003 仏

街の全てが映画のシーン

 歴史の持つ重みから、ややもすると伝統に押し潰されて精彩を欠く、欧州の各都市とは一味違うのが此処巴里。古き良き 巴里もいまだ健在ですが、近代的な都市計画が着々と進んでおり、それによって出現する新しい巴里とが見事に調和しています。

 “亡びた都はたくさんあるが、巴里は齢とともに美しさを増す”、これは『巴里の空の下セーヌは流れる』という古い映画 でのナレーションの一部ですが、巴里の懐の深さをよく言い表しています。

パリのガイドパンフレット フランス新幹線 TGV

 06時23分  ヴェネツィア発『カレー=ヴェネツィア号』定刻パリ・リヨン駅到着。駅の構内では仏蘭西版新幹線『TGV』が幅を利かせていますが、仏蘭西国鉄(SNCF)特有のゲンコツ型の機関車 だけが僅かに意地を見せて頑張っています。スタンドでクロワッサン2本とたっぷりのカフェオレで早めの朝食、これで すっかり巴里気分、予約したホテルは9時を過ぎてから来いというので、しばし朝の駅で時間を潰すことにします。

 午後になってホテルを出ます。ホテルの目の前にエッフェル塔、セーヌを渡ってシャンゼリゼ通りヘ、凱旋門が遠くに見え ますが、日本人だらけで遠慮しておきます。カフェで昼食、焼き豚のヌードル添えとビール、これで30フランとはちょっと 高い。

 通りは車の洪水と人の波。雨の日、年上の女(ナタリー・ドロン)への恋心を大人としての常識と分別で諦めた若者 (ルノー・ベルレー)がペダルのついた軽便バイクで走り去ります(『個人教授』)。

 コンコルド広場でメトロに下りて、4日間有効のメトロのフリー・パス(Billet Touristique /60フラン)を購入します。 “巴里はメトロの匂い”と言ったのはジャン・ギャバンでしたが、今では清潔で、どちらかというと、無味乾燥気味でやや 面白味に欠けます。

 巴里という街はシテ島を中心として螺旋状に区分けされているせいか、メトロは全ての路線が半円形を描いているようで、 接続は良いのですが、何処へ行くにも曲線で、どうも効率が悪く思えてなりません。

 近所のカフェ(ビストロと言うべきか?)で夕食、サンドイッチにサラダ、そしてビールを大ジョッキで2杯、満腹です。 その後、別のカフェで今度はカフェオレ、暮れなずむ巴里の街角、雰囲気はいいが、結構埃っぽくて、パンを裸のままで籠に 入れて持ち歩ける程清潔ではなく、いささか興ざめですが、巴里は母親が急に産気づいて下町の路傍で産み落とす人間臭さも 忘れてはいません。そして生まれた子供がエディット・ピアフ(ブリジット・アリエルが好演)でした(『愛の讃歌』)。
 ナチスの巴里入城前夜、街中のカフェはナチスに飲まれるくらいなら、ドブに捨てた方がましと、自慢のワインをただで ふるまいました(『カサブランカ』)。

 恋人達はそうして巴里を想い出に蔵ったまま現実に引き離されて行きますが、巴里で過ごした時を永遠の時として共有した 二人は二度目の惜別を迎えても、“僕たちには巴里がある…”と決してうろたえたりはしませんでした。しかし巴里の気位は ナチス如き田舎者の占領をいつまでも許してはいません。もし巴里を撤退することがあったら、焼き払えとヒトラーに命令 されていた占領地区司令官は、その日ついに爆破指令を出しませんでした。無人の受話器からヒトラーの叫び声がむなしく 聞こえます、『巴里は燃えているか』。

 「君は何を美しいと思う?樹かい?だったら君は樹に似ているよ」なんて、とんでもない気障な台詞をこっそり吐いて しまいたい巴里の初日でした(『パリの恋人』)。

メトロの路線図 こんな部屋に泊まりました

 09時00分  起床。  往復八時間もかけてシェルブール迄行く元気なく、パリで大陸最後の一日を過ごすことにします。ホテルの近く (Ecole-Militarie=陸軍士官学校)からパリ北駅迄バス(49番)に乗ってみます。

