「ちこうごういつ」と読む。あまり馴染みがないかもしれないが、40年以上も大昔に通っていた高校の理念ともいうべき言葉で、 頻りに出てくる個人的には身近な言葉だったのだが、辟易…と言っては言い過ぎでも、 纏わりつく煩わしさを多少感じていたことを微かに覚えている。
 『知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの完成である。聖人の学問にあっては、修行はただひとつ、 知ることと行うことを別個のものとはみなさない【守屋 洋著「中国古典に学ぶ四字熟語」】』「知」の拡充を第一義として、 「行」はどちらかというと副次的であるという対立学派を批判するかたちで言及されたものなのだそうだ。
 さて、この「知行合一」を謳い上げた中江藤樹という学者が江戸時代の伊予大洲藩に仕え、その屋敷跡に高校ができたというわけで、その同窓としては、 無視するわけにもいかない、いささか面倒くさい“スローガン”であった。ところで、その学者侍の出身が当地ではなく、近江の国であったということで、 その校歌の唄い出しが「近江聖のあととめし」であり、更にスクールカラーが藤色という徹底ぶりで、どうでもいいようでいて、 それでも今にして思えば納得がいかないという面もあった。その“心配”はないようだが、万が一後輩たちが甲子園に出場するようなことがあって、校歌が流れるとき、 大いなる違和感が場内を覆うのではないかとの想いがあるが、もちろ杞人之憂(杞憂・きゆう)である。<K>

 都会の人間にとっては珍しい光景ではないが、“地方出身者”にとって、これはただごとではない。ひっきりなしに行き交う山手線、京浜東北線、そして東海道新幹線、 運河に釣り船(海辺の港や川べりならわかる、というわけで、これもただごとではない...)、さらに運河を蓋する首都高速道路、出しゃばるでもなく、 かといって遠慮するでもなく電車が景色の中を貫いている。長閑さのかけらもないが、これはこれで都会の“自然”なのだ。
 何年、いや何十年たっても都会暮らしには馴染めきれず、久しぶりの帰省をすればしたでどこかお客様扱い(こちらの態度も含めて)とあれば、 すっかり根なし草と成り果てたわが身は、すでに何者でもなくなってしまったのではないか、高速道路という屋根つきの橋の上から、 故郷につながる列車の流れを見て、周囲を憚ることなく立ち尽くす(撮影はしているが...)哀しさをぼんやりと想う。<K>

 東日本大震災から六年が経過した。その間に熊本や鳥取でも大きな被害を伴う震災があり、台風もあり、豪雨による洪水や大きな火災も後を絶たず、天災、人災の別なく、 それらの“後遺症”は直接の罹災者にだけでなく、汎くいまだに大きく影を落とし、皆が物心ともに少なからず重いものを引き摺っている。遠い所でのことで自分には関係ない、 自分に限って悲惨なめに遭うはずがない、などと何の根拠も無い“安全宣言”を頼りに生きていく頼りなさは、根無し草の虚しさに等しく、 一瞬のもとに彼方に吹きやられる恐れを常に孕んでいる。対岸の火事こそ我が事と認識し、出来ることを出来る範囲で場合によっては助け、またそれを“教訓”として、 日ごろの生活に活かすということを忘れてはいけない。何か出来ることはないかと、やもたてもたまらず現地に赴く(それはそれで尊いことだが…) だけが反応・対応の全てではない、その時々のそれ相応の思いと行動を考えることこそが肝要だろう。ヒステリーはパニックと同様混乱を更に煽ることもあり、 早く忘れる為の“言い訳”にしてはいけない、大事なことは起こったことを決して忘れないことだ。起きてからでは遅すぎるが、それでも場合によっては寄り添い、 そして次なる“事態”に備えるべきである。“命”に勝る“ファースト”はない、そこに理屈も言葉遊びも通用しない、その都度にやるべき事、思うべきことは必ずある。<K>

 西へ東へ飛び交うミサイルに、またゲームが始まったかというのは、危機意識の欠如で、意図を読み合う前に、そもそも“ダメなこと” を仕掛ける段階のことを誰も問わない、取り返しのつく間に何とかするのが人間の智恵であり、「そら、やっぱりそうなったか!」というのは諦めというよりも怠慢であろう。
 事はあくまでも局所的だが、その影響が及ぶ範囲は限りがない。“役不足”をいまさらながらに不貞腐れて物議を醸したり、暴言、 ごまかしが羽虫のごとくただ鬱陶しいだけの状況とは計り知れない距離である。もしかすると根は一緒という感じがしないでもないが、始まりの一歩は何であったか、 話は転がるにつれて大袈裟になり、大雑把になり、やがて飽きて雲散霧消、原因は何なのか、被害者は誰なのか、展開が話をややこしくして、 メッセンジャーは視点を失って右往左往、受け取る側も五里霧中、とどのつまり“大山鳴動して鼠一匹”は平和な結末なのか、それとも既に手をつけられない有様なのか、 さっぱり判らない。<K>

