねて、 被害は如何ほどと気にはなるが、 やはり諸々思い至るのは、次の“号”が発生し、接近する事態になった時なのである。さて、 飲料水として市販の2リットルのペットボトルを4〜5本、非常食(缶詰の乾パン程度だが)を置き、 電池を少々買っておく。 そんなことも何かの足しにとしてはおくが、心がけるというほどでもなく、対策などとはとても言えない。 もちろん被害の実体験などないにこしたことはない。 かといって仮想体験というのもどうもお手軽で無責任な印象があってしっくりこない。 こちらの迷走ぶりもかえって不安が募り、 むしろ無力感と焦燥感を煽るばかりなのである。いずれにせよ、これで充分などということにはなり得ず、 何もしないよりはまし! というほどのことなのだ。<K>

 国内では、怪しい病院のこと、怪しい地下空洞のことにとどまらず、小説よりも奇なる事実が相次いでいたり、広島の奇跡(これは失礼?!)や、北海道の新メイクドラマ、 更にはカド番明けに全勝優勝したり、オリンピックでの種目別個人別の興亡・盛衰、 パラリンピックへの戸惑いにも似た世の対応ぶりなど、文化的にも突然脚光を浴びたり、逆に冷え込んでしまったりで、まことにとりとめのない、 はたまためりはりのききすぎた時が脈絡なく行き過ぎている。あらゆることが劇場的で“犯人捜し”も“人(もの)たたき”も、わかりやすくも如何せん冷静さに欠けて、 中身がそれこそ“空洞”なのである。海外でも、大統領選挙や難民問題や水爆にここではあえて?ふれないが、卑近な(これも大変失礼?!)ところでは、 例えばメジャーリーグの若手主戦投手の突然の事故死で、 記録達成のおめでたい記念式典が吹き飛んでしまった…ような出来事も起きている。ついつい何かの前兆かと杞憂と承知の上で天を仰ぐが、何事も今のところは起きていない。 この先何かは起きるだろうが、「最悪の事態を覚悟して、最善を尽くし、その先は心配しても疲れるだけ」と心得て、出来る者が出来るだけのことをする、 しようと心がけることがやはり正しい姿勢・意識なのだろうと、決して言い訳でも、諦めでもない、程よくバランスの取れた緊張感を目指したいと晩酌の酎ハイを舐めながら、 NHK−BSのこの時期には誠に嬉しい?『楽天−オリックス』戦を見たのはつい昨日のことだった。<K>

 あるスポーツ選手が「難しいことは分かりませんが、いち選手として言うなら、東京五輪なのに会場が東京と違うなら寂しい。絶対にイヤだと思う。ぜひ、 東京でやれれば。こういう問題で揺れるのは選手にとって望ましくない」と言い放った。先の大会の代表選手になって、 しかも称賛を得るほどの成績を残してこその発言なのかもしれないが、「絶対にイヤだ」というのはどうとっても言いすぎではないのか、 種目ならではの事情やら都合があるのを考慮しても、“一般の国民”としては非常に耳に障る。「復興のためのイベントの先頭に立てるチャンスをいただいて (次回の代表選手として確定しているわけではないが)、栄誉なことと感じ、頑張ります」くらいのことは言って欲しいところだが、 それはこちらサイドの勝手な言い分で、これまた言いすぎなのかもしれない。ただし、応援する気持ちもすっかり冷えてしまうのもやむを得ないことだろう。 日本で開催される『東京大会』であることを再確認して(主催者とか運営主体といったことはあくまでも政治の問題)、彼には東京以外で生きる、 とりわけ今回は、復興の道を懸命に辿っている人たちにとりあえず謝っておこう!<K>

 上流の大洲盆地で発生し成長した霧がやがて溢れ出し、山間の急流を一気に流れ下る。冬の朝の風物詩、地元では“あらし”と呼んでいる。 海に出る寸前の赤い可動橋のところで瀬戸内の暖かい海面に触れて霧は消える、そしてそんな日は昼近くになると決まって晴れる、それも快晴である。
 およそ150年前、この川を一人の若者が目立たぬように下り、河口の長浜から四国を離れ、大志と併せて悲運の姉への想いを懐に、瀬戸内海を渡って行った。  港まであとわずかという地点で川は最後の蛇行を見せ、その出口におそらく彼も見たであろう断崖絶壁があった。ここで“あらし”は大きく向きを変えることになる。
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 川幅は急に狭くなり、流れは早い瀬となって、舟は速度を増して下って行った。ふと、龍馬は、川岸にたたずむ一人の女を見て、ギクッとした。 年の頃は三十過ぎ、細い体、そして色の白い、美しい女であった。
「栄ねえさん……」
龍馬はつぶやいて、思わず立ち上がっていた。【『坂本龍馬 脱藩の道を探る』村上恒夫著(新人物往来社刊】
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