 降りたい所で出口にある釦を押すのは万国共通ですが、初めての街ではやはり厄介、その点メトロの方が《おのぼりさん》 には便利です。でも49番の終点は北駅、つまり最後まで乗っていれば良い訳です。

 北駅切符売場の18番窓口でカレー=ロンドン間の乗車券を買います(F179)。1等の切符を買おうとしたら、うむを言わせず 2等が出てきた・・・、係の女性、人を身なりで判断したのかもしれません。戻すのも億劫なのでそれでOK!。

 4番のメトロでシテ島へ、そこからノートルダム寺院へ、69メートルの塔に昇れますが、階段なので遠慮します。セーヌを 渡りルーブル美術館へ、建物の大きさにうんざりしてそのまま通過してしまいます。チュイルリー庭園をはさんだ反対側にある 『印象派美術館』へ(入館料F8)、あちこちから日本語が聞こえてきます。

 ゴッホ、マネ、モネ、ゴーギャン、ルノワール等、お馴染みの作品が並んでいます。どれも素晴らしい、でもわたしはやはり ロートレック。彼の眼には世の中の全てが黄土色に見えるらしく、実に屈折していて、その歪んだ趣が何とも言えず良いのです。  美術館を出た所がコンコルド広場、シャンゼリゼ通りの向こうに凱旋門が見えます。

 八番のメトロでEcole-Militarieへ戻り、ホテルの向かいの何時もの?カフェでハムサンド(ジャンボン)と生ビール (ドゥミ)の大ジョッキ。喉の渇きを癒します。ギャルソンが他に注文は?と言うので、夕方またねって(と言ったつもり)、 一旦ホテルに戻ります。歩くには少し陽射しが強過ぎて暫時休憩。

 先頃開通した高速地下鉄『RER』でリュクサンブール庭園へ、そしてカルチェラタン、更にメトロでモンパルナスへ、 よく見掛ける光景ですが、前を歩く若いカップル、急に立ち止まり、突然の熱き接吻、その度にこちらもつられて立ち止まって じっくり《鑑賞》させられる羽目に・・・。やはり此処は巴里なのです。

 夕食は、生ハムとコンビーフのセットにサラダ、そして生ビール、巴里にすっかり満腹です。  今夜は食後に水割りを注文、「ウィスキー・ア・ロー」(これ即ち水割り)、「アイス?」なんて言うから「ウイ」、 するとグラスの中にアイスとダブルのウィスキー、そして水は別に出てきました。最後はやはり交差点のカフェでタプタプの キャフェ・オレ、すっかりジェラール・フィリップになっておりました。

 ホテルに戻り、フロントで「パルドン ムッシュ、トゥモロウ モーニング、モーニング・コール、シルヴ プレ」 (これ何語?)「OK、ムッシュ」。

 巴里は霧に濡れてなどおりませんでしたけれど、もう一度訪れたい、いや再び来るであろうと予感させる街でした。


【勝手に採点】

★★★  『巴里の空の下セーヌは流れる』
         (1951年/ジュリアン・デュヴィヴィエ監督/仏)
★★    『個人教授』(1968年/ミシェル・ポアロン監督/仏)
★★    『愛の讃歌』(1973年/ギー・カザリル監督/仏)
★★★  『カサブランカ』(1942年/マイケル・カーティス監督/米)
★     『パリは燃えているか』(1966年/ルネ・クレマン監督/米)
★     『パリの恋人』(1957年/スタンリー・ドーネン監督/米)
★★★  『モンパルナスの灯』(1958年/ジャック・ベッケル監督/仏)
★★★  『巴里のアメリカ人』(1951年/ヴィンセント・ミネリ監督/米)

[その他の作品から]

   『パリが恋する時』(1963年/メイヴィル・シェイヴルス監督/米)
   『パリで一緒に』(1963年/リチャード・クワイン監督/米)
   『パリのめぐり逢い』(1967年/クロード・ルルーシュ監督/米)
   『パリの旅愁』(1961年/マーティン・リット監督/米)
   『幸せはパリで』(1969年/スチュアート・ローゼンバーグ監督/米)
     『恋のモンマルトル』『リトル・ロマンス』『フレンチ・グラフィティ』
     『ラ・ブーム』『パリは気まぐれ』