 或る話題に飽きて、取扱いが緩慢になって、それが片付かないうちに次の“いろいろ“があって、注意、関心が散漫になり、やがて全てが有耶無耶になってしまう、 それが世の常などと、実は誤魔化しては、あるいは誤魔化されてはならない、諦めるなど言語道断で、看過できない状況が複雑に絡み合ってまとわり着いてくるが、 決して目を瞑ってはいけない。より大きなものの影に隠れて逃げ切ってしまう“不手際”“不始末”が多すぎる。結局のところ、その軽さ故に免罪符とまではいわないが、 それらがどうでもいいこととして“執行猶予”のまま遣り過ごされてしまうのでは、伝えられる側としてみればいかにも救いがない。 過ぎたるは猶及ばざるが如しなどと悠長なことは言っていられない、せめて駄目なものはダメ!嫌なことはイヤ!ぐらいの基本的な認識くらいは持っておくべきだろう。 ミサイルのことなど見たくも聞きたくもないとテレビのチャンネルを替えると“平和ボケ”と非難されるし、かといって過敏に反応することが果たして適切な対応なのか、 それにも疑問が残る。むしろ情報をもう少し整理してくれないかと切に言いたいし、垂れ流しの諸々を取捨選択するのは“自己責任”だと突き放されても困るばかりだ。 片寄らないことは情報発信にとって必要不可欠の大前提だが、明快(単純ということではない)であることも忘れてはならない。<K>

 時の権力者は既得権を守るために、ひいてはそれをより大きなものとすべく、管理し、指導或いは誘導しようとする。権利ではない、これはもうより生臭い印象がある “権益”というものだ。寝ている者をそのままずっと寝かせておいて支持者として計上し、支持の高さを吹聴する。“そっち側”の人間としては、二進も三進もいかず、 流されるままに流れていく。抵抗、発言の手段はあるはずなのだが、多くはそれを行使しない、というより無関心を装ってただ目先の災いを避けるのみ、 まさに人の迷惑も顧みず、究極の“自分勝手”な態度を取らされてしまい、つまり“寝て”しまって、その結果、時の“善人”たちがそのあおりをくって、 頗る理不尽なプレッシャーを受け、ただただ翻弄されるばかりなのだ。危機を感じない、もしくは見ないふりをする者は、それはそれで“倖せ”なのかもしれないが、 「誰にも迷惑をかけているわけではない」というのは明らかに誤りだ。誰かの思う壺であり、断じて大いに迷惑をかけていて、意思表示も反論もしない分余計に質(たち) が悪い。<K>

 抵抗勢力は抑え込める、そして意思表示しないものは勝手に味方として“数”に計上してしまう。なにしろ何も言わないものだから、こんなに扱いやすいものはいない。 真面目に、我がこととして向き合おうとするものにのみプレッシャーとなり、それがいやなら「黙って寝ていろ」ということになる。これでは脅しではないか、“多数決” は原則としても、たとえ少数であろうと、意見は意見、決して無視していいものではないだろう、むしろどんなに馬鹿にされても、こけにされても、それでも“寝ている者” たちに牛耳られている現実に、少しは物事をしっかりと考えようとする者が無力感を抱いていることこそ問題であろう。評判は悪くても、なるべく意思表示の手段を知らせず、 諦めて、或いは黙り込んで、現状を心ならずも認めさせられてしまう仕組みは果たして“揺るぎないもの”なのか、そんなはずはない、傲慢を咎める静かな“善意の勢力” を無視していい法はないだろう。“寝たきり”ではなく、あくまでも“寝たふり”であってほしい。実に歯がゆいことではあるけれど、 それぞれの意思表示の手段は持っているし、その行使については“善意”の範囲内で自由なことであるはずだ。<K>

 猛暑、炎暑の中で危険を冒してまで、幾万もの人々が清らかな“感動”を求め、またその前で、“部活動”の日頃の練習の“発表会”にすぎない場で、 あくまでもさわやかな汗を“物語”として、繰り返し披露しなければならないかと、毎年皮肉めいた感慨を涼しい部屋で映像を見つつ抱いてしまうのだが、 出身地代表の登場とあれば、つい肩入れしてしまうのも例年のことである。最近はよくよく“登場人物”たちの出自を確認しないと、 少々白けてしまうこともよくあることだが、“留学”などというものは、昔からあったことではあるものの、最近はそれがあまりに露骨で、 しかし周りもそれを許容してしまっているふしがあり、ここに本音と建前が交錯する。きれいごとの裏側に様々な思惑が渦巻いているのは世の常で、 とやかく言うのは“野暮”なことなのだろうけれど、それでも一言ため息交じりに言っておきたいところだ。
 さて、出身地の代表が姿を消すと(かつてはけっこう高い勝率を誇った地域で、随分と愉しませてもらったものだが…)、次に、勝ち残っていれば、 近県のチームを応援することになる(ただし、過去の歴史・経緯により、唯一隣の県でも応援できないところがある、どことは明言しないが、 その相手方の奮闘を願ったりする…こともある)。この選手権大会、来年は第100回を迎えるという、多少の梃入れなり、分析なり、とにかく目を瞑るだけでなく、 何らかの対策が必要であると思うのだが、こんなことを言うのは、やはり“野暮”か?!<K>

 不安を煽って、その隙に“厄介ごと”はこの際いっそのこと有耶無耶にしてしまいたいところだが、現実にはそううまくは運ばない。 そこでひとまず蔵の中に仕舞い込んで、できればそのまま“お蔵入り”ということで、世の中から忘れ去られてほしいところ、たとえそうでなくてもやがて黴が生えて (蔵の中の管理はどうなっているかわからないが…)、あるいはほとぼりも冷めて、関心も失せ、 扉を開けてじっくり改めて見てみようなどという声はどこからも上がってこない、これこそ思う壺なのだろう(誰の???)。というわけで、 蔵の中は怪しいものだらけということに相成る、見たいものから見たくないものに、やがてどうでもいいものになり下がって、次の怪しいものが人々の関心にのぼる…。 “先送り”は繰り返しではないし、復活など全く期待できない、まるで“底なし沼”だ、いったん沈むと引き上げる(掘り出す)のは一筋縄にはいかない。
 みんなが同じことを言うからこういうことになる、“役割分担”というのは不可能なのだろうか。利害の絡む談合はゆるせないが、ある種の調整は必要なことだろう。<K>

 外が騒々しい時には、だいたい内は静かなもので、逆に内が落ち着かない折には、外は割合穏やかであるというのが、常識的な?状況というものだろう。 双方穏やかであるに越したことはないが、どちらも騒然としているということになると、どさくさ紛れ≠ノとか、目晦まし≠ノ百鬼夜行の有様などと、 つい愚痴ってみたくもなるし、とどのつまり『騙されまいぞ!』と力んで、疲れ切ってしまうことになる。とにかくバランスが悪い、 傾きっぱなしの状況にただただ呆れるやら、斜めになったままいつまで辛抱すれば良いのかと絶望的な心境に陥ってしまうのである。圧倒してこその安堵感と、 あくまでも上から目線≠ナ顎を撫ぜる者あり、また、五分五分、せめて四分六、或いは四対三とその他少々≠ュらいが、少しの緊張感もむしろ快適度の要因と視る者あり、 いずれも現実に存在するのであるが、その見極めを許さないほどの混乱に、やがて双方ひいてしまう≠アとになって、 結局そっぽを向いて無関心が支配する静けさなどということにならないかと、杞憂の日々である。<K>

 もうさすがになくなったと思うが、40年以上の大昔、青梅街道沿いで、丸之内線の新中野駅と東高円寺駅の丁度中ほどにその住宅兼店舗があった。 お店に常駐するのはいかにも上品なおばあちゃんで、店主であるおじいちゃんは商品を求めて全国を飛び回っているとかで、ついぞお見かけしたことはなかった。 そこで、何に使ったか、こちらの方は記憶の彼方だが、和紙やら、目に留まった木工品やら、おそらくたいして高価な商品構成でもなかったのだろう、 けっこう通って買い入れたことを覚えていて、その後この地から引っ越してからも時折訪れて、おばあちゃんの“安否”を確かめたものだった。 代替わりはしたのだろうが、20年くらい前に、車で通り過ぎた際にまだその古風な看板は掲げられていたようだったが、営業中であったかどうは確かではない。 今でも文房具店の一角に民芸品のコーナーを見つけたりすると、この『あじろ』のことを思い出す。そこから青梅街道をもう少しだけ下ると、 左てに『蚕糸試験場』というものがあって、現在は公園になっているようだが、当時は脇道の万年塀を越えて、桑の葉が小路の空を覆っていた。<K>

 わが身には直接かかわってこないことが前提だが、世の注目度の高い話題については(ワイドショーのお陰だろうが)極めて無責任に関心が高い。 目を瞑っていたいテーマと目くじらを立てて追及をし、望ましい(笑える?)決着を見るまでは決して許さない、あるいはやり過ごさないテーマがある。 悲しいことに、後者の方が圧倒的に盛り上がってしまう。忘れたふりをするばかりでは間が持てない、そこで痛みを伴わないことに対しては徹底的に踏み込む、 行儀が悪いも何もあってものではない。“無責任”こそが話題を盛り上げる、継続させる決め手であるというのが現実なのかもしれない。 そこに参加意識など皆目無く、ただ遠巻きに囃し立てる“野次馬根性”、誘導されてのこととはいえ、やはり恥ずべきことであろう。原発は再稼働するが、 日馬富士は馘になる(“自主的引退”ということにはなったようだが)、地元の本音、本心はどこにあるのか、そして被害者は誰なのか、 基本的な議論を疎かにして虚しくぬるい空気だけが吹き抜ける。<K>

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